第十二話 神官見習い
夜間の育児を乗り切り、朝を迎えた真理衣は大欠伸をした。カーテン越しに朝日が室内をうっすら照らし、窓から入って来た風が真理衣の顔を優しく撫でる。悠はベビーベッドでぐっすりと眠っていた。真理衣は姿見を通り抜け、洗面台でシャコシャコ歯磨きをする。
「そういや、夜は何も食べずにいたけど…ご飯て貰えるのか?」
そもそも、他の神官達はどのように生活しているのか。
真理衣は歯を磨き終えると、部屋に備え付けられたトイレへ向かった。サグドラ国の教会では外の地面に穴を開けただけの場所で用を足すよう言われ衝撃を受けたが、果たしてエルトニア国はどうか。
ガチャリとトイレのドアを開けた真理衣は目を見開いた。
水洗トイレと酷似した形状の便器が鎮座していたのだ。嬉しい誤算に彼女の表情が綻ぶ。さて座るかと思ったところで真理衣はその中に蠢く何かを見た。
「ヴァッ?!!!」
ニュルニュルと便器の中に謎の生命体。真理衣は悲鳴をあげると一目散にトイレから逃げ出した。
「何あれ何あれ?!!へび?!」
悠が真理衣の声に驚いて目を覚ます。あわあわと真理衣は悠を抱き上げ、できる限りトイレから離れた。その時、部屋の扉をノックする音が聞こえる。
真理衣は訝しげな表情を浮かべ、訪問者を迎えるべく扉を開いた。
「おはよう!私は教育係を任されたアメリアよ」
扉を開けると美女がいた。ストロベリーブロンドに、意志の強そうなペリドット色の瞳。真理衣は輝かんばかりの美女に目をシパシパとさせる。
「お、おはようございます…真理衣と申します。本日から宜しくお願いします」
「宜しくね。それで、外まで悲鳴が聞こえたのだけど…」
「あ、あの便器の中に…何かいるんです!」
「ああ。ウネウネした細長いやつでしょう?あれは人間の排泄物を食料とする植物よ。害はないから安心して良いわ」
「そ、そうですか…」
排泄物食うなよ…真理衣は異世界の植物の生態に目眩がした。アメリアに促され無事にトイレを済ました真理衣はクローゼットの中の物に着替えた。
サグドラ国から着て来た神官服とほぼ同じデザインの物が並ぶ。白いワンピースに黒いスカプラリオ。ウィンプルは無かった。
真理衣が着替えている間、アメリアはベビーベッドの中に寝かせられた悠をあやしていた。
「神官服って何処の国も同じなんですか?」
「そう、世界的に決まっているの。腰紐の色でどこの国の神官か分かるわよ」
「そうなんですね」
真理衣はブルーの上に金糸で刺繍された腰紐を結び終えると、アメリアの前に立った。
「お待たせしました」
「じゃあ朝のお勤めの前に朝食を摂りに行きましょうね。全員食堂で食べるのよ」
「時間は決まっているんですか?」
「そうだった、これを渡さないとね」
真理衣の手に懐中時計に似た魔道具が握らされる。文字盤の代わりに赤い色の水が入っており、中に文字が輝きながら浮かんでいる。
「これは?」
「時刻を見る魔道具よ。水の色が変わって時間が分かるの。食べながら説明するわ。赤ちゃんも一緒で大丈夫よ」
食堂は塔ではなく離れた場所にある煉瓦造りの建物の中にあった。真理衣は教会は塔だけだと思っていたが、想像以上に敷地が広い事に驚いた。
「教会の敷地、凄く広いですね」
「大体何処の教会もこんな感じよ。ウチの場合は畑も結構広いの」
「はぁ…何処に何があるのかを覚えるの大変そうですね…」
「ここは食堂の他にも、浴場もあるの。生活用品を売っている売店も入ってるわ。仕事の後にでも案内しましょうね」
成る程、と真理衣は頷いた。塔の部屋には無い物がここに揃っているのだ。しかし悠を育てる環境としては不便この上ない。やはり神様さまである。
食堂に入ると、大勢の神官達が食事を摂っていた。調理場のあるカウンターから食事を提供していくスタイルである。大学の食堂を思い出すな、と真理衣は懐かしい気持ちになった。
トレイに乗った食事を見て真理衣の腹が鳴った。ホカホカと湯気が立ち昇る薄緑色のスープ、柔らかそうな白いパン、野菜のサラダとゆで卵、何かの肉の腸詰、それらの良い匂いが彼女の鼻腔をくすぐる。
真理衣は悠を抱え直すと、トレイを片手で持ち空いているテーブルに向かった。
先に席に着いていたアメリアの前に座る。
アメリアは手を額の前で組み合わせ、真理衣に同じ様にする様視線で促す。そして食前の祈りを口にした。
「ユール神よ、あなたの慈しみに感謝しこの食事を頂きます。 ここに用意されたものを祝福し、私たちの心と体を支える糧とする事をお許し下さい。アッバ」
「…アッバ」
真理衣は長ぇな、と思いながらも最後の単語だけ真似をした。これから教会で生活するならば覚えねばならない習慣である。アメリアはそんな真理衣に微笑みつつ、少しづつ覚えていきましょうねと朝食に手を付けた。
悠を抱えている真理衣は食事も片手でする事になる。抱っこ紐を忘れていた彼女は申し訳なさそうな表情で、アメリアに小さな声で言う。
「少し不恰好に食べる事になると思います…不快だったらごめんなさい」
「気にしないから大丈夫よ。でも今度から何か寝かせられる物を用意するわ。食べるのが大変だものね」
「ありがとうございます」
真理衣は食事に手を付けた。空腹が最高潮に達していた為無心で食べていく。美味しい、と彼女は心の底から思った。
「さっきの説明がまだだったわね」
アメリアが懐中時計に似た魔道具をテーブルの真ん中に起き、説明する。真理衣は慌てて口の中を空にした。
「食べながらで良いわよ。今の色は黄みがかってきた赤ね、さっきは真っ赤だったでしょう?24段階で色が変わるの」
「そうすると色の順番覚えないと、ですね」
分かりづらいなと思いつつも、真理衣はアメリアが説明する色の話を聞き、頭の中で元の世界の時間に当てはめる。
深夜0時の黒からはじまり、1時が青みのある紫、2時が紫、そこから赤みががった紫とグラデーションになり、朝食の時間は赤でこれは6時に相当する。そこから12時が黄色になり、16時が緑、20時が青、そしてまた紫系統へとなる。色の移り変わりはPCCSの色相環図に酷似していた。
「あと浮いているのはこの国で使われている数字で、あとどのくらいで次の色に変わるかを示しているの」
なるほど中央に浮かんでいるのは分を示す物らしいと、真理衣は難しげな顔をする。アラビア数字では無いため覚えるには苦労しそうだ、と彼女は眉を下げた。
「その、私は文字も分からないので…お時間がある時教えて頂けませんか?」
「もちろんよ。取り敢えず朝食後は畑に案内するから空き時間に教えるわ」
「ありがとうございます。助かります」
真理衣は残りの朝食を全て平らげ、満腹の腹をさすった。
その後自身が担当する畑に案内された真理衣は、割り当てられた広さに白目を剥く。25メートルプール程はあるその畑は、これから種まきを行うと言うのだ。
アメリアに鍬を渡され、素人ながら見様見真似で握り慣れないそれを土に振るう。先ずは耕すところからである。
木陰に籠が置かれており、その中で悠は気持ち良さげに眠っている。時折り、悠の様子を見ながら真理衣は作業を続けた。
「あっづー。クソ暑いし腰がヤバい…農業の人尊敬するわ…」
真理衣は痛む手のひらをさする。赤くなり、硬いマメが出来始めていた。
時折り悠の授乳とオムツ替えをし、一通り耕し終える頃には懐中時計は黄色になっていた。真理衣の腹がグゥと鳴り響く。
昼食中にアメリアに数字を教わり、その後は神官見習いの畑仕事とは違う祈りの時間が設けられる。
緑みの黄色に色が変わった13時頃は、全ての神官がユール神に祈る時間である。1時間ぶっ通しで行われる祈りは毎日行う物である。
礼拝堂である中心の塔に集まり、祈りを捧げる。神官の人数が多いため、外まで溢れるが不思議と祈りの文言ははっきりと聞こえるのである。
アメリアと早めに行動していた為、礼拝堂に入る事が出来た真理衣は、滔々と紡がれる祈りの言葉と雰囲気に圧倒された。
「祈りがほんとうに届きそう…」
宗教という概念が薄い真理衣ですら、この祈りの場が尊いものであるように思えた。宗教とは信じる人の心なのだ。キラキラとステンドグラスの彩りが神官達を照らす様を目に、真理衣は心がゆるゆると揺れるのを感じた。




