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「獣人は人間より体が強いとはよく聞きますが……オオカミの獣人は森の中でもかすかなにおいが分かるほどに鼻が良いのですね。鼻以外も良いのかしら」
「そうですね。一般的に、嗅覚と聴覚は他よりも優れている傾向にあります」
アリステラ殿下の話に私は相槌を打つ。
話し相手を引き受けたものの、私も私であまり近しい年代の子供と話す事が多い訳ではない。それこそ、自分の兄妹や兄の番とか位で……どちらかというと、普段は年上の人に囲われている事が多いのだ。
正直、これでいいのか? と感じる会話になる事もあるけれど、アリステラ殿下の方が色々と声をかけてくださるのでとても助かっている。
「聴覚も……あの時は、わたくしたちが襲われている音を聞きつけて駆け付けて下さったと聞きましたわ。もしかして、今も沢山の音が聞こえているのかしら」
「アリステラ殿下が聞こえておられる音が分からないので何とも申し上げにくいのですが……普段はそこまで聞いていませんよ。必要でないときはある程度力を使わないように意識しておりますから。……ですが、必要であれば遠くの音も聞けますよ。例えば……」
そう言葉を切り、私は目を伏せて両耳に意識を集中する。周囲の音を拾う事に意識を向ければ、様々な音が入ってくる。
まず聞こえてきたのは同じ階を歩いている使用人たちの足音。その足音から、誰が歩いているかも予想が付くし、動作の遅さから、重いものを運んでいるのだろうと予想がつく。
厨房で料理をしている使用人の音も聞こえる。水に野菜をつけて洗っているらしい。
洗濯をしている使用人たちの音が聞こえてきた。丁度水を綺麗なものに変えようとしているのか、桶の中の水をひっくり返しているようだ。
それから廊下を仲良く歩いている足音……雪勝お兄様と、その番であるお義姉様だ。いつも通り、仲良しそうでなによりだ。
それから……おや。
「どうやらブラッドリー殿下がこちらに向かっておられるようですね」
「お兄様が?」
「はい」
アリステラ様たち人間種と私たち獣人種は、重心の位置の違いによるのか、足音が結構違う。その中でも特にブラッドリー殿下とアリステラ殿下は重要な人物であるために、耳に足音が記憶されていたようだ。
「今……階段を上り切られて、廊下をこちらに歩いて来られていますね。後ろに部下の方を二名連れていらっしゃいますね。恐らく…………あと数分で到着されるのではないでしょうか」
アリステラ殿下は半信半疑という感じであったが、ブラッドリー殿下の足音以外に聞こえた音の情報を話している間に数分が経過して、外からドアがノックされた。
「アリステラ。私だ。入るよ」
そう声をかけてからブラッドリー殿下はドアを開けられて入ってこられた。入ってこられたブラッドリー殿下の後ろには、部下である騎士が二名いる。それを見てから、アリステラ殿下は兄殿下と同じ紺碧の瞳を丸くさせ、それから白い頬を薄桃色に染めた。
「まあ、セッカの言った通りです! 正直に言うと少し疑っていたのです。ごめんなさい」
「謝らないでください」
「何の話だ?」
ブラッドリー殿下は不思議そうな顔をしてアリステラ殿下の方を見ながら近づいてくる。私は立ち上がり礼をしようとしたが、ブラッドリー殿下に先んじて手で制されて結局座ったまま軽く礼をするにとどめた。
アリステラ殿下は腰かけたまま近づいてきた兄君を見上げた。
「今、セッカとオオカミ獣人の特徴について話をしていたのです」
「ああ……」
「すごいのは嗅覚だけではないのですよお兄様。今セッカは、お兄様が二人の騎士を連れてこちらの部屋に来る事も当てて見せたのです、音だけで!」
アリステラ殿下の言葉にブラッドリー殿下はほんの少し紺碧の目を丸めて、私に視線をやる。
「そんな事が出来るのか」
「しようと思えば、ある程度は。とはいえ聞こえる音を判別できる前提での話です、かなり集中力が必要にもなります。欲しい音だけが聞こえる訳ではありませんからね」
「まあそうなの?」
首を少しかしげられたアリステラ殿下に頷く。
「例えばですアリステラ殿下。もし殿下が突然耳が良くなって、ここから離れた森の中で小鳥が鳴いている音も聞こえるようになったとします」
「ええ」
「ですがその遠くの音だけが殿下の耳に届くわけではありません。小鳥と殿下の間にある全ての人や物が立てる音が、殿下の耳に届くのです」
「…………すごく、騒々しい事になりそうですわ」
理解してくれたアリステラ殿下に私は苦笑しつつ頷いた。
手馴れた者は瞬時に聞きたい音だけを聞き取る事も出来るというが、かなりの訓練が必要だろう。
少なくとも私にできるのは、比較的自分に近いところからゆっくりと範囲を広げて行って、無数に聞こえる音から何となくこういう事をしているな……と想像するぐらいしか出来ない。