第九話 出国
教会へと無事に辿り着いた一行は、どっと疲れが出た様子でディートハルトに充てがわれた塔の中で座り込んだ。
「はぁ、僕も緊張してたみたいですね」
「そうでしょうな。しかし間に合って良かったですな」
グッタリと椅子に座り、ヨシュアとディートハルトが笑い合う。真理衣はソワソワとしながらヨシュアに声を掛けた。
「あの、ヨシュアさん…悠を元に戻して下さいますか?」
笑うのをピタリとやめたヨシュアは、読めない表情で真理衣を真っ直ぐに見た。
「そういえば、真理衣さん、貴女は我々に全てを話していませんよね?」
「え?全て…?何の話しですか?」
真理衣の心臓が早鐘を打ち、ジワジワと冷たいものが心を支配する。
ヨシュアは真理衣を追い詰める為に聞いているわけではない。ただ、隠された情報が重要な可能性が無いとも言えないのだ。彼には上司に報告する義務がある。
「話さないと悠を元に戻さないと、そう言う事ですか?」
震える声で真理衣が訊ねる。やはりこの世界の人間を信じ切るには早かったのだ、と真理衣は歯を食いしばる。そんな真理衣にヨシュアは困ったように眉を下げた。
「そこまでは言ってませんがね…やはり不思議なんですよ。離宮に閉じ込められていた貴女が何故簡単に目的地へ着いたのか、そして奴隷が死んでいた場所に何故居たのか」
「それは…」
真理衣は言い淀む。三種の神器について教えたら間違いなく何かに利用される事は想像に難くない。そして召喚された事についても言うのは躊躇われた。
『それを知るのは今では無い』
突然上から声が降ってくる。ヨシュアとディートハルトが険しい表情で声の主を探すが見当たらない。しかし真理衣には見えていた。ユールが宙に浮いて三人を見下ろしていたのである。
ユールが真理衣が抱く花に向け指を指すと、花が光り輝き悠の姿へと戻った。
「僕は解呪していないのに何故…?」
ヨシュアが狼狽え、一歩下がろうとする前に彼とディートハルトの額にユールが指先を向けた。彼らの意識が落ち、かくんと身体が床へ崩れ落ちる。
『少々記憶を弄った。まぁ問題なかろう』
真理衣は元に戻った悠を抱きしめ、ユールを縋るように見つめ口を開く。
「ねぇ、貴方なら私と悠を元の世界へ戻せるんじゃないの?」
宙に浮いていたユールは、真理衣の言葉に静かに首を横に振った。
『既に其方達の魂は此方の世界に紐付けられてしまった。故に戻れば死ぬ他無い。向こうの世界の方が上の位置にある。上から下へ落ちる分には生きていられるが、下から上へ上がることは出来ない』
「そんなっ…こんな訳の分からない世界でどう生きて行けば良いって言うんだよ!」
『……』
「何で私たちなのよ…」
力無く座り込んだ真理衣に、ユールは無言になる。
この親子が不運だったとしか言いようがない。
『一度この国から出る方がよかろう。我の加護が分かる様に額に印が現れる様にしよう』
ユールが悠の額を指差し、真理衣に見る様促す。薄桃色の印は花の様な形であった。古代語でユールを示す言葉である。
『その印があれば、どこの国の教会でも保護して貰えるだろう』
「ありがとう…でも私どうしたら良いんだろう…」
『また必要があれば我を呼べ。相談に乗るくらいならしてやろう』
自身の都合に巻き込むつもりだったユールだが、気に入った人の子に肩入れし過ぎるのが欠点であった。神に不向きな性格である。
「うっふぇっ」
悠が泣き出す。ユールと真理衣のやり取りが終わってからのタイミングに、この子は賢いのではないだろうかと真理衣は親バカ全開の感想を抱いた。
「ああ、すぐ飲みたいよね…待ってね悠ちゃん」
『では我はもう行く。あとこれを宮殿から移転しておいた』
ユールが床を指さすと、真理衣のリュックが置かれていた。宮殿でいつの間にか取り上げられた物である。真理衣もすっかり忘れていたが、中には哺乳瓶や粉ミルクがある。
「助かります。また何かあったら教会で祈れば会えますか?」
ユールは真理衣の言葉に一つ頷くと、その場から消えた。真理衣は取り敢えず、床に倒れ伏す二人が起きるまで授乳する事にした。とてもシュールな光景である。
ジュッジュッと勢いよく吸い付く悠の姿に、真理衣はやっと我が子が帰ってきたと実感した。
真理衣は元の世界へ戻れないという事実を受け止め切れないものの、これから悠とどう生きるかを考えねばならない。
その日の夕方。
ユール神がヨシュアとディートハルトの記憶を改竄した事により、真理衣はサグドラ国から出て隣国エルトニアの教会で保護して貰える事になった。あの緊迫したやり取りがまるで無かったかのようで、真理衣としては少々不気味であった。
「神パワー怖すぎる」
真理衣の呟きに、悠がふすふすと同意を示す様に鼻を鳴らした。
「悠ちゃん最近お鼻が詰まってるね…大丈夫かな」
「おや、ユウさんは風邪ですかな?向こうの教会に着いたら風邪薬を調合してもらうと良いですよ」
「…そうですね」
ディートハルトの風邪薬、という言葉で真理衣はハッとした。そう言えば予防接種やビタミンK2シロップはどうしたら良いのだろう、と。
「うわー…悠ちゃんの抵抗力が心配…」
「マリーさん、荷馬車の準備ができましたよ?」
うんうん唸っている真理衣に、ヨシュアが声をかける。彼は報告がてら一度エルトニアへ戻る事にした。その時ついでに真理衣を連れて行く事にしたのである。
ヨシュアにディートハルトがこそりと囁く。
「ヨシュア殿、移転陣は使わないので?」
「昔と違って、検問に魔力探知機が備えられる様になったんです…移転陣も察知されて、すぐさま拘束されるらしいです。以前仲間がそれで数人殺られました」
「なんと…昔のサグドラ国なら簡単に出られたんですがなぁ…」
ディートハルトは現役時代の昔を懐かしんだ。
「ま、それは我が国も同様なので、技術がどんどん向上するのは良い事ですよ」
「それもそうですな。では気を付けてお帰り下さい」
「ええ、また」
真理衣の持ち物はリュックのみなので、ひょいと背負うと準備完了である。悠のオムツも替えたばかりなので暫くは問題無い。
「あぁ…オムツも残り少ない…ドラッグストア行きたい…」
真理衣は日本の生活が恋しくて仕方ない。あまり日本の事を考えないようにしていた真理衣だが、つい考えてしまう。
彼女の脳裏に出戻り娘を暖かく迎えてくれた両親の顔が浮かぶ。もっと両親に親孝行したかったなぁ、と彼女は溜め息をついた。二度と会えないなんて死別と同じではないか。
「友達にも何も伝えられなかった…」
「泣くとバレるのでユウちゃんに魔法かけますね。あと魔力封じの腕輪を付けさせて下さい」
ヨシュアは悠に向け防音魔法を使い、その小さな手に腕輪を装着した。悠は腕輪の重みが気に入らないのかモソモソと手を動かす。
悠を取り戻したのに暗い真理衣を、ヨシュアは検問を無事に越えられるか心配しているのだろうと思い、特に触れずに教会の外へと連れ出した。
荷馬車に積まれた大きな箱の中に、膝を曲げた状態で横向きになって寝かされた真理衣は自身の腕を枕に悠も寝かせる。背中に当たる箱の底面が硬くて嫌なのか、悠が手足をバタバタさせ泣き出す。
防音魔法を掛けているとはいえ泣いている姿は可哀想だ、とヨシュアは薄手のクッションを差し出した。
「ちょっと痛そうですねコレ使って下さい」
「ありがとうございます」
ヨシュアに手渡されたクッションの上に悠を乗せると、少しマシになったのか手足を暴れさす事はなくなった。
「検問で荷物を確認される事があるので、申し訳無いんですが上に布を詰めさせて頂きます」
「そうすると…動かない方が良って事ですね」
「ええ。確認中に動かれるとさすがにバレます。検問さえ越えたら直ぐに出してあげられるので」
真理衣は神妙に頷くと、悠が布で圧迫されない様に腕でガードした。
ガタゴトと荷馬車は揺れながら教会から遠ざかっていく。雨は止み石畳には水溜りがあちこちにある。
雲の隙間から太陽の日差しが注いでいた。
これから馬車は、エルトニア国へと向かう。
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