第十七話 思わぬ提案
真理衣は目の前に置かれた紅茶にミルクを入れ、ティースプーンでそっとかき混ぜる。金茶色と白が混ざりゆく様子をじっと見ながら、これ以上不味いことを聞かれない様に話題を探すがその前にアルベルトが口を開いた。
「誘拐とは…無事に逃げられて幸運だったな」
「ええ、本当に幸運でした」
真理衣は眠る悠の頭をそっと撫でながら微笑む。あの悪趣味な王族達から逃げられたのは本当に幸運な事であった。
なぜ真理衣が王都へ来たのか、報告が未だ上がっていないのが気になりアルベルトは尋ねる。
「王都には何の用事で来たんだ?」
「魔法管理庁にこの子の魔力を登録したんです。ちょっと珍しいらしくて…」
「なるほど…」
アルベルトは真理衣の様子を観察し、これは間諜の線は消えたな、と表情を緩める。そもそも間諜であるならば、サグドラ国に居た事をわざわざ言うはずもなく、教会から不穏な報告も上がって来ていない。魔法管理庁に認められるほど珍しい魔力を保持しているならば、サグドラに誘拐されるのも頷ける。
真理衣はケーキを食べ切ってしまい、残った紅茶をチビチビ飲む。紅茶も残り少なくなってしまった。彼女は自分の事から話を晒そうと、話題を変えた。
「図書館の所でお会いしましたけど、本がお好きなんですか?」
「ああ。時間がある時は読むようにしている。だいたい寝る前だな」
「寝る前の読書良いですね!私もこの国の文字が読めたら図書館でたくさん読めるんですけどね…」
言葉が分かるなら文字も読めたらよかったのに、と思いながら真理衣は眉を下げて笑った。
そんな真理衣にアルベルトは彼女の思いもよらぬ提案をする。
「では私が君に文字を教えよう」
「えっ?」
「これも何かの縁だろう」
「いや、あの私またコルン教会に帰るので教えて貰うのは難しいと思います」
「ふむ…なら、文通をすれば良い。文章を解読し、返事を書く事で早く上達するだろう」
良い事を思いついたとばかりにアルベルトは一つ頷いた。困惑したのは真理衣である。
文字はアメリアの時間がある時に少しずつ教わっていたが、中々思うように覚えられず亀の歩みほどの進捗であった。そんな真理衣が文通など中々に難しいであろう。
「近くに文具店があったな、便箋も置いてあるだろう。貴女も飲み終わった様だし寄ってみるか」
真理衣が空のティーカップをソーサーの上に乗せるのを確認したアルベルトは立ち上がる。真理衣はいつの間にか自身の背後に回っていたアルベルトにギョッとした。椅子の背もたれに手を掛ける彼は真理衣が立つのを待っている。
これはもう行くのが決定してるやつだ、と真理衣は諦め立ち上がった。よっこいせ、と真理衣が荷物を肩に掛けている間にアルベルトが店主の元へと向かう。
「美味かった」
「ご利用ありがとうございました」
店主に硬貨を渡そうとしているアルベルトに、真理衣は慌ててそれを制止する。
「ちょっと待って下さい。支払いは私が」
「いや、女性に払わせるのはマナー違反だ」
「駄目ですよ。昨日のお礼ですから!」
真理衣は巾着袋からこの世界の硬貨を一枚取り出す。教会からの給料は月末払いのため未だ貰えておらず、この硬貨はアメリアから借りた物である。教会から給料が支払われる事に驚いたなぁ、と真理衣は思いながらお茶代の支払いを済ませた。
アルベルトは真理衣に押し切られる形で支払いが済んだ事に、今までの常識の枠を外された気がした。嘗て女性からお礼に、と言われ共に食事をしたものの結局のところマナーとして男性が支払うのが当然とされてきた。アルベルトとしてはそれがこの国の常識として通っていた為特に何も思わなかったが、今回真理衣がこうして本当に支払ってしまった事に彼は驚いた。
「…馳走になったな」
「いえいえ、お礼なので当然ですよ。あー、えっと…じゃあ行きます?文具店」
真理衣は気乗りしないながらも、アルベルトに問いかけた。アルベルトは一つ頷くと、真理衣に腕を差し出す。真理衣は首を傾げアルベルトを見上げた。
「えっとこれは?」
「…エスコートだ。この国では男女が共に歩く際は男の腕に女が手を乗せる」
「えええ…」
微妙そうな表情の真理衣に、アルベルトは有無を言わさず荷物を彼女から取り上げると己の腕に真理衣の手を乗せさせた。その間僅か5秒の出来事である。
「えっ、???」
店入る前はしてなかったじゃん、という真理衣の心の呟きは届かない。
「店はこっちだ」
道ゆく人々の好奇の視線が真理衣へ突き刺さる。中には真理衣を品定めする様な視線も混じっていた。
うわ帰りてぇ、真理衣の目が死んだ。
古くからある文具店は、溢れんばかりの様々な品が並び、真理衣は好奇の視線を忘れ瞳をキラキラさせてそれらを眺めた。孔雀の様な極彩色の羽を使用した羽ペン、鮮やかなガラスペンもあり、便箋や封筒、絵画道具も山のようにあって彼女の目を楽しませた。真理衣が夢中になっている内に、アルベルトはシンプルなデザインの淡い緑色の封筒と便箋を購入する。
アルベルトは目を輝かせて色んなものを手に取る真理衣を少し離れた所から見た。片手で軽くポンポンと赤子をあやす様に叩きながら、真理衣は楽しそうに笑みを浮かべている。
彼女の様子を見ていたアルベルトは胸がムズムズとする様な感覚に戸惑った。何だこれはと思いながらアルベルトは買ったばかりの品を真理衣に差し出す。
「これを使うと良い」
「えっ、自分で払いますよ!」
「もう支払った」
「そんな、悪いですし…」
「私は余るほど持っている。これ以上増やすと困るから受け取って欲しい」
真理衣の手に押し付ける様にして、アルベルトは封筒と便箋の入った袋を渡した。真理衣は困った様に眉を下げ、それを受け取る。
「…ありがとうございます」
真理衣はただただ申し訳なさに身を縮こませた。
「騎士団宛に送れば問題なく私に届く。…と言っても分からないか。先に私から送るからそこに書いてある地番を書いて返信すれば良い。貴女の部屋の鍵のタグを見せてくれ。教会に送っても同名の者が居ると分からないからな」
「あ、はい」
アルベルトは見せられた鍵のタグを見てそれを記憶する。真理衣は本当に文通すんのか?とアルベルトに胡乱げな視線を送った。アルベルトは何処となく満足そうにその視線を受け止め、真理衣の手を自身の腕に掴ませた。
この人初め殆ど喋らなかったのに時間の経過とともにやたら喋るな、と真理衣は死んだ目でアルベルトを見上げた。
その時アルベルトが持つ魔道具の通信機が震え、着信を知らせる。彼はハッとした様子で通信機を取り出す。魔石の上に第六零班の文字が踊る。彼は眉間の皺を深くした。
「どうした」
[休暇中に申し訳ございません。サグドラ国からの間諜を捕えました。合計五人です。これから尋問に移りますが、同席されますか?]
真理衣は初めて見る道具を興味深そうに見上げた。金属の枠に嵌った魔石が淡い光を放ちゆっくり点滅しており、それから微かに声が聞こえる。真理衣はしげしげとそれを観察して呟く。
「スマホみたいなもんか…」
暫く会話していたアルベルトが通信を切ると、真理衣に申し訳なさそうな声で謝罪する。
「すまない、仕事が入った」
「いえ、お仕事頑張って下さいね。封筒と便箋ありがとうございました」
「ああ。行ってくる」
「行ってらっしゃい」
アルベルトは真理衣に微かに笑いかけると、移転陣を使用してその場から消えた。ぽつんと残された真理衣は、アルベルトの空気が柔らかかった事とまるで夫婦の様な会話をしてしまった事に、羞恥心が湧き上がり暫し悶えた。
「悠ちゃん、帰ろっか…」
文具店を出た時に目覚めていた悠に微笑むと、真理衣は大聖堂へと歩いて行った。
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「ねぇねぇどうだったの?初デート!!!」
「いや、デートじゃないわよ?!!」
夕食後、待ってましたとばかりにアメリアが真理衣に詰め寄る。その目は好奇心で輝いている。
真理衣は苦笑すると今日の出来事を話した。
「きゃーっ!文通!!素敵じゃない!」
「いや何か流れでそうなったんだけど…私まだ文字全然書けないのよ?無理があるし…」
アメリアは困惑する真理衣をよそに盛り上がった。
「文字なら任せて!徹底的に教えるわ!」
「うん、教えて貰えるのは助かる…」
そしてあわよくば恋に発展すれば良い、とアメリアはニンマリ笑うと紙と羽ペンを手に取ったのだった。




