ミニコラムの続きです。
ある青年雑誌で「秦の始皇帝が天下統一する時代を扱った漫画」が人気だと聞いて「ほう、凄い!」と思ったものでした。
そして、その主人公が「李信」だと聞いて、そりゃおったまげました。「え? あの李信? あの時代を扱うなら、主人公は始皇帝、王翦、蒙恬、李斯あたりでしょ? 逆張りするにしても、項燕とか春申君とかでしょ?」と思ったのです。
李信は「ポッと出だけど、中盤大活躍する若き将軍で天下分け目の決戦で大失敗する」というイメージがあったからです。ごめんなさい李信さん。
そもそも、李信は出身が明らかではありません。武官の名家とも言われますがはっきりしないのです。さらに、どのような経歴だったのかも不明です。
わかっているのは、王翦軍の中隊長あたりからのし上がって昇進し、燕攻略の時に大活躍して歴史に華々(はなばな)しく登場したという事です。
当時は、荊軻による始皇帝の暗殺未遂事件で秦は大騒動でした。始皇帝の幼馴染みの燕公子丹が実行犯と分かり「燕許すまじ」の時期でした。
そんな最中、李信は燕討伐戦に参加。数千の兵を率いて逃げ惑う燕軍を追撃し、始皇帝暗殺未遂犯の太子丹を捕まえます。大殊勲でした。
この頃から李信は始皇帝に異常に気に入られる様になります。だから、もうちょっとカッコイイ文体で李信を紹介しないといけないのかもですね。
あ、えー、コホンコホン。
トキは中国、戦国時代の末期。天下統一を目指す秦国に、一人の若き将軍が彗星のごとく現れた!
彼の名は、李信!
李信は、若くしてその才能を発揮し、秦王政、後の始皇帝に重用されたのである。
彼の特徴は、なんといってもそのスピード! 電光石火のごとく敵陣を駆け抜け、敵を翻弄するのであった。
李信は、まず趙国攻略でその手腕を発揮するのだ! 王翦率いる大軍とは別に、少数精鋭の部隊を率いて趙の北部を攻略。敵の意表を突く電撃的な戦術で、趙軍を混乱に陥れたのである。
続いて、燕国攻略にも参加。王翦、王賁と共に、燕都の薊を陥落させ、燕王喜を捕らえるという大功を挙げたのだイエイ。
特に天下分け目の楚討伐戦では総大将に大抜擢!
この時、始皇帝は「楚を滅ぼすのに兵は何名必要か?」と聞かれた際に、王翦は「60万人必要」と言ったのに対して李信は「20万で十分です!」と強気に答えたのダ!
そして、李信は副将に若き蒙恬を従え意気揚々(いきようよう)と楚に進軍したゾ!
楚でも連戦連勝! 本来ならこのまま楚を倒して凱旋するハズだったのダ。
…のですが、運悪く、楚には名将項燕が居ました。項羽の祖父です。
項燕は決死隊を結成すると三日三晩不眠不休の強行軍で進軍します。そして、項燕軍は侵略して来た秦軍を急襲します。
快勝を繰り返して軍を合流させたばかりの李信と蒙恬は不意を突かれて壊滅的な被害を受けます。大敗北です。
これにより秦は一気に危機的状況になります。ここで登場するのは引退宣言をしていた老将王翦です。
彼は60万の軍を率いて楚を滅ぼします。
敗北の責任を取って李信は処罰されたのかと思いきや、特にそんな事はなく、その後の斉攻略や燕攻略などで挽回の機会が与えられています。
そして、この時は無難に活躍しています。
不思議なのは李信に対する始皇帝の異常なまでの信頼です。
とある有名漫画では嬴政と李信とは強い絆で結ばれているようです。
しかし、現実ではそのような歴史的事実はなさそうです。
あくまで憶測ですが、当時は成果の悪い将軍たちは淘汰されていて、王翦の王一族と蒙恬の蒙一族が、敵国討伐の戦果のほとんどを占めていました。
始皇帝からして見ると、王一族と蒙一族が手を組んで叛意を持てばカンタンに秦を奪えます。
これは恐怖でしかありません。
よって、これに対抗できる第三勢力の将軍を育成したかったのかも知れません。
結果的に李信は始皇帝に粛清される事はありませんでした。
秦の統一後、李信は将軍として引き続き秦に仕えました。
しかし、晩年については、史料に詳しい記述が残っていません。
項羽と劉邦の楚漢戦争の頃は既に李信の名前が出てきません。
始皇帝の死に前後して李信も亡くなったのかも知れません。