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「座ったままはいやですわ」
座して話しているままでは、半永久的に伊空王子に抱えられてしまうと察したらしいアリステラ殿下がそう言い出した事で、私たちは庭を回る事になった。冬でなくて良かったとつくづく思う。冬は冬で、世界が銀と白で覆われて美しいのだが……恐らくアリステラ殿下たちには厳しい寒さになってしまうだろう。伊空王子がどの程度寒さにお強いのかは知らないが、アリステラ殿下方と比べてしまえばかなり寒さにも強いはずなので、そちらはあまり心配しないが。
「ふむ。中々整えられている」
王宮と比べてか、伊空王子はそういった。その言葉に、お兄様と私はありがとうございますと頭を下げる。
上から目線の言葉だが、彼の立場ならそうもなる。なにせ相手は我が国の王子なのだから、彼が普段見ている王宮の庭もさぞかし豪華なものだろう。侯爵家はそれなりに大きい家であるが、国の中枢と比べられたらどうしようもない。
それからもう一つ、侯爵家は使用人の中でもオオカミの数が多い。大体の傾向でしかないが、肉食の動物と同じ特性を持つ獣人は、花を愛でて楽しむ感性が弱いというか……薄いというか……そういう方面に主に力を入れているのは、やはり草食の動物と同じ特性を持つ獣人が主体となっている屋敷が多いのだ。初めて王都でそのような貴族の屋敷を訪れた時は、手の込んだ準備が施されていた庭に心底驚いたのを覚えている。我が家はお母様がいらっしゃるので、まだ庭が整えられている方だが。
「だがしかし、やはり花となるとローザスの方が美しいな。アリステラ」
ニコニコと伊空王子は横のアリステラ殿下に話しかける。アリステラ殿下は祖国が褒められた事は嬉しいが、凍狼侯爵家の人間の手前、ハッキリと言葉を受け取るのは憚られたようだ。曖昧な微笑みを浮かべている。
「ローザスは訪れた事はありませんが、一年を通して花に満ちる美しい国と伺っております」
アリステラ殿下を見ながら言うと、アリステラ殿下は私の視線を受けて口を開いた。
「はい。我が祖国の王宮では、常に花の香りを嗅ぎながら、様々な色の花の姿を楽しむ事が出来ますわ。わたくしはローザスにはおりませんが、是非いつかローザスを訪れてくださいまし」
「貴方方は我々の恩人だ。いつでも来てくれて構わない。歓迎しよう」
ブラッドリー殿下も揃ってそう言ってくださった。それに感謝の言葉を伝えつつ、私は心の中で思った。
(多分、我々の嗅覚では苦しむことになるのでは……)
どこにいても花が見えるほど花で満ちていて、匂いもする……恐らく人間より嗅覚に優れている私たちは耐えきれない。
ああでも伊空王子たち一行は問題なく訪れていたのだから、対策は何かしら出来るのだろう。道具か、魔法か。
魔法と言えば、それこそ、私がこれから留学する事になるプラリウス王立学園があるクライストリーが十八番だ。留学中に嗅覚への対処方法を何かしら取得出来たなら、ローザス王国を訪れてみるのも良いかもしれない。わざわざブラッドリー殿下のお手を煩わせるつもりはない。一旅人として訪れるだけでも良いだろう。
「む」
庭の散策が続く中、突然伊空王子が声を出す。彼の視線の先を追うと、我が家の庭に作り出された人工的な小川によって出来た小さな島に向けられている。その島にはいくつか花が植えられているが、わざわざ川を渡って手入れするのが手間なためか、庭の他の部分と比べるとただ草を刈り揃えているだけという感じがあった。
「アリステラ。あそこに行かぬか」
「え? …………あそこですか。ですが橋も船もありませんわ」
「橋も船もいらぬ」
「王子っ!」
私やお兄様が止めるのが、少し遅かった。
伊空王子はアリステラ殿下を抱き寄せたかと思えば、その体をあっさりと横抱きにして抱えて、背中の翼を広げてしまった。
伊空王子にしてみれば、空を飛んだともいえぬ距離だっただろう。だが翼を持たぬ私たちから――ブラッドリー殿下からすれば、一瞬で手が届かない所に行かれてしまった状態である。
「アリステラっ!」
酷く焦った声を上げた兄殿下と対照的に、小島に降り立ったアリステラ殿下は、目を丸くさせて瞬きしていたが、少なくとも我々から見て嫌悪感らしい感情は顔に出ていなかった。ただ隠していただけかもしれないが。
「王子っ、急に飛ばないでくださいませ。何か危険があったら一大事でございます!」
「この程度の飛距離で危険などどうして起きるのだ」
お兄様の主張に、川を挟んで向こう側に立っていた伊空王子は不満げな顔をした。彼からすればそうだろうが、万が一、万が一があったら責任を問われるのは誰になるのだ、という話になる。ここが王宮なら何も言わないかもしれないが、ここは侯爵家なのだ!
頭を抱えそうになる私たちの横で、ブラッドリー殿下は真面目な顔で言った。
「失礼だが、あちらに渡るにはどうしたら良い? 橋を架けるのだろうか。それとも船を用意してもらえるのか」
自分もあちらに渡る。
ブラッドリー殿下の目は、顔は、そう強く主張していた。