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第七話 王冠に導かれて

サグドラ国、百合の間。

淡い水色の壁紙に白い百合のレリーフが美しく彩っている居室である。天井のシャンデリアが朝日を反射してキラキラと輝いている。其処は代々赤子の部屋として使われていた。

部屋の中央にベビーベッドが配置してあり、その中で悠は眠っていた。頰には涙の跡が残り、先ほどまで泣いていた事が分かる。

その近くでメイドが二人コソコソと会話している。


「やっと泣き止んだわね」

「泣き疲れたのでしょうね、山羊のミルクも乳母の乳も飲まないし…やっぱり母親が居ないと…」

「それなんだけど…私知ってるの…離宮に監禁されてた人が多分母親で、王太子殿下が毒殺しようとしたみたいで。私危うく片棒担がされる所だったのよね…」

「えっ?!じゃあもう母親は…」

「それがね、生きてたの。毒と別の物を間違えたのかしら。でもその後は分からないわ…生きているのかしら…」


二人のメイドは気の毒そうに、眠る悠を見つめた。その内の一人は離宮に監禁されていた真理衣にティーセットを届けた者だった。名をナタリーという。




***




一夜明けて、宮殿に神官が派遣される日。

ディートハルトの部屋のソファを借りて眠った真理衣は身体をグッと伸ばした。バキバキと関節から音が鳴る。


「これに着替えて下さい。神官服と靴です」

「ありがとうございます」

「あと、念のため瞳の色だけ変えさせて頂きますね」


ディートハルトはそう言うと真理衣に向けて変身の魔法を掛けた。真理衣の瞳の色はこの国では珍しい為目を引かぬように変える必要があった。

用意された衝立の向こうで、真理衣はディートハルトに手渡された神官服に身を包んだ。女性用の神官服は白いワンピースで、踝までの丈がある。その上にスカプラリオと呼ばれる肩から前後にぶら下げる長方形の衣装を着用する。こちらも丈は長く、前後共に踝くらいまでの長さがあった。黒い生地はしっとりと艶やかな肌触りで縁に金の刺繍が施されていた。腰紐も金糸で縁取られた華美な物を使用する。

真理衣は《ユール神のツノから創られし王冠》を装着してからウィンプルを頭に被り、形を整える。こうしてしまえば王冠は見えない。靴は柔らかい子羊の革で仕立てられた上質な物であった。


「悠、待っててね…」


真理衣は気を引き締め、衝立の向こうへと出た。

ディートハルトとヨシュアが振り返る。二人はウィンプルの代わりにフード付きのローブを着用していた。男性神官の正装である。


「準備できたようですね」

「…はい。ヨシュアさんも一緒に行くんですね」

「ええ、僕も宮殿に興味があったので」


欲しい情報が手に入るかもしれないし、とヨシュアは心の中で付け足した。

教会前の道に、馬車が6台用意されている。宮殿からの迎えであった。

宮殿へ派遣される神官が一列に並び、馬車に乗っていく。神官は真理衣を含めて12人。これはメインの塔を囲む小塔の数と同じである。宮殿の礼拝に必要な人数であった。

真理衣はディートハルトと同じ馬車に乗り込んだ。ヨシュアは別の馬車に乗る。


「一応マリーさんにも、礼拝の儀式で役割があると昨日説明しましたね?」

「はい、花を掲げてディートハルトさんの右隣に座っている…でしたよね?」

「立膝でお願いしますぞ。その際、顔を伏せておけば大丈夫でしょう」


真理衣は静かに頷く。

そしてごく小さな声でディートハルトは続けた。


「その後、神官長以外は退室する機会があります。豊穣の祝詞が終わったら我々は退室して、神官長が王族と会話します。その間に、」

「ええ。その時に探すんですね」

「時間はそう取れませんぞ。長くて30分ですな」


ガタゴトと馬車は走り出す。

昨夜真理衣が来た道を、彼女は中から眺める。

相変わらず路地裏には痩せこけた人々が蹲っていたり、寝転がっている。


「力無い民から倒れて行くのですよ」

「…どうする事も出来ないんですか?」

「この国の権力者が変わらない限り、何の変化も無いでしょうなぁ」


あの王族が心を入れ替えて民を助けるとは到底思えず、真理衣は昨日の少女や倒れる人々からそっと目をそらした。




宮殿前に馬車がゆっくりと停車する。

真理衣は緊張で詰まった息を細く吐き出した。

ディートハルトの後に続き、真理衣はコツンと石畳に足を付け、真っ直ぐに前を見据えた。

路地裏とは正反対の煌びやかな宮殿。騎士によって門が大きく開かれ、近衛兵を先頭に神官達が二列に並んで庭園を進んでいく。どんどんと近づく宮殿に、真理衣の花を持つ手の震えが止まらない。どうか悠が無事でありますように、と彼女は祈った。



「神官の皆さま、よくお越し下さいました。暫しこちらでお待ちを。すぐ隣の礼拝堂に王族の方々が在わします」


先頭を歩いていた近衛兵が一つの部屋に案内する。


用意された椅子に腰掛け、真理衣は考える。

あの時悠は百合の間に連れて行かれたようだった。その場所さえ分かれば良い。しかしこの広い宮殿の中を一室ずつ探す事は出来ない。不審がられる上に、帰りは神官たちと共に脱出しないといけないのだ。


「皆さまお入り下さい」


近衛兵の言葉で、神官達は再び二列になって隣接している礼拝堂に入って行く。礼拝堂の奥に王族が並んで座っていた。

神官長が頭を下げるとそれにならい神官全員が頭を下げる。真理衣も慌てて頭を下げた。


「これより豊穣の祈願を致します」


神官長がそう言うと、ディートハルトが真理衣に目配せする。真理衣は待たされていた赤い花を掲げて立膝をつき、顔を伏せた。ディートハルトも同じ体勢を取っていたが手に持つのは野菜だ。

代表の神官が祝詞を唱える。古代語で紡がれるその言葉は真理衣には理解できなかったが、厳かな雰囲気に満ちて礼拝堂に響いた。

暫くして静寂が訪れ、神官長が深く頭を下げた事で豊穣の祈願が終わった。

ディートハルトに視線で促された真理衣は神官達と退室する。そこからは時間との勝負であった。


「ディートハルト殿、僕がマリーさんと同行します。これを持っていて下さい」

「ああ、頼んだぞ。時間が来たら伝える」


ヨシュアがこっそりとディートハルトに魔道具の小型通信機を手渡す。ディートハルトはそれを神官服の中に手早く仕舞うと素知らぬ顔で椅子に座った。


真理衣とヨシュアは他の神官に手洗いに、と会釈して控え室を後にする。


「騎士殿、この神官が手洗いに行きたいと申しておりまして」

「ではこちらへ。ご案内します」

「彼女は少し足が悪いので、僕も付き添います」


部屋の前にいた騎士にヨシュアはペラペラと嘘を並べ立て、手洗い場まで同行した。


「どうぞ」

「…ありがとうございます」


騎士と真理衣の背後でヨシュアが手早く魔法を放つ。それは騎士に当たり、彼はふらりと一瞬揺れると手洗い場の入り口で直立不動になった。騎士の目はぼんやりと宙を見つめている。


「え?何をして??」

「暗示が効いているうちに行きますよ」


さっさと歩き出したヨシュアの後に真理衣が続く。

そんな彼女の米神に刺激が走り、彼女は立ち止まった。ヨシュアの向かう方角が違うと感じるのである。王冠が熱を持ちはじめ、真理衣はヨシュアを引き留める。


「こっちが良いです」

「マリーさんどうしたんです?」


真理衣が突然進行方向を変えた事に、ヨシュアは怪訝な表情を浮かべた。

王冠は意思を持っているように真理衣を導いた。真理衣は確信している。この先に悠が待っている、と。

豪華な回廊を迷いなく歩いて行く真理衣に、ヨシュアはいよいよ疑念を抱く。彼女はすぐに離宮に監禁されたと言っていたはずなのに何故道順がわかるのか。

そんな彼の耳に何処からか赤子の泣き声が聞こえてくる。


「ヨシュアさん、ここです」


百合の花が彫刻された重厚な扉の前で真理衣は立ち止まった。ヨシュアは作り笑顔を浮かべる。


「よく分かりましたね」

「…泣き声も聞こえましたし…私、直感力が優れている方なので」


真理衣の怪しい言い訳に、ヨシュアは追求せず扉越しに中の気配を探った。大人が1人と、小さな命の気配。


「開けますよ」


真理衣は扉をぐっと押し開けた。

ウィンプル:修道女が被っている女性用頭巾

スカプラリオ:修道士が着用している肩から前後にぶら下がっている衣装

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