第二十一話 自覚する想い
アルベルトは天幕の中に居る真理衣に想いを馳せつつ、騎士団員に指示を出した。
今すべき事は彼女について考える事では無い。強制的に真理衣を頭から追いやるとアルベルトは苦しむ民を救う為動き出した。
アルベルトの指示により騎士達が倒壊した建物を取り囲む。
「あっちにも人が下敷きになっているぞ!」
「おい、誰か浮遊魔法得意なやついるか?!」
「ちょっとそこ下がれ!瓦礫が危ねぇぞ!」
魔法が得意な者と連携し、騎士達は怪我人を瓦礫の下から引っ張り出し、神官達の待つ救護室へと次々と運び込んで行く。
救護室にしている天幕は合計八つある。その内の一つの天幕に収容させていく怪我人の出入りが妙に早い事にアルベルトは気付いた。他の天幕も想定していたよりも患者の回転が速く、良い誤算であった。
不思議に思ったアルベルトは、確認に向かおうとしてその足を止めた。アルベルトは騎士団の指揮を取る必要があるのだ。彼はかぶりを振ると近くを通った部下に命じて確認に行かせた。
重症患者を主に扱っている天幕にて、十数人の神官達は次々と運び込まれる怪我人に悠の残り湯を掛ける作業を行なっていた。残り湯と言うのは心象が悪い為、神官達の間で“治療水”と呼称されるようになった。治療水は重症患者に優先して使用されるが、腕が切断されていたりする大きな破損には効果が無いようであった。量は怪我の重症度により異なる為、患部の様子を確認しながら調整する。さほど酷くない怪我には一般的な消毒薬と包帯で処置する。
アメリアは真理衣と別の救護室で作業し、エレナとオリヴィアは炊き出し用の食事を作る係に回されていた。真理衣が配置された救護室には高齢の神官が多く配置されていた。各天幕には治療魔法を使用できる神官が一人ずつ配置されている。
患部に治療水を掛ける力の不要な作業である事が大きい。真理衣が配置されたのは追加で残り湯を作らされているからである。
天幕の片隅でビニール素材のお風呂に湯を張り、延々と悠を漬ける真理衣。
初めこそ珍しい素材の風呂に興味津々だった神官達であったが、次々と運び込まれる怪我人を処置するのに忙しくなると誰も真理衣に深く聞いてくる事は無くなった。アメリアと同じ天幕に配置されたら少しは会話をしながら作業出来ただろうか、と真理衣は湯の中で手足をバタつかせる悠を洗いながら寂しく思った。
悠の出汁がたっぷり出たであろう湯を空になった瓶に詰めていく。風呂が好きな悠であるが、流石にもう良いんじゃない?とでも言いたげな表情を浮かべていた。風呂は赤子にとって体力が必要なのである。
真理衣が悠をバスタオルに包みその身体を拭いてやっていると、彼女の視界にブーツと騎士服の裾が入り込んだ。真理衣の心臓が大きく鼓動し、彼女はゆるゆると視線を上に辿りそして落胆してしまった。
ダークブラウンの短い髪を刈り上げた二十代と思わしき騎士が真理衣の直ぐそばに立っている。瞳の色は濃紺で色味の地味さから真理衣はそこに日本人に近いものを感じ親近感を抱いた。顔は完全に外人顔であったが。
一瞬アルベルトが来たのかと、真理衣は期待していた己を阿呆かと思った。そもそも文通も彼の気紛れに過ぎないのだ。わざわざ恋人でも無い真理衣に会いに来るはずがない。彼女は己を嘲笑した。
「作業中に邪魔して悪い、これは何を詰めているんだ?」
「えっと…この子の入ったお風呂の残り湯です」
一瞬答えて良いものかと悩んだが、騎士に悪い人間は居ないだろうと真理衣は正直に話した。
騎士は不思議そうに満タンになった瓶を眺める。真理衣は補足の説明を入れた。
「この子の魔力が特殊なんです。治癒魔力がお湯に溶け出る性質みたいで…」
「成程、それでこの天幕だけやたら怪我人の治療が早いのか」
「一応他の天幕にも運んでますけど、ここで作っているので少し違いが出ているのかもしれませんね」
「良く分かったぜ、ありがとう。これで殿下の疑問も解消されそうだ」
「はぁ…」
殿下とはやはりアルベルトの事だろうか、と真理衣は悠をバスタオルに包みながら考えた。悠の身体に残った水分を拭き取りベビー服を着せる。悠を優しく籠の中に横たえた真理衣は残り湯を瓶に詰め始めた。
騎士は真理衣に再度礼を言うと足早に去っていった。
愚図る悠をあやしながら、真理衣は無心で瓶に残り湯を詰め全てを満たし終えた。これから木箱を各天幕に運ばねばならない。悠を放置するわけにもいかず、真理衣は抱っこ紐を取り出した。
「木箱重いからなぁ…悠ちゃんはおんぶだな」
我が子を負ぶった真理衣は、抱っこ紐が負んぶに対応出来るタイプで良かったとしみじみ思った。
首が座った為安心して負ぶう事が出来るのは幸いであった。
両手で木箱を持った真理衣は、天幕の外へと一先ず全て運び出し一箇所に纏めて置く。
「他の天幕に治療水届けて来ますね!ここの分は西側の隅に置いてありますので!」
「はぁい、お願いするよ」
作業中の神官達に大きな声で伝えると、真理衣は箱を一つづつ運び始めた。悠を背負っている為背後にも注意しつつ運ぶ必要がある。地震の被害により舗装されていた地面の石畳はぐらついている部分もあり、真理衣は歩き辛い道をヨロヨロと不安定に進んで行った。
「うー、台車欲しいなチクショう…いや道がガタガタだから寧ろ軍手のが良いのか?クソう、手が痛い…」
酷く重い其れに真理衣の口調も荒んだ物になる。慎重に進んでいた真理衣だったが、木箱の陰で見えなかった剥がれた石畳に爪先を引っ掛けてしまった。大きく前に振れる身体。悠は背中側であるが、安心は出来なかった。折角詰めた治療水も無駄になってしまう、そう思った為木箱から手を離す事が出来なかった真理衣はぎゅっと目を瞑った。
瓶の割れる音も痛みも来ない事に真理衣は不思議に思ってから、己の腹に回された腕に気付いた。
彼女が倒れそうになった時に丁度近くを通った騎士が彼女の身体を受け止めたのである。それは先程彼女に治療水について聞きに来た騎士であった。
「大丈夫か?手伝うぞ」
「助けて頂いてありがとうございます。でも騎士さんは他にお仕事があるんじゃ?」
「これ運ぶだけならそんな時間取られないから文句言われないと思う。それに治療水の運搬は重要な仕事だろ」
真理衣は騎士の言葉に少し迷いながら頷いた。
「あと七箱あるんですが…一緒に運んで頂けます?」
「任せな!俺から助けるって言ったんだからな。あ、俺サイラス。平民だから敬語じゃなくていいぜ」
「そう、ありがとう。サイラスさん」
「応よ」
サイラスは真理衣が天幕の外に一纏めに置いておいた木箱の元へ走って行くと、軽々と二箱両脇に抱えて真理衣の元へ戻って来た。騎士と言うに相応しい腕力である。そして二人は揃って届け先の天幕の方へと歩いて行った。
少し離れた所で、一部始終を見ていたアルベルトは胸が騒つくような激情に駆られていた。部下に対するその暗く澱んだ感情に彼は戸惑った。彼の胸の内を支配するのは焦燥と怒り、そして憎しみ。それはじわりじわりと彼を絡め取っっていった。二人が見えなくなるまでアルベルトはその後ろ姿を凝視していた。己でも気付かぬ内に強く握りしめた掌に爪が食い込む痛みで、アルベルトは漸く彼女らから視線を外すと止めていた息を吐き出した。
「何なんだこれは…」
アルベルトは己の感情を分析し始めた。平民出のあの部下に今まで負の感情を抱いた事は無い。寧ろ良い働きをすると報告が上がってきており評価していた筈だった。何故今、彼に不快な感情を抱いたのか。
転びそうな真理衣を見て怪我をするのではと不安に駆られた。其れを支える部下に良くやったと言いたい気持ちと別の感情が同時に沸き起こったのだ。其れは何故?
マリーに彼が触れていたから。
では、何故其れが不快に感じた?
_____其れは私がマリーの事を。
アルベルトは思わず己の口元を掌で覆った。色白の彼の頬がじわじわと熱を持ち赤みを帯びる。無表情で顔を赤く染める上司の姿に、通りかかった騎士達はギョッとした表情で歩みを止めた。
「これが…恋…」
其れはアルベルトが無意識の内に感じていた好意が、確かなカタチを持って現れた瞬間であった。
アルベルトは呆けた様に己を凝視する部下達に指示を飛ばすと、再び思考の海に潜って行った。
彼女との身分差?そんな物権力でどうとでもなる。兄に話を通しても悪い事にはなるまい。
彼女に夫が居るのでは?
そう思い出した瞬間見た事もない真理衣の夫に対し、アルベルトの殺意が向いた。
いや待て、彼女の夫は異世界にいる筈だ。其れは存在しないのと同意義ではなかろうか。
つまり、目下の目標はマリーの心を手に入れる事である。
だが其れで充分なのだろうか。彼女が夫に未練があったら?
_____何がなんでも彼女を逃すわけにはいかない。
この日、遅すぎる初恋を自覚したアルベルトは、ガンガン外堀を埋めようと決意した。
なまじ権力が有るだけに手に負えない厄介な生き物へと進化したのである。




