02
アールストンは周りからは獣人の国とも言われるが、正確には国民の種類は色々ある。
周辺国の人間は一括りに獣人と言うけれど、アールストン人たちは自分の事を獣人、鳥人、爬人、魚人と種族を細かく認識している。オオカミは勿論獣人だ。我が国の王族は鳥人の家系だし、沿岸部の住民は魚人や爬人の割合が多い。
そして私の暮らす北部の方は殆どが獣人で、爬人や魚人は殆どいない。鳥人はいるけれど、住民の割合でも見れば少数だ。
「お姉様っ! またお勉強ですの?」
我が家の屋敷には、大きな書庫がある。様々な書物を所狭しとしまわれている部屋は、自室の次に私が長い時間を過ごしている場所だ。
「今しているのはただの読書よ。どうしたの雪菜」
一つ下の妹である雪菜は、父譲りの綺麗な白色の耳をピクピクと動かした。
雪菜は私が座る周りを見る。書庫は書物をしまう場所であり、人が長時間いる事を想定されていない。私が入り浸るようになってから一人分の椅子が用意されるようにはなったものの、ほかに居座る人がいる想定はないため、雪菜が座る椅子は此処にはない。
とはいえ雪菜は書物を椅子にするような野蛮な娘ではないので、座るのを諦めて私に近付いてくる。私の腕に手をかけて、甘える鳴き声を出しながら私の肩に額を擦り付けてきた。
「お姉様、たまには雪菜と遊びましょう?」
「何をするの?」
「かけっこ!」
雪菜は笑顔でそういった。
おままごとと言われたら断っていたかも知れないが、遠出ならば断る理由もない。
周辺国……というよりも、人間が治める国では、貴族の女性はあまり激しい事をしないそうだ。しかしそれはアールストンにおいてはあまり当てはまらない。何せ獣人は男も女も体を動かす事が好きな者が多いし、種族によっては女の方が力があったりする。
私たちオオカミの獣人は特に走る事が好きで、男でも女でも気が済むまで駆け回るものだ。本の虫と思われている私とて例外ではない。
本を閉じ書庫を出て、遠出の服に着替えようと自室に戻れば、侍女たちが待ち構えていた。どうやら雪菜は事前に侍女たちにも話を通していたらしい。
貴族が着替えるのに使用人の手を借りるのは、他国とそこまで変わらない点だろう。
侍女たちに手伝ってもらいながら服を着替えて、雪菜が待つだろう表玄関へと向かう。
その道中、落ち着いた声が私を呼び止めた。
「雪花」
「お母様」
振り返ればお母様が立っている。私達とは似ても似つかない鮮やかな緋色の美しい髪は、長く伸ばされてお母様の背中で揺れている。家の中だというのにお母様の背後に付き従う女性の護衛たちは、何年経っても衰えない父の溺愛ぶりを表していた。
お母様は、この国の産まれじゃない。遠い人間が治める異国で小さな貴族の娘として暮らしていた。そしてある日たまたまその国に訪れていたお父様と出会い、お父様は一目見てお母様が番だと分かったという。そうしてお母様は生まれ育った土地を離れてアールストンに嫁いできて、お父様と結婚し、私たちが生まれた。
お母様に駆け寄ると、頭上の耳の間を数度撫でられた。撫でられたというか、その動作はむしろ髪を整えられた気がして、慌てて頭を抑える。
「跳ねていました?」
「少しね。遠出するの?」
「はい、雪菜が声を掛けてくれたので。お母様も参りますか?」
自分の足で走る私達とは違い、母の場合は馬に乗って走ることになるが、雪菜もお母様が行くとなれば喜ぶだろう。
難しいと思いつつも一応そう提案してみたが、お母様はゆっくり首を振った。
「いいえ、旦那様の許可のない遠出は出来ないし、私が一緒では雪花も雪菜も心ゆくまで走れないでしょう。……怪我には気を付けて」
「はいお母様」
まあ、その返答は予想が出来た。私はお母様の言葉に頷いた。
たしかに馬に乗ったお母様と直接駆ける私達では、躊躇いなく走る私たちの方が早い。馬も単体で駆けるならば同じぐらいだが、お母様を背中に乗せてはそう早く走れない。確かに走りたいという欲は満足は出来ないかもしれない。
けれどそれ以上にお母様と出掛けた喜びがあるのだけれど……お父様が後から知れば、怒るだろう。それも分かっていた。
人間であるお母様の体は獣人の私達よりも遥かに脆い、だからお父様は番であることに輪をかけて、お母様に過保護なのだ。娘だから、それも分かっている。もしお父様が屋敷におられれば直にお話をしに行けたけれど、今は少し外に出ていて、今日の午後に帰ってくる予定だ。……もともと、ダメ元で声をかけてみただけだ。
お母様に行って参りますと答えて表玄関へと移動すれば、雪菜は既に遠出の格好に着替えて私を待っていた。
「遅いです、お姉様!」
「ごめんね、お母様と少しだけお話ししていたものだから」
「お母様と?」
雪菜の目の色が変わる。
「ずるいわっ、いつもお姉様ばっかりお母様とお話しして!」
ずるいと言われても、たまたま廊下で顔を合わせただけなのだからどうしようもない。
「たまたまよ」
「お母様はなんて?」
「遠出するなら、怪我がないようにと」
「なら絶対に怪我をしないように気を付けましょう、お姉様っ」
勿論だ。雪菜の言葉に私はうなづいた。ただ出掛けるだけで、そんな怪我をするような危険な事に出会う訳なんてないのだし。……などと、その時は思ったのだ。