今崎、富山へ移住
年の瀬も迫り、東京にもちらほらと雪が降り始めた頃、ふと思い出したことがあった。今﨑は毎年冬になると友達とスキーをしにあちこちの山へと行っていた。大学2年生の冬には指導員の資格も取得した。今﨑ははっと目が覚めたような気がした。
そうだ! スキーのインストラクターだ。自分が本当にやりたかったことをやろう。自分の人生を後悔しないために若いうちにやりたいことをやるべきだ。と決心した瞬間でもあった。
それからというもの今﨑は就職活動を一切やらず、将来スキーのインストラクターになっても生活していけそうな場所を探した。就職情報誌でスキー場の近くの会社で人を募集していないか調べた。するとすぐに見つかった。富山のスキー場の近くの工場だ。そこで木工の職人を募集している。『初心者大歓迎。寮完備。冬場はスキーができます』と書いてあった。いかにもスキーに興味がある若者を対象としている案内だ。今﨑はすぐさま件の工場に連絡を取ってみた。電話口に出た男の声はとても親切で、履歴書を送ってくれとのことだ。工場には寮が完備されている上にスキー場も近い。もしそこに就職できれば、住む場所とスキーがやれる環境が手に入るのだ。やっと光明が見えてきた今﨑は、残された学生生活をうきうきとした気分で過ごすようになった。
今﨑もついに卒業式を迎えた。『語る会』の後輩達にも祝ってもらったのだが、今﨑自身サークルの活動に熱心ではなかったため少し心苦しかった。『語る会』のメンバーは相変わらず活動家としての訓練や集会に余念がない。伝統のキャンプも大盛況で、今では他大学の学生を合わせて総勢50名ばかりの学生が参加するまでになった。左寄りの思想はともかく、目的が常にはっきりとしている人達だ。きっと充実した学園生活を過ごすことだろう。
今﨑と同じクラスの友達もほとんど就職が決まり、何人かは大学院へ進むそうだ。入学早々隊長たちに拉致された友達はなぜか映画製作の会社に就職した。拉致されて強引に映画撮影に参加させられたのだが、思いのほか楽しかったと見えて、映画製作に興味を持ったみたいだ。人生ってわからないものだな。今﨑の卒業式の日、携帯に北岡からメールで祝福の連絡がきた。今﨑は北岡からのメールを読みながら自然と目頭が熱くなった。北岡からのメールが一番うれしかった。やはり北岡への想いは一向に消え去ることはなかったのだ。それにしても、やはり気がかりなのは隊長だ。いったいどこで何をやられているのであろうか。卒業式を終えた今﨑は、自分の学生生活を振り返りながら大学を後にした。
今﨑は大学を卒業してすぐ富山県へと移住することになった。富山にある木工所に就職が決まったからだ。募集案内に『冬場はスキーができます』と書いてあったところだ。会社の名前は匠興業いう。履歴書を送って二三度電話でやり取りをしただけで就職が決まった。というか、対応していただいた社長から「うちの仕事を手伝ってくれ」と言われ、寮に引っ越す日取りもその場で決まった。富山で就職というよりも移住といった方が分かりやすいだろう。なんせ今﨑は東京生まれ東京育ちで、地方に住んだことがないのだ。もちろん地方移住に不安は持っていたが、大好きなスキーのインストラクターで身を立てる思いの方が強い。移住当日となり、希望を胸に富山に向けて電車に乗り込んだ。
電車が富山県に入ると、思っていた以上に広い平野に驚いた。車窓から見える景色は都会のそれとはうって変わって穏やかで、静かな町の風景が広がる。電車が富山駅に到着した。今﨑は電車から降りて駅前広場に足を踏み入れた。広場には様々な建物が建ち並んでいた。中層ビル、商店街、そして小洒落た店が立ち並ぶ飲食店。富山は田舎だと思っていたのだが、駅前はずいぶん開発されている。そこには多くの人々が集まっており、中には若いカップルや観光客、地元の人たちもいた。
近くで車のクラクションが鳴った。音のする方を見ると一台のトラックが駅前の駐車場の隅に止められていた。中から男の人が出てきた。今﨑は反射的に深々とお辞儀をした。
「おうおう。よく来たな。今﨑君だっけ?」
「はいっ。あのー。匠興業の方ですね。今日からお世話になります。東京から来た今﨑です」
「おうおう。匠興業の山本だ。よろしくな」
山本雄一郎、今﨑がこれからお世話になる木工所の代表だ。電話では何かと相談に乗ってもらっていたのだが、実際会うのは初めてだ。山本は両頬から長く伸びる揉み上げを顎まで蓄えて、見た目は厳めしいのだが、話し方はとても優して人懐っこさを感じる。今﨑は少しほっとしながら話しかけた。
「よく私だとわかりましたね」
「おうおう。こんなところにバッグを持って突っ立っているのはうちの工場に来るやつぐらいだ。さあ乗りな」
山本は車のドアを開けて中に入った。今﨑も反対のドアから車に乗る。持ってきた荷物はバッグひとつ。トラックの座席に座り膝の上にバッグを抱えた。今﨑を乗せたトラックは富山駅をあとにし、山の麓方向へと向かった。




