第十五話 アルベルト・フォン・サヴォイデン
宮殿の一室、夜の間。濃紺の壁紙に、銀色の蔦のレリーフが施されている涼しげな色合いの居室である。夜空の星などを描いた天井画が、夜の間と呼ばれる由来である。
そんな居室の持ち主であるアルベルトは、メルヴィンに強制的に取らされた休みを持て余していた。公爵位を持つ彼にも領地があるが、仕事の都合上宮殿で寝泊まりする事が多く子供の頃から使用しているこの部屋で主に生活している。
朝、彼は遅い時間まで寝ていようと計画したが、毎日の習慣とは恐ろしいものでいつも通りの時間に目が覚めた。朝食も済んでしまえば何をすれば良いのか分からず、アルベルトは途方に暮れた。
「うーん…」
アルベルトは取り敢えず剣を持ち、回廊を歩く。中庭に出て素振りをしようと思ったのである。中庭には綺麗に刈り込まれた木や、季節の花々が咲き乱れ、楽園かのような美しさを誇っていた。
アルベルトは暫し中庭の花を鑑賞してから剣を構えた。
風を切る鋭い音と、アルベルトの息遣い、洗練された動きを繰り返す彼に合わせて銀の髪がキラキラと木漏れ日を浴びて輝いている。
剣を振ること数時間。
アルベルトの腹が鳴り、そろそろ昼食でもと思い剣を下ろした所にメルヴィンが物凄い勢いで彼の元へ吹っ飛んで行く。ストレートなはずの髪は走った事によりあちこちに跳ねている。
「休めって言ったよなーーーー?!!!」
「兄上仕事はどうされました?」
「あ、兄上って呼んでくれた。じゃなくて!」
「休みを利用して鍛錬をしております」
メルヴィンが弟の職業病的思考回路に白目を剥いた。
「令嬢の一人や二人誘ってデートにでも行けよ!」
「婚約者でも無い女性を誘うのは私には難易度が高いです…」
「だったら婚約者探しでもしたらどうだ」
「兄上の世継ぎが産まれたら考えます」
メルヴィンと王妃ルイーゼの間に未だ子供は居ない。ルイーゼを愛するあまり側妃を置くことのないメルヴィンだが、世継ぎ問題は時を重ねる事に深刻になっていく。
「それ、ルイーゼには言うなよ…??まだ産めてないって自分を責めてるからな?絶対言うなよ?」
「失言でした…」
メルヴィンはアルベルトが何故婚約者を置かないのか理由を知っている。本人は語らないが、メルヴィンの王位を脅かすまいとしているのだ。
現在のメルヴィンは誰にも口出しをさせない程の強固な地盤を固めているが、王になる前は兄を推す貴族と、弟を推す貴族がいて面倒だったのである。
それに対しアルベルトは王位継承権を放棄し、一臣下へ降りこう言った。
____私は女が嫌いだ。だから誰の娘も娶らない。
己の娘を充てがおうと画策していた貴族らは仕方なく諦めた。常に無表情なのは、女を近寄らせないためであったが、現在では表情筋が機能していないのである。女性に冷たく接しているのも、女嫌いであるという言葉に信憑性を持たせた。実際のところは仕事ばかりで女の扱いが分からないだけである。
「そうだ、午後になったら街に出て散歩でもしたらいい!」
「はぁ…」
「ほら昼食をとりにいくぞ!」
メルヴィンは昼食を摂ると仕事へ戻って行った。アルベルトは再び一人になると、剣を持ち自室へと戻る。
「散歩か…」
メルヴィンの助言を受け、アルベルトは外出の支度を始めた。己の護衛騎士が警護の為着いて来ようとしたのを止めると、さっさと外へと向かった。
騎士団総司令官たるもの、己の身ぐらい守れるというものだ。
***
ふらふらと当てもなく散歩をし、街中を歩き回ったアルベルトは最終地点を王立図書館へと定めた。本を眺めてから帰ろうと思ったのである。ここにメルヴィンが居たらこう言うだろう、隠身の魔法を使って一日で街中を走り回る散歩など聞いた事が無い。
空はすっかり黒に染まり、月が顔を出していた。
アルベルトが図書館へ続く階段を登っていると、前方に神官の女性が二人笑いながら歩いていた。楽しげなその様子に、平和そのものを体現しているようで彼は人知れず微笑んだ。表情筋はピクリとも動かなかったが。
子供が階段を駆け降りてきたのにアルベルトは気づく。速度を落とす素振りの無い子供に、彼は危ないなと思った。
案の定子供はアルベルトの前方を歩く女性の一人にぶつかり、そしてそのまま気付かず駆けていく。
女性、真理衣の身体がゆらりと傾き階段を落ちていく。
「マリー!!」
アメリアの手を取る事なく真理衣が身体を丸めたのをアルベルトは疑問に思いながらも、風を身体に纏わせ真理衣へ向かって飛んだ。
目を瞑ったまま己の腕の中に収まった真理衣の腕の中にいた赤子を見て、アルベルトは納得した。赤子を守っていたのか。彼にしては優しげな声が出る。
「ご婦人、怪我は無いか?」
ゆっくりと開かれた瞳に一瞬、アルベルトは見入った。夜を切り取ったかの様な黒。東方の国にも似た様な特徴を持つ者はいるが、アルベルトは何故か目が離せなかった。
真理衣は何故目の前にイケメンがいるのだろう、と間抜けな表情を晒した後、状況を理解し慌てて降りようと身じろぎした。
アルベルトは真理衣が動いた事で、我にかえると優しく階段の上に真理衣を降ろす。
「助けて頂きありがとうございます!あのまま落ちていたらこの子も私も大怪我をしていた所でした」
「無事で何よりだ」
「お兄さんも、私のせいで怪我などしていませんか?」
「私は問題ない」
「それは良かったです」
アメリアがバタバタと階段を降りてくる。真理衣を心配するあまり泣きそうな表情をしていた。
「マリー!良かった!…あの、友人を助けて頂きありがとうございました」
「当然の事をしたまでだ。ところで神官がこんな時間に出歩いていて問題ないのか?」
アルベルトは二人に対し疑問をぶつけた。基本的に神官は貧困層への炊き出しや慈善事業以外で外出する事は少ない。無断で外出すると罰則があるのである。
「外出許可が下りているので大丈夫です」
「そうか」
アメリアが胸を張って答えた。真理衣は二人のやり取りよりも、アメリアに友人と言ってもらえた事に密かに感動していた。
「本当に怪我は無いな?」
「あ、はい!ありません」
アルベルトは真理衣に視線を合わせるともう一度訊ねた。真理衣は我に返って返事をする。真理衣は表情の変わらない人だな、とアルベルトを見て思った。
「そうか…」
アルベルトは久しぶりに女性と対話した為、今までどの様に接していたのか分からなくなり、挙動が可笑しくなっている。
アルベルトと真理衣を交互に見たアメリアは、ニタァッと企む様な笑顔で真理衣に提案した。
「マリー、お礼に何かするべきよ!そうね、明日お茶でもご馳走したら良いわ!」
「んえ"?!」
真理衣から蛙が潰れた様な声が出たのを無視して、アメリアはアルベルトにもイイ笑顔で真理衣とのお茶を勧める。
「私たち、コルン教会から来ていて、明日もまだルクスブルトクに滞在するんです。是非マリーにお礼をする機会を与えてやって下さい!」
アメリアは乙女思考の持ち主である。
見ず知らずの女性を颯爽と助け出したその行動は彼女の乙女心を刺激した。元旦那と酷い別れ方をした友人に新しい恋を促したい気持ちもあった。更に言えば目の前の男性は筋肉好きから見てもとても素敵な筋肉をしていた。筋肉の美男子×友人、推せる。恐らく彼は騎士だろうとアメリアは予想していた。
「…まぁ、確かに明日は暇ではあるが…」
アメリアの勢いに、アルベルトはうっかりそう漏らした。持て余した休日をどうするか考えていたせいでもある。
真理衣がこの流れにあれ?と思う間も無く、
あれよあれよと言う間に何故かアメリアが真理衣とアルベルトの予定を立ててしまった。
神官の、それも子持ちの女性なら間違った事にはならないだろうとアルベルトは考え承諾した。
「じゃあ、明日お昼過ぎにこの場所でマリーと待ち合わせて下さい!あ、お名前は?」
「アルベルト」
うっかり、本当にうっかりアルベルトは本名を名乗り、しまったと内心思った。己の身分がバレる事を危惧した彼だったが、真理衣もアメリアも笑顔のまま別れを告げただけであった。去っていく二人の背中を見てアルベルトは呟く。
「なるほど、私の顔も国境の神官にまでは知られていないか」
そして、図書館に行こうと足を踏み出した時に彼は思い出した。ヨシュア・グレッツナーが報告に挙げていた女性がマリーであると。
***
この日滞在する、ルクスブルトク大聖堂で真理衣とアメリアは其々一室ずつ部屋を借りることが出来た。元々同室の予定であったが、偶然退職した者が居たので真理衣はそこを使わせてもらえたのだ。悠の夜泣きでアメリアに迷惑をかける心配が無くなり、真理衣はほっとしている。
真理衣は疲れがどっと出て、悠を抱えたままベッドへ沈み込んだ。
ごろんと横になったまま胸をはだけ、悠に乳を吸わせる。ジュッジュッと勢いよく吸い付いていた悠は、暫くして微睡はじめた。
「アメリアの行動力がヤバすぎる…菓子折りじゃ駄目なのか?日本だけの文化なの?」
結局彼女の勧められるがまま、アルベルトとお茶をする事になってしまった。
「初対面で何話せてってのよ…お礼言ったじゃん…お茶ってス◯バみたいなカフェあったら一杯奢ってサヨナラできる感じ?いや駄目か。あぁ…◯タバ行きたい…」
真理衣は美形男性とお茶をするという予定に負担を感じていた。元旦那も平凡を絵に描いたよな男であったし、彼女自身も平凡であると自負している。真理衣は学生時代も社会人になっても美男子とは関わる事がなかった。もし真理衣の様な平凡な女が美男子と共にいる場を見られたら他の人間からどんな目を向けられるか想像しただけて胃が痛くなる。それに会話に困った時の空気も彼女は苦手である。
「はぁ…私って意外と人の目気にしちまうんだよなぁ…小心者め」
悠の事となれば何でも出来る気がするが、自身の事となると途端に小心者が顔を出す。真理衣はそんな自分に嫌気が差した。
寝ている悠を起こさない様に、指輪から出現させたベビーベッドに横たえる。ベビーベッドも姿見も、指輪に収納する事が出来たのは幸運であった。
ユール曰く、神が創ったものに不可能は無いらしい。




