第十話 エルトニア国
荷馬車はガタゴト音を立てて走る。泥水が跳ね、小石が車輪の下で弾け飛ぶ。ヨシュアの前髪を風が撫でていった。
国境付近に差し掛かり、ヨシュアは辺りを警戒しつつ馬車を進める。石造りの大きな門が見えた。
「さあて、行きますかね」
ヨシュアは不敵に笑う。門番が荷馬車の行く手を阻む様に槍を向けた。
「止まれ!通行証を見せろ」
「はいはいっと。どーぞ」
門番が腕輪型の通行証とヨシュアの顔を見る。平然とした様子のヨシュアに、門番はふんと鼻を鳴らした。
「エルトニアの商人か」
「ええ。今回はあまり儲かりませんでしたけどね。はっはっは!」
「もういい。行け!」
「はいどーも」
検問所を越え、ヨシュアは暫く馬車を走らせる。
人の背丈の3倍程の高さの柵が前方に見えた。柵は国境に沿ってずっと伸びている。一箇所開いているその部分を通り抜け、ヨシュアは一度馬車を止めた。
「マリーさん、もう大丈夫ですよ」
真理衣が入っていた箱から、布をどかしながらヨシュアは声を掛けた。真理衣はモゾモゾと箱から出ると、腰をそらす。彼女の背中からバキバキと豪快な音が鳴り、ヨシュアは少し笑ってしまった。
「ううー、腰が死ぬかと…」
「国境は越えたので、もう隠れなくて良いです」
「それは助かります。悠ちゃん大丈夫だったー?」
真理衣は悠を抱き上げると頬擦りをする。いつの間にか眠っていた悠は夕日に眩しそうに顔をクシャッとさせた。ヨシュアはそんな悠の防音魔法を解除する。悠はふぎゃあ、と一二回泣いてまた眠りにつく。
「エルトニアの検問を越えたら近くに教会があるので、そこにお連れしますよ」
「エルトニアってどんな国ですか?」
「サグドラと違って国のトップが民の事を考えている良い国ですよ。他国から逃げて来た人も受け入れています」
「そうなんですね…」
少なくとも迫害を受ける事はなさそうで真理衣は安心した。荷馬車は再び動き出す。
真理衣は悠を腕に抱き、流れ行く景色をぼんやり眺める。国境の道は整備されておらず、剥き出しの湿った土の上を車輪が転がり窪んだ線を引いた。日本とは違う空気を真理衣は深く吸い込んだ。ラクダのような馬の様な不思議な動物が闊歩しているのを見た真理衣は悠へそっと囁いた。
「私たち遠くに来ちゃったね…」
「もうすぐエルトニアの検問ですよ」
「そう言えば私達身分証なんか持ってないんですけど…大丈夫ですか?」
「あぁ、僕と一緒なら大丈夫です。そうですね、ついでに身分証も発行して貰いましょう。役所があるんで先にそっちに案内します」
「何から何までありがとうございます…」
「まぁ、これもご縁ですよ」
サグドラ国と似た様な、堅牢な門が近づく。ヨシュアはゆっくりと速度を落として門番に金色の腕輪型の身分証を見せた。サグドラ国で見せた身分証では無く、本物の方である。
「ただいま戻りました。第一アナテマ騎士団 ヨシュア・グレッツナーだ」
「これはこれは!お疲れ様でした!直ぐに門を開けますね」
「ありがとう」
門番の騎士と朗らかにヨシュアは言葉を交わした。
ゴゴゴゴと鉄製の門がゆっくり開かれ、ヨシュア達を招き入れる。
荷馬車から顔を覗かせた真理衣の目に街並みが飛び込んできた。
「わぁ…すっごい綺麗…」
等間隔に立ち並ぶ民家は、ドイツの建物を思わせるハーフティンバー様式で造られていた。建物の外壁の木製フレームを敢えて見せるものだ。白い漆喰と木のフレームの対比が美しい。馬車道と歩道がはっきりと別れており、歩道には均等に街灯が並んでいた。街路樹もあり、街並みだけ見ればヨーロッパの国にいる様な雰囲気である。
真理衣のウジウジとした気持ちが一瞬吹き飛び、周りの様子をキョロキョロと見回す。
「マリーさん、あまり身を乗り出すと落ちますよ?!」
あまりに夢中になっていたのか、真理衣の身体は馬車からだいぶはみ出ていた。ヨシュアの指摘に真理衣は慌てて身体を引っ込める。
悠はそんな母親の腕でグッスリと眠っており、ヨシュアは将来大物になるなと笑いながら思った。
「あそこが役所です」
ヨシュアが示した方角に、大きな建物があった。ヨシュアは馬車道の端に馬車を寄せると停車する。真理衣は悠を抱え直すと馬車から降り立った。
ヨシュアに促され、真理衣は建物へ入って行く。
「…役所っぽい」
「そりゃあ役所ですからね」
設備は違うものの、日本の役所と大差ない光景が広がっており、真理衣は若干微妙な気持ちになった。
彼女はてっきり書類や羽ペンが飛んだりする魔法的な物をイメージしていたのである。
「文字書けますか?」
「代筆お願いして良いですか?」
「勿論です。では名前から」
真理衣はヨシュアに必要書類の記入を頼み、口頭で答えたが、名前と性別、年齢くらいしか記入できる物が無かった。
「マリーさん29歳…?!」
ヨシュアはこっそりと驚愕の表情を浮かべた。彼の目にはどう見ても20そこそこに見えていたのである。ヨシュアは咳払いをすると、真理衣に窓口カウンターへ行く様伝えた。
「ここで身分証を作ってもらうんですよ」
窓口には球体の機械の様な物が置いてあり、真理衣は腕輪型身分証を作る魔道具だと説明を受けた。国に仕える者は金色、一般市民は銀色、聖職者は透明なクリスタルで作られる。これは世界的に統一されている。真理衣は不安げに訊ねる。
「あー…私達みたいな難民っぽい人は?」
「マリーさんと悠さんは聖職者として登録しますので、クリスタルで作られます」
ヨシュアが周りに聞こえぬ様声を落として付け足す。
「貴女方は特別です。何しろユール神のご加護を受けているのですから…」
ユールがヨシュア達の記憶を弄った際に、加護の事を捩じ込んだ。サグドラ国の教会を出る前に、加護がある事も魔道具で確認済である。
「あ、そうなんですね…」
そう言えばそんな事も言われたな、と真理衣は笑って誤魔化した。彼女は保護してもらえる、という以外は忘れていた。
様々な事があり過ぎて、キャパシティがオーバーしたのである。
「こちらに利き手と逆の方を乗せて下さい。良いと言うまで動かさないで下さいね」
役人に言われ、真理衣は左手を魔道具の上にそっと乗せた。ジジジジと電子音に似た音がした後、球体が光り真理衣の手首に腕輪が徐々に姿を現した。
魔法らしい現象に、真理衣の気分が高揚する。
「はい、もう結構ですよ」
同じ様に、眠る悠の左手も乗せると彼女の手首にも小さな腕輪が嵌った。
「これ、成長したらキツくならないのかな?」
真理衣の疑問に役人がクスリと笑った。
「魔法で造られた物ですので、成長と共にサイズも変わりますからご心配なく」
「へぇ…凄い」
ヨシュアも、どれだけ辺鄙な所に住んで居たのだろうかと思わず笑い声が漏れ出てしまう。
真理衣は二人に笑われ赤くなった顔を片手で覆い隠した。
「くぅ…どうせある意味お上りさんだよチキショウ…」




