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「雪菜お嬢様の番が獣人でしたら、今回の騒ぎは何一つ起こらなかったでしょう。……獣人ではなかったとしても、一部の国では獣人の番に選ばれる事を喜ぶ風潮もあるそうですから、そういう人が番でしたら、問題は起こってもここまでではなかったかもしれません。ですが……ローザスの王子殿下は、恐らくですが雪菜お嬢様を娶る事はされないのではないかと。だから、運が悪いと申し上げました」
「どうしてですか? 雪菜お嬢様はかの方の番なのに!」
私たちの会話を横で聞いていた梅が、信じられないとばかりに目を丸くする。そういえば私以外の屋敷の使用人の皆は、雪菜の扱いについてどう思っていたのだろう。その疑問は、梅の言葉の続きで分かった。
「確かに雪菜お嬢様の、その、初対面は少しよろしくなかったと、後から思います。今まさに命のやり取りをしていた方々に対してよくなかったでしょう。ですがここまでお部屋に閉じ込め続けて、番から引き離すのはあまりに可哀想だと皆言っています」
やはり皆の認識はそんな感じだったのだろう。それでも皆、主であるお父様の指示に黙って従ってくれていたのだろう。
牡丹先生はぴんと両耳を立てた。
「その気持ちは多少分かりますが、梅、今回雪菜お嬢様は雪花お嬢様に対してですらあれほどの攻撃性を見せました。医術師として、雪菜お嬢様を部屋に閉じ込めておく対応はむしろ強化すべきとしか判断できません」
「ローザスの王子殿下とお会いしてお話出来れば、落ち着くはずです。雪菜お嬢様のあの状態は、ただ番と会えない事から来ているのですから」
「王子殿下が、誰よりも、雪菜お嬢様とお会いする事を拒絶しているのですよ」
梅は信じられないと驚いていたけれど、私はむしろ納得してしまった。
最初の時、雪菜がブラッドリー殿下に対して番だと言い出した時の反応。そしてその後の行動……。
そして牡丹先生からもたらされた、ブラッドリー殿下が雪菜を拒絶しているという情報……。
何も矛盾しないと、思ってしまった。
「人間は、運命の番が分からない。そしてブラッドリー殿下は、ローザス王国の第三王子。…………これは特に隠す事ではないでしょうからお伝えしますが、既に、長年、婚約者として過ごしている他国の姫君がおられるとか」
「他国の……そうだったのですね」
王子と他国の姫君の婚約。……政略的なもの以外にあり得ないだろう。第三王子で、しかも、私の記憶が確かならブラッドリー殿下は王妃殿下の実子ではない。
そのような難しい立場で、突如関係ない女性に「貴方は私の番よ!」と熱烈な態度を見せられても、迷惑なだけだと簡単に想像がつく。ブラッドリー殿下が獣人で番が分かるならばまだ話が前向きに進むだろうが、番に対する熱量を感じる事も出来ない人間だ。
他国の姫君と、他国の侯爵家の令嬢。
勿論、背後にある国力だとか、ブラッドリー殿下の祖国であるローザス王国との関係だとか、単純に二つを比べる事は出来ない。だが同列で婚約者の候補とかならば比べるのが難しいだろうが、既に婚約関係にある前者の姫君と、数日前にたまたま会っただけの雪菜。
政略的に考えて、雪菜に勝ち目らしいものがあるとは思えなかった。
梅はまだ納得できないという表情をしている。
牡丹先生は耳をぴくぴく動かしながら、腰かけて息をついた。先生の手元は机の上にあり、羽ペンをカリカリと動かしている。数分してから、先生はその紙を丸め、引き出しの中から黒い紐を取り出して紙に結び付けた。そしてその紙を、私に差し出す。
「雪花お嬢様。私の代わりに、旦那様にこちらをお渡ししていただけますでしょうか」