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屋敷の騒ぎを聞きつけて妹の元へ駆けて来たブラッドリー殿下は伊空王子の姿に一瞬固まった後、未だにアリステラ殿下を腕に抱き留めて周囲を無視していた王子を止めてくれたと兄から聞いた。
場所は移り、お父様の応接間に伊空王子、ブラッドリー殿下とアリステラ殿下も入って行かれた。
私とお兄様には何も指示が無かったのだけれど、私たちは応接間のすぐ外の廊下に立っていた。
私たちは会話を――全くせず、耳を澄ませて応接間で何の会話がなされているかを知ろうとしていた。お互いに何か話し合った訳でもないのに全く同じことを試みていたので、なんというか、やはり兄妹なのだなと自分でも思ってしまう。
しかし声は全く聞こえない。耳を澄ませても、この距離なのに部屋の中の会話は全く聞こえてこなかった。
「これは魔法使われてるな」
「ここまで聞こえないとなると……防音魔法でしょうか?」
獣人は全体的に、魔法を使う事を苦手としている者が多い。これはそもそも人間や獣人たちを神が作り上げた時の違いと言っている宗教もあるが、アールストンではその説は認められていない。
確かに苦手としている人は多いけど、全くいないという訳ではないからだ。
実際、どこの貴族の家もたいてい魔法使いを雇っているし、我が家にも魔法使いとして働いている者が複数人在籍している。
余談であるが、我が家の魔法使いの最も重要な職務は、お母様の護衛である。
運命の番であるお母様を溺愛しているお父様は、お母様を連れて帰ってきて以降、彼女の身を護るために魔法使いも追加で雇い入れた。彼らは交代制でお母様の護衛や使用人に紛れて、お母様を守り続けている。
お母様が嫁いで来られてからの十数年、今のところ問題が起こった事はないというが、お父様が警戒を緩められた事は一度としてない。
お父様のお母様溺愛話はともかくとして、意識を集中しても部屋の中の音が聞こえないうえに他の騒音で耳がおかしくなりそうになったので、私もお兄様も耳を澄ませる事を諦めた。
「雪勝お兄様。少し確認してもよろしいですか」
「どうした?」
「伊空王子……あのような方でしたでしょうか?」
伊空王子は、アールストンの第三王子だ。
現在、アールストンには国王陛下と王妃殿下の間に五人の王子がいる。国王夫妻は運命の番であり、番われてからも一度もお互いへの愛が薄れた事はないそうだ。今の王家……国王夫妻とその家族は、全員ワシの鳥人だ。
五人の王子は誰一人欠ける事なく育ち、既に五人の内三人の内が番を得ている。勿論、運命の番だ。
王族は、ある程度の年齢になると護衛を連れてではあるが家族と離れてアールストン全土を回る。これは国内にいる可能性のある己の運命の番を見つけるためだ。同じような事をしている獣人は国内に多いが、王族は旅を支える財力や権力が違う。町ごとに未婚の女性を全員集めさせたりして番がいないかを確認しながら旅をするのだ。
こうした背景のためか、王族が運命の番を見つけて一生を添い遂げる確率はかなり高い。
そんな中で、まだ運命の番に出会えていなかったのは第三王子である伊空王子と、末の王子のみ。
末の王子はまだ旅に出るには幼すぎるので、旅に出た上で運命の番を見つけられていないのは伊空王子ただ一人だった。勿論、過去形の話だが。
そこの事情はさておき、私が知っている限り伊空王子はどちらかというと他人と距離を取る孤高の方、という印象が強かった。
体格こそ兄君たちに劣るものの、戦いでは自分より二回りも体格の良い獣人たちを負かすほど強いと聞く。
私は王都に長く滞在しないものの、行けば王都の女性陣から話ぐらいは耳にする。
王子の中で女性受けが良いのは、まず第二王子(見た目が一番麗しい)。次に第四王子(女性に対して特に態度が柔らかい)、第一王子(女性からの人気もあるが、どちらかというと男性からの人気の方が高い)、幼い第五王子(愛らしい容姿で人気を集めている)と続く。そして最後に、第三王子の伊空王子となるのだが……これはここ数年、特に変わっていない。
伊空王子が最も人気のない理由は、パーティー等に出席した際に彼が女性に対してとても素っ気ない態度しかとらないから、らしい。私はパーティーの時に伊空王子と一対一で会話するようなタイミングは一度も無かったので、実際にその態度を見た事はないが……少なくとも、少し雑な態度を過去取った事があるのは事実だろう。そうでなければ、あれほど広く王都の女性陣の間で情報が共有されはしない。
そんなイメージと、アリステラ殿下の名前を必死に呼んでいた伊空王子や、再会と同時にアリステラ殿下を強く抱きしめ熱烈な口付けをした伊空王子が、全く繋がらないのだ。
私の疑問に対して、お兄様は少し首を傾げた。
「番相手だからな。あんなものじゃないか?」
お兄様は簡単にそう言った。勿論それは私も頭では理解している。理解しているのだが……今私が欲しかった答えは、それではなかった。だがこれ以上兄に尋ねても無意味だろうと思い、そうね、と曖昧な返事をしておく。
そんな会話をした所で、前触れなくドアが開いた。事前に中の音で雰囲気の変化を感じ取る事も出来なかったので、私とお兄様は揃ってその場で飛び上がったのだった。