第八話 再会
ナタリーは赤子の世話をするよう命じられた同僚の手伝いをしていた。彼女の同僚は日夜関係なく大泣きする赤子に手を焼き、兄弟がたくさんいるナタリーに助けを求めたのである。たった一日で音をあげた同僚に呆れつつも、兄弟が赤子の時を思い出すのでナタリーは快く手伝った。
同僚が手洗いに行っている間、赤子が起きて泣き始めた。
彼女の背後でギィと音がする。
ナタリーは百合の間の扉が開かれ神官が二人入室して来た事に困惑した。女性神官は手に赤い花を持っている。
「あの…礼拝堂でしたら回廊を右に…」
「いえいえ、僕たちは赤子の泣き声に誘われて来たのです。是非、祝福の祝詞を捧げたく思いまして」
ナタリーの言葉に被せる様にヨシュアが和かに話しかける。ナタリーがオロオロとしているうちに、真理衣は我が子へと近寄った。
ふぎゃふぎゃと泣き続ける悠を、彼女はそっと抱き上げ抱き締める。悠はスリ、とひとつ頬を母の胸に擦り付けた。しかしまだグズグズと機嫌が悪そうにしている。彼女はお腹が空いているのだ。
「え…?貴女…」
赤子を抱き上げた女が真理衣である事に気付いたナタリーは目を見開いた。てっきり真理衣は死んだものと思っていたのだ。それに真理衣はギョッとした。悠以外のものが目に入らなかったのである。ヨシュアの目が細められ、小さな声で彼女を問いただす。
「おや、マリーさんお知り合いで?」
「離宮に監禁されてた時にティーセットを持って来た人です…」
あちゃー、とヨシュアは手を額に当てた。目撃者がいるのは非常に不味い。ヨシュアがどうするか思案しているとナタリーが真理衣に向かって口を開いた。
「赤ちゃんを迎えにいらしたんですね」
「ええ。私の大切な子だから」
「再会できて良かったです…」
真理衣はナタリーと和やかに会話しつつ、相手の出方を伺った。ヨシュアもナタリーが抵抗かつ仲間を呼ぶ可能性を考え、まだ動かないでいた。しかし時間が無い為、ヨシュアは直球で問うことにする。最悪の場合、彼はメイドを排除するつもりでいた。
「貴女はこのまま我々が赤子を連れて行っても良いと?」
「私と同僚が咎を受けない様にして頂ければ構いません。私も同僚も国に忠誠を誓っている訳ではないので」
はっきりと嫌悪を滲ませたナタリーの声に、ヨシュアは何とも言えない心持ちになった。王都の住民そして使用人、これ程までに民衆の支持が落ちているのを放置する意味がヨシュアには分からない。怒りの矛先は必ず王家に向かうというのに、と彼はぶるりと震えた。
ここまで愚かな王族が自国の者で無くてよかった、とヨシュアは心底思う。
悠がいよいよ激しく泣き始めた。母の腕に居るのに未だに乳を貰えないのが不服なのである。真理衣は慌ててあやすが、泣き止む事はない。
「悠ちゃん、お腹空いたのね…まだちょっとオッパイあげられないのよ…ごめんね…」
赤子は泣くのが仕事といえど、いつ近衛兵が嗅ぎつけるかも分からない。ヨシュアはナタリーに念を押す。
「時間もありませんからね…メイドの方、我々が来た事は内密にできますね?」
「勿論です。誰にも申しません」
「ではマリーさん、お子さんに魔法を掛けますよ。あと花をベッドに置いて下さい」
真理衣はヨシュアの言葉に従い赤い花をベビーベッドに置き、悠を抱き直した。
ヨシュアの手から柔らかな青白い光が溢れ、それは流れるように悠に巻きついた。
シャラリシャラリと光の粒が舞う。悠の姿は徐々に先程まで真理衣が持っていた赤い花に変化した。真理衣は我が子を探し視線を彷徨わせる。
「えっ?!悠?!」
慌てて真理衣がベビーベッドを確認すると、そこには悠が眠った状態でいた。真理衣は訳が分からないとヨシュアを見つめる。
「おっと、間違えないで下さいよ。本当の赤ん坊は今マリーさんが持っている花なんですから」
ヨシュアはそんな真理衣の様子に苦笑しつつも注意する。ここで間違っても彼女が花を置いて行ったら、危険を冒して宮殿に侵入した事が無意味になってしまうのだ。
「さて、流石に長居はできません。メイドの方、この花は三日間は赤子の姿をしていますが、それ以降は元に戻ります。貴女の不在証明が出来るように細工して下さい。マリーさん行きましょう」
「はい」
ヨシュアに促され、真理衣は扉へと向かう。そして途中で振り返ってナタリーに頭を深く下げた。
「本当にありがとう」
笑顔を浮かべて二人を見送ったナタリーは、母子にこれから先幸せが訪れるようにと願った。
真理衣は花の姿になった悠を優しく包み込む様に腕に抱いていた。不思議と仄かに暖かく感じる。真理衣は呟く。
「それにしても、魔法って凄い…」
「おや?見た事くらいあるでしょうに」
耳ざとく聞き取ったヨシュアに言われ、真理衣は誤魔化すように笑う。
「…いやぁ……ま、周りに使える人が居なかったもんで」
「そうですか」
周りに使える人間など居るはずもないのだから真理衣の言葉は嘘ではない。
「でも、こうやって魔法が使える人が居るのに宮殿に入る時確認とかして無かったですよね…私たちみたいな事する人が居ないとも限らないのに」
ヨシュアはおや、と真理衣を若干の驚きを込めて眺める。魔力の無い者の割にそういった事に気づくとはなかなかに馬鹿では無いらしい、と失礼な事を彼は思った。
「まぁ、今回は神官と偽っていますからね」
「神官って凄い身分なんですね?」
「何処の国の神官も、ユール神から特別気に掛けて貰える存在とされていますからね。神官になるには適性もあるので貴重なんですよ」
「適性…?」
「魔力の中にユール神に近い色合いが出る事です」
「色合いって…それって凄いんですかね?」
「僕としては特に何も感じませんが…昔からの掟なので」
ヨシュアは控室への帰り道でも、誰にも会わない事が不思議で堪らなかった。高価な壺がずらりと並ぶ廊下は行きには通らなかった場所である。真理衣は相変わらず迷う事なく進んでいく。
彼女が言っていた直感とやらは随分と精度の高いものだ、とヨシュアは羨ましくも怪しくも感じた。
「ところで、お手洗いに放置した騎士の人って…」
「あぁ、もう解けていると思いますよ。ほら」
控室の前に丁度その騎士が居た。ヨシュアが和かに彼に話しかける。
「あ、騎士の御仁!ビックリしましたよ急に戻って行ってしまうのですから」
「ああ、失礼致しました。何だか不思議と戻らないといけない気がしてしまって…申し訳ございません」
「まぁ何事もなく戻ってこれましたので大丈夫ですよ」
二人はニコニコ笑い合っている。
ヨシュアが嘘をペラペラと並び立てるのを聞いて、真理衣は思った。悠は嘘吐きにならないように育てよう、と。
帰りの馬車の中。真理衣は無事に悠と帰って来ていると言うのに不安を感じていた。悠が未だ花の姿であるからである。早く悠の重みを感じて乳を飲ませてやりたい、そう思いながら真理衣は痛い程に張っている胸をそっと押さえた。
いつの間にか馬車の外では雨が降りはじめる。ポツポツと地面に染み込む雨粒は、やがてザアザアと強く地面を叩き、水溜まりをつくった。




