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侯爵家は大騒ぎになった。何せ王族がただ一人で突如屋敷に現れたのだから。
護衛の一人もつけていないと思われた王子殿下は、挨拶もおざなりに、焦った表情で近づいてくる人間の顔を見る。しかしその中に、お目当ての人間はいないので彼が満足できるはずもない。
「アリステラはどこにおるのか!」
第三王子はぽいと片手に持っていた我が家の使いを放った。
投げられた使いはなんとか受け身を取って自力で立ち上がったが、尾を自分の腹側に回しつつ、生まれたての鹿のように膝を震わせている。彼を哀れに思い、同僚の一人が持っていた手紙を受け取って屋敷内部へと走った。
焦りと不機嫌のはざまのまま、第三王子殿下は地に降りられて背中の大きな両翼をたたんだ。
それから、偶然屋敷の庭に腰かけていた私を見た。
「そなた。凍狼の娘だな」
これでも、アールストンの中では高位に分類される貴族の家の娘。王族と多少顔を合わせて挨拶ぐらい交わす事はあった。それ故に覚えられていたか、或いはもっと単純に周りの使用人たちと恰好が違ったから分かったのか……どちらであるかは不明だが、彼にそう声をかけられて初めて、弾かれたように立ち上がり礼をする。
「凍狼侯爵家が娘、雪花でございます」
「アリステラはどこだ」
「アリステラ様――はッ――!」
屋敷の中にいらっしゃるという事を伝えようとしたが、アリステラ殿下の名前を口にした瞬間に体全体に岩を載せられたかのような圧がかかった。目の前の王子が放ったものだと考えずとも分かった。
尾が震え、下に垂れ下がる。耳もぺたりと伏せてしまった。自分ではどうにも出来なかった。
一度俯いて、それから歯を食いしばり、勢いよく王子を見上げる。
「第三王子殿下に代わりまして凍狼家にてお守りしております。ご案内いたします」
ほぼ一息に言い切ると、王子の片眉が上がり、体にかかっていた圧が消えた。
「うむ」
王子は背中の羽をたたみなおしながらそう頷いた。
そのタイミングで、慌てた様子で屋敷の中からお兄様が走ってきた。
お兄様は第三王子の顔を見ると私の横に並んでから、頭を下げた。
「凍狼侯爵家が息子、雪勝でございます。ようこそ王都から遠く北へお越しくださいました伊空第三王子」
「アリステラに会わせよ」
「勿論でございます」
屋敷の中を、私と兄が先を行き、その後ろを伊空第三王子が続いてくる。道中はほぼ無言で、私もお兄様も早足にアリステラ殿下が今いる部屋を目指していた。
殿下がいらっしゃる部屋の前には、ローザスの騎士たちがいる。彼らは私たちに目を止めて少し安堵した様子を見せてから、その後ろに現れた羽を持つ者に目を見開いた。
「伊空第三王子殿下がアリステラ殿下の元に参りました」
「っ、ご案内いたします」
騎士たちはそう返事をして中に声をかけようとしたが、どうにも伊空王子がそれを我慢できなかったようであった。彼は騎士も押し退けて、本来外開きのドアを内側に向けて押し開けた。当然ドアは勢いで歪む。右側は辛うじてまだ金具がつながって支えられているが、左側は完全に壊れて床に倒れてしまった。
突然の行動に我々が唖然としているのも放置して、伊空王子の背中の茶色い翼がバッと広がった。興奮しているのだろう。
「アリステラ! ああ、ああ、アリステラ! 会いたかった、我が番!」
伊空王子は何度もそおう叫び、そして両腕でアリステラ殿下を抱きしめられていた。突然ドアが壊されて人が外から入ってきたアリステラ殿下がどんな心境だったか、どんな表情をされていたのかは、ある意味考えるまでもないだろう。
「い、イゾラさ――まっ――ん――!」
「アリステラッ」
私に見えていたのは殆ど伊空王子の背中だけだったのだが、王子の翼が小刻みに揺れているなと思った次の瞬間、そっと兄に目をふさがれる。
目をふさがれたものの、ちゅ、ちゅ、むちゅ、という音が聞こえてきて、何が起きているかを私は察してしまったのだった。