第17回.范蠡の生き様は凡例となるか?
ミニコラムの続きです。
春秋時代、南方の新興国に越という国がありました。越王の允常は領土を拡大し、王と称しました。それまでは宗主国である周国に遠慮して「越侯」と名乗っていたのです。
しかし、越は国力が増して自信をつけたので「もう、俺の支配地域は王国にするぜ。だから今日から俺は越王だ!」と強気になったのですね。
允常は優れた人物眼で優れた軍師を登用しました。范蠡と言う人物です。
越は隣国の呉国と敵対関係にありました。運悪く当時の呉国には二人の名将がいました。伍子胥と孫武という将軍です。彼らがいるため戦争が激強の状態でした。
そんな折、越王允常が亡ります。後を継いだのは息子の勾践でした。呉はライバルである越国の君主交代の隙をついて越に攻め込みます。
以前も呉には大敗している越は勝てる見込みはありません。困り果てた越王勾践は軍師范蠡に相談します。
そして、范蠡はとんでもない奇策を思いつきます。その名も自爆攻撃ならぬ「自刎攻撃」です。
まず、死刑囚からなる決死隊を募ります。そして、「上手くいけば遺族に大金を与える」と約束します。
そして、決死隊に敵の目の前まで行かせて、そこで自ら首をはねさせて自死させました。
呉軍は「なんだ?なんだ?」と仰天します。そりゃそうだ。
しかし、その隙を付いて越軍は弓を一斉掃射して突撃し、越軍は呉軍を撃破しました。
呉王闔閭も矢傷を負い亡くなります。越王勾践は憎き呉王を倒し意気揚々(いきようよう)でした。
これに対し、呉は息子の不差が後を継ぎ復讐を誓います。
呉王夫差は「復讐だと?何を偉そうに、返り討ちにしてやる」と言って、呉に侵攻します。
范蠡は「おやめください。今は勝機がありません」と言って止めました。
しかし、聞き入れられず、越軍は大敗北します。そして、越王勾践は、呉王夫差に屈辱的な命乞いをして命だけは許されます。
越王勾践は復讐を誓います。そして、軍師范蠡に策を尋ねました。
ここでまた范蠡は奇策を思いつきます。それは「西施」という絶世の美女を呉に送り込むという作戦です。
西施は、古代中国4大美女の1人です。
范蠡の目論み通り、調子に乗った呉王夫差は西施に夢中になりました。
この結果、軍事も政治もおろそかになってしまいます。
更に范蠡は、もう1手を打ちます。「文種」という人物を登用するべきです。
軍略と謀略の分野では、文種は私には及びません。しかし、政治にかけては私は文種に及びません」と言い文種を推薦したのです。
こうして、越王勾践は范蠡と文種の補佐を受けます。
そして、骨抜きになった呉王を倒します。呉国を滅ぼし復讐を成し遂げたのです。
「よかった×2」と范蠡も君主と一緒に有頂天になってもよいシチュエーションでしたが、直後に范蠡は密かに国を脱出しました。
誰もが彼の意図が分からず困惑します。
この後、范蠡は同僚の文種に手紙を書きました。
「山のウサギを採り尽くせば猟犬は必要なくなり、煮て喰われてしまう。飛ぶ鳥を撃ち尽くしたら良い弓は仕舞われてしまう。越王とは苦難は共にできましたが、栄華は共にできません。アナタも逃げなさい」と。
ハッとした文種は慌てて病気と称して引退しますが時すでに遅く、文種は謀反の疑いで処刑されます。
ちなみに、范蠡は国を去る時、呉から取り戻した美女西施を連れていました。彼の愛人だったのか、養女だったのかは不明です。
この時代の英雄は悲惨な最後を終える事が多いのですが、范蠡は巧みな知略で最後まで転落する事の無い人生を送りました。