第十三話 神官見習いの日常
真理衣が悠を連れ出しサグドラ国から逃げて4日。彼女はそれなりに神官見習いとして充実した日々を送っている。
畑を2日がかりで耕し終えると、その他に神官見習いとして畑仕事以外の業務も増えた。教会内の掃除や、シーツやタオルの洗濯、貧困層への炊き出し等仕事は多岐に渡る。午前中に真理衣が悠を抱っこ紐で抱きながら掃除していた事で、知らない内に教会内で彼女は有名になっていた。
時折り赤子特有の可愛らしさを求めて、神官達が真理衣に声をかける様になったのである。真理衣の比較的真面目な性格もあって、彼女は神官達と上手く馴染めている。
「悠ちゃん見てごらん、これからタネを撒くんだよ!」
真理衣は昨日耕し終えた畑の土を見ながら興奮気味に悠に話しかけた。真理衣は畑仕事に過剰な程熱心に打ち込んでいる。元の世界の事を考えずに無心で出来る作業は、今の彼女の心にはとても有り難かった。
そんな母親に対し悠はほんのり薄目を開けて、そしてすぐに閉じてしまった。
「ごめん、眠かったのね…ミルクたくさん飲んだもんね」
真理衣は悠に頬擦りすると、籠の中に悠を寝かせる。畑の脇にある大きな木の下が悠の定位置になっていた。時折りアメリアが悠の様子を見に来るので、真理衣としては助かっている。
真理衣は親指の先ほどの大きさの種子を袋から一つずつ取り出し、少し凹ませた土の上に置く。そこに優しく土を被せ、軽く叩く。一つ一つ優しく。
悠と神官見習いの仕事の事だけを考える様にして真理衣は作業を続ける。腰を屈め、一列二列と続けている内に日が傾き、空がオレンジ色に染まる。西陽に目を細めながら真理衣は種の埋まった畑を眺めた。
「出来た…」
畑の種まきが終われば、定期的に水やりをし害虫避けの魔法薬を撒布する事になる。
真理衣はアメリアに便利な魔道具を貰っていた。ジョウロの形をしたそれは、井戸から汲み上げた水を大量に入れても然程重くならず、畑全面に撒くのに充分な量を入れる事ができた。コンラートの思惑を知らないアメリアの親切心により、真理衣は想定よりも労働が軽くなる術を得たのである。
アメリアはとても親切だ。誰に対しても親切で、そして美人である。彼女なら何にでもなれただろうと思い、真理衣は何故神官になったのか尋ねた事がある。
その時彼女はこう言った。
____この国にもまだ貧困で苦しむ人がいる。私はその人たちの為に何かしたかったの。
まるで天使の如く崇高な志に、真理衣はいたく感服し、尊敬した。きっとこの女性は清らかな心を持っているのだろうと。
が、真理衣のその考えはアメリアの部屋で週一で行われるという女子会に招待された際に霧散した。他にも神官が参加していた。エレナとオリヴィアと名乗った二人の神官は30代半ば程の女性で、アメリアの先輩に当たる。
悠は籠を借りて、その中に寝かせられていた。目がぱっちり開いているので真理衣は悠のお腹を撫でて寝かしつける。
テーブルには干し肉や、果物、菓子なども並んでいる。これらは食堂ではなく個人で用意したものである。真理衣は何も無く持参出来なかったが、歓迎会も兼ねているから気にしなくて良いと言われていた。
「さあ、呑むわよ!マリーはお酒飲める?」
「私はちょっと今は飲めないので…」
「じゃあマリーの分も私が頂くわ!」
「エレナずるい!私も飲むんだからね」
酒を勧められ授乳期である為飲めないと断った真理衣以外は全員酒をガブガブ飲んだ。真理衣はその飲みっぷりに感心しつつも心配になる。
案の定、真理衣以外が酔っ払う事になる。
神官の業務の話しから、悠の話になり、そして真理衣の元旦那の話しになったところでアメリアはこう宣った。
「何それサイテーじゃない!浮気なんかする男はチ◯コもげたら良いのよ!」
「アメリアの言う通りよ!もげたら良いのよ!」
「女の方もあり得ないわよね?!人の男取るなんて乳もげろ!」
もげろコールが部屋の中に響き、あれ幻聴かな?と真理衣は一瞬思考が停止する。酒が入っているにしても、あの天使の如く崇高な志を持っているアメリアの口からとんでもねぇ台詞が飛び出れば誰でも聞き間違いかと思うものだ。
真理衣以外の二人はアメリアの言葉に激しく同意している為これが普段の彼女であると、真理衣は知った。
美女達がとんでもなく口悪く元旦那を罵るのを見て、真理衣は思った。この三人とは気が合いそうだ、と。
突然エレナがテーブルに肘をつき、顔の前で手を緩く組み合わせた。その目はすわっている。
「そもそも良い男って何処に落ちてるの?」
ポツリと放たれたその言葉にオリヴィアが同じ様なポーズで応える。
「神官長はどうよ?顔は良いわよ」
アメリアがそれに頷く。
「あの人まだ30代前半でしょ?有能よね…たまに目つきが何考えてるか分からない時あって怖いけど」
「えー?そんな目つきする?アメリア何かしちゃったんじゃないの?」
エレナが揶揄う様にアメリアの頬をつついた。アメリアがそれに笑ってやり返し、好みの男性を挙げる。
「神官長は置いといて〜、私は爽やか系の騎士様が好みよ!あの逞しい腕で抱きしめられたい!やっぱり男の人は筋肉あってこそよ!マリーの好みはどんな感じ?」
アメリアに話を振られ、真理衣は考えつつ答えた。
「そうですね…元旦那がヒョロヒョロした感じだったので…正反対の筋肉質な人が良いかな…?」
「そうよね!やっぱ筋肉いいわよね!マリー貴女分かってるわ!」
アメリアがバンバンテーブルを叩いて機嫌良さそうにグラスに入っている酒を一気飲みして、そして笑顔でテーブルに伏した。
「あははははは!アメリア潰れたー!」
「オリヴィアだって顔真っ赤よ〜!」
「ぎゃはは!エレナも顔真っ赤〜!」
潰れたアメリアの両隣で笑い転げる二人に、真理衣も釣られて大笑いした。
「っていう事があったんですよ!何ですかその微妙そうな雰囲気は?」
「いや、我を呼び出して話す内容が何とも言えぬ…我が暇だと思っていまいか?」
「忙しかった感じです?」
「……暇であったが」
悠にミルクを与えた後、ユール神を部屋に呼び出した真理衣はエレナとオリヴィアに渡された土産をユールに手渡した。ユールはわざわざ彼の領域では無く実体化させられた事に首を傾げた。
「たくさん貰ったので、お裾分けです」
「…そうか」
ユールは取り敢えずそれを供物として受け取る。そして顔を隠した布の向こうで薄ら微笑んだ。
真理衣は気付いているだろうか、この世界に彼女が来て初めて笑った事に。
*****
サグドラ国宮殿、百合の間にてエドヴァルドは怒りに任せてベビーベッドを蹴り上げた。ミシリと大きな音を立てベビーベッドの一部が破損する。それには目もくれず、彼は悠の世話を任せていたメイドを引きづり倒し鞭で打ち据えた。
「この役立たずめ!」
「グッ…」
メイドの背中は服が破れ背中には赤い筋がいくつも出来て行く。ナタリーは部屋の外から同僚が痛め付けられるのを黙って見ている事しか出来なかった。
「あぁ…どうしたら…」
神官に扮したヨシュアの助言通りに、メイドの不在時に赤子から花に変わるように勤務時間の調整をする手筈だったが、ナタリーが別の用事を言い付けられ彼女の同僚も他の仕事が終わらず上手く調整が出来なかった。赤子が花に変わった瞬間にナタリーの同僚は居合わせてしまい、彼女が百合の間に出入りしているのを近衛兵が見ていたのだ。
ナタリーの同僚はぐったりと床に倒れ伏したまま動かない。絨毯に彼女の血が飛び散っている。ナタリーはもう見ていられなくなり、その場を去った。
ナタリーは同僚に詳細を話すべきだったと後悔する。そうすれば何が何でも彼女は時間の調整を行ったであろう。
エドヴァルドが近衛兵に怒鳴るように命令を下す。
「イェオリを呼べ!」
暫くして移転陣から現れたイェオリは王太子に跪く。
「お呼びとの事ですが、どうされましたか?」
「赤子の痕跡を探せ、匿う者が居れば始末しろ」
「おや、これは…成程」
イェオリは花に残った魔力の残滓に片眉をあげた。それなりに腕のある魔法使いによって魔法が掛けられていたようだ、とイェオリは追跡魔法を使う。
「では探して参ります」
「ついでにこの女を何処かに捨ててこい」
「承りましてございます」
イェオリが出て行き、エドヴァルドは百合の間の中を行ったり来たりと歩き回る。
「赤子は元々攫われたとするのだから、問題はないはず…このままエルトニアに攻め入っても問題ないんじゃないか?いや、先に宣戦布告状を送らないといけないか…?それだと奇襲が出来なくなるか…」
ブツブツとエドヴァルドは呟きながら歩き回り、そして百合の間から出て回廊を歩く。
前方からエーギルが歩いてくるのを見て、エドヴァルドは不機嫌さを隠す事なく二人はすれ違った。
「おや、兄上どうしたのです?メイド達が騒いでいましたが」
エーギルが態とらしく首を傾げる。彼の金の髪がそれにつられて揺れた。エドヴァルドはその様子に鼻を鳴らした。
「うるさいぞ、俺に構うな」
「そんな邪険にしないで下さいよ」
「うるさい!俺は忙しいんだ。ほっとけ」
エドヴァルドはエーギルに赤子が消えた事を伏せ歩き去った。彼は優秀な弟に赤子が消えた事を言う気にならなかったのだ。
「あーあ、つまらないな。何か楽しい事が起きたら良いのに」
エーギルは兄の様子に肩をすくめると、兄とは反対側へと歩いて行った。
数週間後、エドヴァルドの元にイェオリの報告が上がる。どうやら赤子はエルトニア国へ入国したらしい、と。




