07
「え?」
私は横に立つ妹の顔を見た。
雪菜の発言はその場に響き、誰もが呆然と雪菜を見つめている。その雪菜はただひたすらにまっすぐに一点を見つめていた。目は潤み、頬は紅潮し……。そんな感じの変化を、私は何度か見た事がある。
お父様がお母様を見つめる時の表情。
それから、お兄様が「運命の番を見つけたんだ!」と言って番の少女を連れてきた時の表情。
私は恐る恐る、雪菜の視線の先を追った。この場の、誰を彼女が見つめているのか。
それを追いきるよりも、横の雪菜が動く方が早かったけれど。
「会いたかった……会いたかったわ!」
感無量という声を上げて雪菜がこの場の誰かに飛びつこうとするのを、間一髪後ろから抱き留めて抑えた私は本当にファインプレーだったと思う。ただ相手には抱き着かせなかったものの、雪菜のパワーが想定より大きくて私も半ば引きずられてしまったので、結果的に相手は数歩後退していたが。少なからず恐怖は与えてしまった気がする。
「雪菜、雪菜落ち着きなさい」
「私、私の番っ私だけの愛おしい人!」
雪菜が必死に手を伸ばす。その先にいたのは、ブラッドリー殿下だった。
私たちより後ろにいた護衛たちは、雪菜が番番と大きな声を上げるのに、喜びを見せる。
「なんと、雪菜お嬢様の番がこんな所で見つかるとは!」
「なんて喜ばしい事だろう!」
そんな獣人側に対して、ローザス側の反応は良いとは言えなかった。
「……お兄様が、番?」
「嘘だろう、アリステラ様に続いて……?」
「そんな……」
明らかに、友好的な態度ではない。
番を感じ取る力は獣人にしかないから仕方ないと言えば仕方ない。……しかし彼らの反応は突然訳の分からない事を言われて困惑しているだけには見えない。
だというのに、腕の中雪菜は冷静さを欠いているし、護衛たちも番が見つかった事は素晴らしい事だとニコニコしていて、ローザスの人々の反応には気が付いていないようだった。
「お姉様、放してくださいッ! 嗚呼私の番……愛しているわ、貴方の傍にっ」
雪菜が腕の中で暴れれば暴れるほど、ブラッドリー殿下たちは後ろに下がっている。アリステラ殿下は雪菜の大きな声に恐怖を覚えたのか兄であるブラッドリー殿下に寄り添い、ブラッドリー殿下もアリステラ殿下を守るようにそっと腕を回した。
それに雪菜が喉の奥から唸り声を出す。
「私の番に近寄らないでッ!!!」
番を見つけた直後の獣人というのは精神的に繊細かつ過敏になっている。そのため肉親であろうとも、番の傍に異性が近づく事を極端に嫌がったりする……。本で読んだ事があるし、お兄様が初めて番の子を連れて屋敷に帰ってきた時も、お父様や番の子の実父ですら近づいてくるのを拒否していた。だから理解できる。
けれど番の子が鳥人で、番を理解できたお兄様の場合とは違い、今雪菜が番だと縋ろうとしているのは人族だ。人族は番が分からない。そんな彼らに番の常識は通じない。
「ひっ……」
アリステラ殿下は余計に怯え、ブラッドリー殿下は顔を歪めて彼女を雪菜から遠ざけようとして彼女の体を隠すように体を動かした。それによりお二人の密着が増えてしまい、雪菜の怒りがさらに上がる。このままではまずいと、私は未だに祝福ムードで動かない雪菜の護衛二人を呼んだ。
「貴方たちっ、雪菜を連れて先に屋敷に帰りなさい!」
「え?」
「それと藤次郎が騎士のみんなを連れてきている筈だから、こちらに案内して! 早く!」
私の言葉に護衛二人は我に返ったように返事をし、私が一人で抑えていた雪菜を抱え上げる。
「いやっ放して! 番、私の番! 助けて! 愛しい貴方!」
私一人ではギリギリ抑えられていた雪菜だったが、鍛えている成人男性に抱えられてはどうしようもない。通常であれば護衛とはいえ体を密着させるのは宜しくないが、今は非常事態なので見過ごされるだろう。
それにしても正気ではない。いつもの雪菜からは考えられないほど強烈だった。普段と違う気がした言葉遣いは彼女が好きな演劇を参考にしたのか、それともお父様の愛の言葉を参考にしたのか……。
護衛二人が去っていく。雪菜は抱えられて尚、ずっとブラッドリー殿下に向かって手を伸ばしながら、彼を……番を呼んでいた。ブラッドリー殿下は雪菜が去っていくのを厳しい目で見送っていた。その顔を見ればわかってしまう。私たち獣人にとっては出会える事は何よりの幸せと言われている運命の番だけれど、その存在が、少なくともブラッドリー殿下にとっては喜ばしいものではないという事が。
「妹がご迷惑をおかけし、申し訳ございません」
私はローザスの皆さんに対し、そう謝罪をした。
彼らは今先ほどまで命を狙われ、必死に戦っていたのだ。その戦いがようやく終わり一息つけるかもと気を抜いた所で、雪菜が騒ぎ出してしまった。精神的な疲労は私では想像も出来ない。
深く頭を下げる私の横で、護衛の梅も頭を下げた。主人である私が頭を下げているのにその従者である梅が頭を下げない訳には行かないからだ。……梅も他の護衛たちと一緒で雪菜の番が見つかったと喜んでいたので、困惑の表情が隠しきれていなかったけれど。
頭を下げていたのでローザス側の表情の変化は見えなかったけれど、張り詰めていた空気が緩む感じがした。
「……どうか顔を上げて下さい」
ブラッドリー殿下の落ち着いた声に、私はゆっくりと顔を上げた。ブラッドリー殿下の顔には疲れが僅かに見えていたけれど、先ほど彼の瞳に見えた鋭さはなくなっていた。その横にいるアリステラ殿下も震えが止まっているようだった。