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第二十三話 王都と忍び寄る影

アルベルトは今更ながら己の天幕に初恋相手を連れ込んだ事に気が付き、表情筋がピクリとも動かない事に初めて感謝した。もし動いていたら大層緩み切っただらしない顔を見せる事になったであろう。

アルベルトは気持ちを切り替える為に一つ咳払いをする。


「神器を所持している事を知ってしまった以上、このままマリーを警備の甘い所に居させる訳にはいかない。私とルクスブルトクへ来て欲しい」

「元々救護団は王都へ行く予定でしたし、それは大丈夫ですけど…」

「いや、看護団からは抜けて貰う事になる。宮殿の一室を用意する」


暫し真理衣は沈黙した。きゅうでん?宮殿って言ったかこの人。真理衣は大いに動揺した。

いかに王制とは無縁の国出身だろうと、流石に場違いなのは分かる。この国の常識もまともに知らないのに、うっかり何かしちまって首が飛んだらシャレにならない、と真理衣は断ろうとした。


「いえ、私は教会で大丈…」

「すまない、決定事項だ。警備上教会では不十分なんだ。マリーの身の安全の為に宮殿に来て欲しい…不自由はさせない。何かあれば私が直ぐに如何にかするし、侍女も付ける」


食い気味に真理衣の言葉を遮ったアルベルトは真理衣の頬にそっと触れ、畳み掛ける。引く気が無いアルベルトの様子に真理衣は眉を下げた。気持ちに蓋をしたと言っても、少なからず好意を抱いている相手にここまで言われたらもう断れまい。


「分かりました…」

「では明日、私と共に出立するように」

「えっ?明日ですか?!」


てっきり救護団に合わせて移動すると思っていた真理衣が素っ頓狂な声を上げる。

アルベルトは一つ頷くと理由を述べた。


「先程、神器で怪我人を治療しただろう?異常なまでの治癒効果だ。それが朝になれば皆が知る事となる。情報が漏れれば漏れるだけマリーの身の安全が脅かされる」

「う…分かりました」


異常なレベルの治癒効果というのは真理衣も認める。

ユールさん、アンタ何てモン作ってんのさ。真理衣はこの先己がどうなるのか不安に思いながらも、何とかなるだろうと楽観的に気の抜けた笑みを浮かべたのだった。




***



早朝、重症人たちの天幕で人々が騒めいている間にアルベルトと真理衣は王都へと出立する事になった。真理衣は持ち物と悠の授乳を済ませアルベルトと共にひっそりと天幕を後にする。

朝の澄んだ空気や草木の匂いに真理衣は少し清々しい気持ちになった、が。


数分後、真理衣は緊張に身体を硬くし悠を抱っこ紐の上からぎゅっと抱きしめていた。彼女は生まれて初めて馬に乗っている。馬に乗っている緊張感なのか、はたまた背後に居る存在に緊張しているのか。真理衣は両方だな、と手綱を握る大きな手を見つめた。真理衣の身体を後ろから包む様に伸びる騎士服を纏った腕は逞しく、背中にたまに触れる体温は彼のものだ。真理衣はアルベルトの腕の中で、熱を持つ頬を誤魔化す様に一定の速度で流れてゆく景色を眺めた。


「もっとこちらへ身体を預けると良い」

「や、でも」

「まだ先は長い。体が保たない」


ぎこちなく頷くと、真理衣はそろそろとアルベルトの胸に背を完全に預けた。真理衣よりも幾分高い体温に彼女の心拍数が自然と上がる。其れはアルベルトも同じである。厚手の騎士服の上からでも、真理衣の身体の柔らかさに気付いた彼は若干視線を泳がせた。

馬上で暫し無言になる二人を気にもせず、悠はくありと小さな口を開けて欠伸を溢した。まろい頬がぷるんと揺れ、真理衣はそれに目を細めた。馬の揺れも手伝ってか、悠は夢の中へと旅立つ。


「寝たのか?」

「ええ、揺れがちょうど良いようで」

「赤子というのは可愛いらしいものだな」


アルベルトは真理衣の頭越しに悠の寝顔を見つめぽつりと溢した。

首筋にアルベルトの吐息を感じ、真理衣は羞恥により耳も首も赤く染めた。其れを見たアルベルトは彼女が己を少なからず意識している事に気付き喜びを感じる。

アルベルトの脳裏にイマジナリーメルヴィンが現れ、距離を縮めろと彼にささやいた。


「…マリーは前にいた世界でどんな生活をしていたんだ?君の事が知りたい」

「前の世界、ですか」


アルベルトは貴族特有の回りくどい物言いが苦手な事もあって、直球で真理衣に問いかけた。

真理衣は何から話そうと視線を彷徨わせる。


「そうですね…魔法は存在しなくて、代わりに科学とよばれる技術が発展した世界でした。空を飛ぶ乗り物もありましたし、蝋燭の代わりに電気を使用した照明器具で部屋を照らしたり、蛇口を捻れば水が出たり…とにかく便利な世界でした。此方もそこまで不便ではありませんけど、魔力が無い私ではやっぱり違いは大きいですね、他には…」


真理衣はざっくりと日本での生活や社会の成り立ちなどを説明した。貴族社会が無い事や小中高大の教育機関にアルベルトは興味を示した。後日メルヴィンに平民向けの学校の設立を提案するか、とアルベルトは真理衣の世界に少しでも近づけようと考えた。


「マリーは魔力が無いんだったな。教会は魔道具の数が少ないから不便だったろう…」

「まぁ、でも実はユールさんが色んな物を収納出来る指輪をくれて、この中に前の世界で使っていた浴室とか色んな物が入ってて困ってはいないんですよ」


真理衣はにこりと笑うと指輪をアルベルトへ見せた。アルベルトは真理衣の右手の中指に嵌る指輪をじっくりと観察した。指輪についている琥珀に似た石はカボションカットの形状に削られ、ユール神の持つと言われる金の瞳を連想させる輝きを持っている。


「随分と親しげに呼ぶのだな、神なのだが…」


アルベルトは真理衣のさり気ない言葉に聞き捨てならない単語を聞いた気がし、聞き直した。ユールさん、とは。


「あ、ちょこちょこお喋りするお茶友みたいな感じです」

「おちゃとも…」


アルベルトは呆然とした様子で真理衣のセリフを繰り返した。真理衣は其れがこの世界の住人にとって、如何に衝撃的な事であるか知る由もない。

この世界で唯一、ユールの神託を得られるとされる人物はただ一人、西大陸にあるポリネト王国に座す教皇のみであった。各国の王ですら一目置く人物。神託以上の事を神官見習いである真理衣が行なっていると知れれば…。


「マリー、ユール神と友人である事は決して口外してはいけない、争いの種になりかねない」


アルベルトは真理衣にユール神との関係を決して漏らさない様に警告すると、己もこの事を墓まで持っていこうと決意した。

真理衣は何か不味い事言ったかな、とイマイチ顔色の良くないアルベルトをそっと伺い見た。コホンと一つ咳払いしたアルベルトは話題を変えようと困惑顔の真理衣に問いかける。


「家族や友人は。…あ、いやすまない、酷い事を聞いた忘れてくれ」


二度と会えないと聞いていた人々について触れてはいけない、とアルベルトはうっかりと漏らした問いかけを訂正した。

しかし真理衣はほんのり笑うとアルベルトの目を真っ直ぐ見つめて、大丈夫と言った。


「皆んなの話をすれば、きっと母と父や友人の…思い出を忘れずにいられますから」


それに全てを失ったわけじゃない、と真理衣は腕の中の眠る娘を愛しげに見つめた。アルベルトはそんな彼女の気丈さに心臓を鷲掴みにされた心地になった。

真理衣は父母との思い出や、友人との失敗談、色んな事をアルベルトに聞かせた。彼女の中に残っている寂しさも、叶う物なら帰りたいという願いも、思い出を語る中で優しく昇華されていった。


「優しい家庭で育ったんだな」

「家庭にも友人にも、とても恵まれてました」


アルベルトは聞けないでいた。真理衣の話の中に全く彼女の夫の話題が出ない事に。

しかしここまで聞いたら、もう少し踏み入ってしまいたい気持ちが彼の中で大きくなる。恐る恐るアルベルトは口を開いた。


「ユウの父親、というか…うん。マリーの夫君はどんな…」

「アレはもう離婚しているので、思い出にすら残したくない男でした。ええ」


間髪入れずに真理衣から鋭く冷ややかな声音が漏れて、アルベルトは思わずビクリと震えた。


「あ、すみません。アルベルトさんに怒ったわけじゃないですよ。元夫は私が一人で悠を産んでる間に不倫をするような不誠実な男だったもので、つい怒りが」


ほんとクズ、とボソリと真理衣が呟くのを見て、アルベルトは知りたかった情報を得て喜べば良いのか真理衣の怒りを鎮めるのが先かと悩んだ末に、真理衣の髪の毛を一房手に取りキスを落とした。


「つまり遠慮は要らない、という事だな」


アルベルトは溢れる喜びを噛み締めながら笑顔を浮かべた。彼にとっては満面の、しかし側から見れば微笑んだ程度の。女性を遠ざける内に無表情になっていった彼が、女性を目の前に凝り固まった表情筋を動かした瞬間であった。

真理衣はアルベルトが微笑んだのを見て、その美しさに衝撃を受けぽうと見惚れた。


いつの間にか入っていた王都ルクスブルトクのメイン通りの中央で見つめ合う二人の間で、悠がふにゃぁと泣き始めた。



*****


ヨシュア・グレッツナーは淡い茶髪を他靡かせ、ローブ姿の男を追跡していた。第一アナテマ騎士団の同班の者は別の侵入者の尋問を行なっている為、追跡しているのは彼ただ一人である。宮殿近くに身を潜めていたローブ姿の男を彼が見つけたのは偶然であった。フードを深く被っている為顔は見えない。

余程の実力者なのか、それなりに能力のあるヨシュアの追跡を交わすその様子に、彼の焦りがピークに達する。雷に似通った青白い攻撃がヨシュアへ向け放たれ、彼は慌ててそれを避けた。バチバチと石畳が焦げ付き広範囲に及びひび割れる。ヨシュアは魔力の塊を直接投げつけてきた相手を鋭く睨みつけた。威力を見れば相手がヨシュアよりも強い事が分かってしまった。

応援を呼ぼうにも、相手の隙が無い為に其れも叶わない。


「おやおや、たった一人で私を捕まえるつもりとは大したものだ」


ローブの男から発せられた、ねっとりと気持ちの悪い声音にヨシュアは舌打ちをした。明らかな挑発に不快感が押し寄せる。


「随分と安い挑発ですね」


ヨシュアは額に青筋を浮かべ相手を睨みつけた。しかしその表情は微かには強張っており、相手は愉快そうに嘲笑った。


「いやはや、それにしても地震によってルクスブルトクまでこんな有様とは、貴国は大変だなぁ?平民なんぞは食う物にも困っているだろうなぁあはははははッ」


完全に崩れた建物や、手当ての追いつかない負傷者のうめき声。石畳はあちこち捲れ酷い有様である。火災による被害も出ており、多くの家が焼けてしまった。

男の言う通り、地震の被害によりルクスブルトクはこれまでに無く物資の流通も救助の為の人員も不足している。西にある同盟国のスロバニア王国からに救援物資でどうにかなっている状況であった。


男が掌に魔力の塊を纏わせるのを見たヨシュアは、己も手に魔力を纏わせ片足を引き腰を落とした。

ヨシュアは姿勢を低くしたまま、魔力の塊を炎に変換し男へと拳を振りかぶった。炎が尾を弾き拳の動きと共に凄まじい熱気を放つ。

ローブを翻しヨシュアの攻撃を避ける男の口元は笑みを形どり余裕を感じさせる。ニヤニヤと笑みの崩れない様子にヨシュアは額に冷や汗を滲ませた。


ゴオォォォォッォオッ


魔力出力を最大限に上げたヨシュアは、左手で魔道具の小型通信機を手繰り寄せ攻撃を繰り返しながら応援を要請した。


「こちらヨシュア・グレッツナー!戦闘中!応援求む!!」

[こちら二班、場所は!]

「宮殿の…ッぐアッ!!?」


ヨシュアの通信を妨げる様にローブの男は氷柱を地面から出現させ、ヨシュアを地面から突き上げる。氷柱はヨシュアの腹へめり込み、彼は宙に放り出された。


[応答せよ!おい、無事か!?ヨシュ…]


バキッ


ローブの男はヨシュアが取り落とした通信機を踏み潰し、ニタリと嗤った。少し離れた場所に墜落し気を失ったヨシュアを蔑む様に見た男は呟く。


「さてさて、ご報告に参りましょうかねぇ。今が好機だ、と」


そして男はその場から消えた。

戦闘シーンむっず。

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