第16回:臥薪嘗胆、呉越同舟
ミニコラムの続きです。
春秋時代は、斉の桓公、晋の文公、楚の荘王などが春秋五覇として自国を強大にします。
その後、中国の南方に呉と越という新興国が登場します。三国志の時代で孫権が統治した呉の国の辺りです。
両国とも優れた家臣を登用することで、国力をパワーアップさせました。特に呉は闔閭王の時代、後世に残る兵法家の孫武と伍子胥という名将を登用しました。
彼らの活躍により超大国の楚を滅亡寸前まで打ち負かします。
一方の越国も范蠡という謀略に優れた軍師を登用します。越国は、楚に勝ち調子に乗って攻め込んできた隣国の呉王闔閭を奇策で返り討ちにしました。
重症の闔閭は死を悟り、息子の夫差に遺言します。
「お前の父を殺した越王を許すな。仇をとれ!」と言ったのです。
呉王となった夫差は、恨みを忘れぬように、豪華なベッドで寝る事をやめます。粗末な薪を敷き詰めて、そこで寝るようにしました。
ゴツゴツした薪の上では身体が痛くて寝れなかったハズです。そのたびに越王への恨みを新たにしました。
更に彼が自分の部屋に入るたびに「夫差よ。おまえは越人が、父を殺したのを忘れたか?」と家来に叫ばせました。
夫差は「いいえ、忘れておりません!」と返したそうです。
このように恨みを蓄積して努力することで、呉王夫差は、遂にライバルの越王勾践を会稽山で打ち負かす事に成功します。まさに、呉王リベンジャーです。
越王勾践は土下座して呉王夫差に謝罪します。
「ごめんなさい、今後はあなた様の奴隷となります。許してください」と、
これに気をよくした呉王夫差は、勾践を許します。
そうなると今度は、越王勾践が復讐者になります。呉国に従ったフリをして、機会を伺います。
屈辱を忘れないように、勾践は、自分の部屋に苦い肝を吊るして、毎日のようにそれをナメナメしました。
乾燥した肝はめちゃくちゃ苦いものです。勾践は舐めるたびに「苦っ!」という思いをします。
更に「おまえは会稽山の恥を忘れたのか」と自分に言い聞かせる事で、憎き呉に対する復讐を誓いました。
その結果、越王勾践は呉王夫差にリベンジする事に成功しました。まさに、越王リベンジャーです。
呉王夫差を自殺に追い込み、呉国を滅亡させました。
この功績により越王勾践は覇者となりました。
この復讐劇が臥薪嘗胆の語源となります。
つまり、臥(ふせる→寝る)のは、薪の上、嘗のは、苦い胆という意味です。
つまり、「臥薪嘗胆」とは、目標を達成するために苦労や困難に耐え忍ぶことを意味する言葉になったのです。
ちなみに、呉越は常に憎しみあって戦ったことから仲が悪い例えによく使われます。
しかし、『孫子の兵法書』の中に、
「呉人と越人、相い憎むこと篤し。
然れども同舟に乗り、風に遇えば、相い救うこと左右の手のごとし」
という一文があります。
これは、「呉と越は互いに憎み合っているが、もし同じ船に乗り合わせて嵐に遭遇すれば、互いに助け合わざるを得ないだろう」という意味です。
この一文から、「呉越同舟」という四字熟語が生まれます。
つまり、仲の悪い者同士が、共通の危機に遭遇した場合、協力し合わざるを得ない状況を表す言葉として使われるようになりました。