09
その騒ぎについては、私は何も耳にしていなかった。お父様の方が帰ってきたのは後の筈なのに、お父様は事の経緯をしっかり把握されているらしく、私にも教えてくれた。
「屋敷内部に番が来たことで、匂いで感知が出来たのだろう。部屋を抜け出してブラッドリー殿下に会いに行ったそうだ。治療中のブラッドリー殿下に対して騒いだという事で、医術師の権限で部屋から追い出したと聞いている。その事を聞き及んだアガタに部屋での謹慎を言いつけられたものの、何度も部屋を脱走しようとしているようだ。……まあ、ずっと会いたがっていた番が目の前に現れたのだから、仕方ない。今も部屋に押し込められて、辛かろう」
お父様の言葉に違和感を覚えて、私は父の顔をジッと見つめた。お父様は話しながら別の事を考えているのか、目線は下の方に行っており、目と目は合わなかった。そのお顔には困惑と疲れが見える。突如舞い込んだ緊急性の高い問題の数々に少しばかり疲弊されておられるのだと分かった。
ただ、お父様の言い方は、雪菜を咎めている風には聞こえなかった。
「お父様……雪菜を……お叱りになられますよね……?」
「……叱る?」
お父様の声色は私の言葉をまるで想定していないのだと理解させた。
「……」
私は呼吸を整えて。膝の上で手を握り、しっかりとお父様を見据えた。
「お言葉ですがお父様、雪菜の行動は叱られるべき事と思います。番に会えて嬉しいとしても、限度というものがあると思うのです。お父様はいつも私たちに仰いますよね、好きな相手の事を考え、相手が何をすれば喜ぶかと考えて実行しなさいと。……あの場で初対面の相手に、しかも相手は番の事を感知出来ない人族だと分かっていて、番だからと愛を告げる事が相手の事を考える行為でしょうか。ましてやブラッドリー殿下方はつい先ほどまでどこの者とも分からぬ賊に命を狙われ、多くの部下を失った所でしたのに」
確かに番に会える事は幸せな事だ。どれだけ番を求めたとしても、全ての獣人が番に出会える訳ではない。
獣人の多くは現実に、番を求めて出身地から遠くへと旅をする。それでも見つける事が出来ずに故郷に戻ってくる獣人は、少なくない。仕事や金銭問題、血縁関係のあれこれ……様々な理由から永遠と旅を続けるわけにはいかない者が多いからだ。そういう者は一生独身で過ごすか、同じように番と出会えなかった者と婚姻を結ぶかして、生きていく。それでも獣人が減らないのは獣人が多産な傾向にある事と、番に出会えない寂しさを埋めるために婚姻を結ぶ者がいるからだ。
そういう人が結構な数存在しているからこそ、番に出会える事はより素晴らしい事だと考えられ、皆から祝福される……。昔から番にそう興味のなかった私でも、分かっている。
それでも時と場合があると、私は思う。
もしかしたら、私が幼い頃から番に興味がない可笑しい子供だったからそう思うのかもしれないけれど、それでもやはり、何度考えてもあの時の雪菜の行動と、それを受けてのブラッドリー殿下方の反応から考えて、あれが正解の対応だったとは思えないのだ。
無造作に大地に転がる遺体の記憶は私の瞼にまだ色濃く残っている。苦痛に歪んだ顔で騎士たちは息絶えていた。彼らは祖国から遠い土地で、職務を全うするべく死力を尽くした。
私は彼らと話をしたこともない。名前も知らない。それでも死した彼らを見て、胸が締め付けられるような感情が湧いてきた。とてもではないが、「番に会えておめでとう!」と祝福ムードの気持ちにはなれなかった。雪菜はあの遺体の数々を、惨状を見て何も思わなかったのか。それともそういう思いすら吹き飛ばしてどうでもよくしてしまう魅力が、番にはあるのか。
どちらかと言えば後者なのだろう。歴史に残された獣人たちの中には、番のために圧倒的不利な状況を覆した者も、番のために可笑しくなってしまった者も、どちらも多く存在している。地位が高いとか低いとかは関係ない。番というのは獣人にとっては己の魂の一部……そういわれている…………けれど…………。
(運命の番……どうしてそれほど重要な存在が、獣人にだけ存在しているのだろう)
昔から感じていた疑問だった。
だが今はその疑問について深く考えている場合でもない。
もう一つ、気になっている事があるのだ。
雪菜がブラッドリー殿下を運命の番だと言った時の、ローザスの人々の反応。それはお世辞にも友好的な……或いは好意的なと言い換えても良いかもしれないが、ともかく前向きな反応ではなかった。どちらかというとだいぶ後ろ的な……。
「雪花の言う通りです、貴方」
お母さまの声でハッとする。意識が思考に集中すると周りが見えなくなる、昔からの悪い癖である。
「今急ぐべきは殿下方の治療と王都への連絡、そして被害の確認ですわ。雪菜の事情は優先事項ではありません」
「だがアガタ、番が同じ屋敷にいるというのに会えないというのは」
「相手が一貴族子弟や平民であれば、多少の無茶は出来たかもしれませんが、相手はローザスの第三王子その方なのですよ。こちらの一方的な事情を押し付ける事がどうして出来ましょうか」
お母さまにはとかく弱いお父様である。最終的に鼻に少し皺を寄せつつも、今暫くの間雪菜を部屋にて軟禁する事を決められた。軟禁まで話が飛ぶとは思わなかった。
私としてはしっかりと叱って冷静さを取り戻すように声をかけて欲しかったのだ。
……まあブラッドリー殿下方がいる間は勝手な事をしないように監視をつけるぐらいの姿を見せねばローザスの人々が安心できないのではとは思っていたのだが、お母様とお父様が話している内に、いつの間にかそんな段階にまで話が飛躍していたのだ。…………私なんかよりよほどアウトドア派な雪菜に、何日、いや何時間耐えられるだろうか。違う意味で心配になってきてしまう私であった。