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玉手箱の中身

作者: ウォーカー

玉手箱。

おとぎ話において、浦島太郎が乙姫から受け取る箱。

浦島太郎が箱の蓋を開くと年寄りになってしまう。

大事なもの、あるいは封じられた罪の象徴と解釈されることもある。



 玉手箱が開発中。

ある地方新聞にそんな記事が掲載された。

記事で取材に応えているのは、地元の医療機器企業の社長である男。

自らも医師として多数の患者を治療していて、地域で人望ある人物だった。


「では、社長にうかがいます。

 御社では玉手箱を開発中だというお話ですが、

 玉手箱とは、どのようなものなのでしょうか?」

「はい。ご説明いたします。

 玉手箱とは、当社が開発中の医療機器です。

 その名の通り、外見は玉手箱のような箱型をしています。

 しかし、その中身はれっきとした医療機器。

 玉手箱の中を見た人の顔を認識して、薬剤を噴霧、

 さらには音や光を用いた一種の催眠療法を行い、

 記憶を一時的に保持しにくくする効能があります。

 心の麻酔、とでもいいましょうか。

 つらい記憶は時に人に害をおよぼすことがあります。

 玉手箱は、記憶を保持しにくくすることで、

 つらい記憶が人に害を及ぼすことを軽減します。

 過去のつらい記憶は思い出しにくくなり、

 新しくつらい記憶を作ってしまうことも防げるのです。」

「それはすばらしい。

 誰しも、忘れてしまいたい記憶の一つや二つはありますものね。

 しかし、脳に作用ということですが、害はないのでしょうか?」

「玉手箱の副作用としては、

 効能が続いている間、意識が朦朧とすることがあります。

 古い記憶を思い出したり、新しい記憶を作ることを阻害するのが原因です。

 しかし、それ自体が治療でもありますので、害はないと考えています。

 記憶によるところが小さい日常生活などへの影響は少ないでしょう。

 また、玉手箱の効能が続いている間の記憶は保持しにくいので、

 効能が切れて意識が戻った時、まるで時間が急に経過したように感じます。

 おとぎ話の浦島太郎と同じような状態ですね。

 ですがこれは玉手箱の副作用であると同時に治療法でもあります。」

「なるほど。

 玉手箱とは、時間をスキップして飛ばす箱なんですね。

 しかし、時間をスキップしてしまうことが、どんな治療になるのでしょう?」

「例えば、難病の治療を受けている患者さんなどにとっては、

 日々の治療やリハビリが重い負担になっています。

 あるいは、過去のつらい記憶に苦しめられている患者さんなどにとっては、

 毎日生活していること自体が苦痛に感じることもあるでしょう。

 そのような人たちがこの玉手箱を使えば、

 つらい記憶に苦しめられることなく、時間を経過させることができます。

 単純に時間をおくことで、心や体が癒されることもあるのです。

 私自身、早くに息子を失っていて、その記憶に苦しめられてきました。

 しかし、この玉手箱を使うことで、無心で時間を経過させることができ、

 その結果、傷ついた心を癒やすことができました。

 私と同じように、つらい記憶に苦しんでいる人たちを救いたい。

 それが、この玉手箱を開発した理由です。」


玉手箱とは、中を見た人の意識をあいまいな状態にして時間を経過させる機器。

古い記憶を思い出しにくく、新しい記憶を作りにくくさせ、

無心で心と体の時間を経過させることで、つらい記憶による心の傷を癒やす。

そんな社長の説明は称賛をもって歓迎された。

すぐに地元の病院で臨床試験、つまり、

実際に玉手箱を人の体で試してみようということになり、

地元の希望者の中から数人の患者が選ばれ、病院に集められることになった。


 玉手箱の臨床試験が開始される当日、病院に数人の患者が集められた。

患者はいずれも地元に住んでいる人たちで、過去に起こったある事件の関係者。

ある事件とは、今から十五年ほど前、

遊びに出かけた子供が地元の山で遺体となって発見されたもので、

もしや人為的に引き起こされた事件なのではとささやかれていた。

いずれにせよ子供が無事に戻らなかったことで、

捜索に加わった地元の人たちなどには大きな負担となった出来事だった。

集まった患者たちは、社長の男が直々に選んだ人たちで、

今も事件のつらい記憶から逃れられずに苦しんでいるという。

病院の一室。

社長の男が自ら医師として参加し、

集まった患者たちに説明を始めたところだった。

「では、これからみなさんに、

 実際に玉手箱を使用していただきます。

 使い方は簡単。

 箱を開けて中を見ればいいだけです。

 中には、音や光それから薬剤を噴霧する装置などが入っていますので、

 目を離さないように、玉手箱の中をまっすぐ見るようにしてください。

 今日からしばらくの間、毎朝この病院に通っていただいて、

 この玉手箱を継続して使用していただきます。

 初回は効き目が現れるのに少し時間がかかりますが、

 何度も使っていくうちに慣れていって、

 いずれは、中を一目見ただけで効き目が現れるようになると思います。」

すると、集まっていた患者の中からまず若い男が口を開いた。

「本当に、それだけでつらい記憶を忘れられるのか?

 もうあの事件のことを思い出したくもなくて、一刻も早く忘れたいんだ。」

患者の切実な悩みに、医師でもある社長の男は頷いて応えた。

「玉手箱の効き目があるうちは、つらい記憶に悩まされることはありません。

 ただ、ちょっと頭がぼーっとすると思いますので、

 車の運転などはできません。

 日常的に行っている動作など、

 記憶に頼るところが少ないものは大丈夫でしょう。

 臨床試験中に休職される場合などの補償もいたしますので。」

医師でもある社長の話を聞いて、他の患者からも安堵の声があがった。

中年の女が口を開く。

「それは助かるわ。

 せっかくつらい記憶を忘れられても、

 お金が無くなったらどうしようもないもの。」

横から、年配の女が心配そうに尋ねる。

「記憶があいまいな期間って、いつまで続くのかしら?」

すると社長の男が、手元の資料を見ながら応えた。

「最初はひと月に一日、玉手箱の効能をなくす覚醒日を設けます。

 玉手箱の効能をなくして、心や体への影響を調べるためです。

 その時に、もう玉手箱の使用を続ける必要がないと判断すれば、

 玉手箱の使用はそこで終了します。

 まだ使用が必要だと判断すれば、さらにもうひと月ほど延長します。

 そうして覚醒日までの日数を少しずつ伸ばしていって、

 いずれは、覚醒日を半年に一日程度にする予定です。」

覚醒日という聞き慣れない言葉に、年配の男が口を挟んだ。

「覚醒日って、玉手箱の効果がないんだよな?

 じゃあ、そのたびにつらい記憶は戻るわけか。」

「はい、そうなります。

 しかし前回の覚醒日から日数が経過していますので、

 その分は記憶が薄れ、心や体への負担は軽減されると考えています。

 必要があると判断した場合はすぐに玉手箱を使用します。

 そうすれば、覚醒日の記憶もあいまいになって、

 ほとんど残らないはずです。」

初老の男が、うんうんと納得する。

「なるほど。

 つまり、玉手箱で記憶をあいまいにして、

 時間が癒やしてくれるのを待つというわけだな。

 心の傷を癒やすのは時間の経過。

 これは古くからいわれていることだ。

 効果も期待できるだろう。

 覚醒日の記憶も後から消せるなら心配ない。」

集まった患者たちは各々納得したようだ。

そうして、社長の男の主導で玉手箱の臨床試験は始まった。


 玉手箱の臨床試験が開始されて、参加する患者たちの生活は変わった。

毎朝、病院にきて玉手箱の蓋を開けて中を覗く。

すると、玉手箱の中から音や光や薬剤が出てきて、

患者は毒気を抜かれたように穏やかな表情になった。

寝ぼけまなこの子供のような意識があいまいな表情は、

ちょっと病的な印象すら与える。

しかし、とうの患者たちは、

他の患者たちが意識朦朧とした様子を目の当たりにしても、

誰も臨床試験を中止にして欲しいとは言い出さなかった。

患者たちにとって事件のつらい記憶は、

それほどまでにしても忘れたいものだったから。

玉手箱の効能がある間は、意識が朦朧としてしまう。

立ったり座ったり歩いたりの日常生活には大した支障はないようだが、

慣れない行動には手間取って時間がかかる。

生きていくだけならばなんとかなる、そんな状態。

患者たちはつらい記憶とともに日々の記憶すら捨てて日常生活を送っていった。


 玉手箱の臨床試験が開始されてから、ひと月ほどが経過して。

まず最初の覚醒日がやってきた。

朝、病院の一室に集まった患者たちは、日課の玉手箱を開かずに、

蓋が閉じたままの玉手箱をじっと眺めていた。

すると、憑きものがとれたように目に生気が戻って、

患者たちは意識を取り戻していったのだった。

急に意識が鮮明になって、きょろきょろと周囲を見渡している。

「あれ?

 俺、どうしてこんなところにいるんだったかな。」

「えーっと、そうだ。

 玉手箱で毎日の記憶をなくしてたんだったか。」

「急に意識が戻って、本当に浦島太郎になったみたい。」

患者たちが意識を取り戻したのを見て、

医師である社長の男が患者たちに説明を始めた。

「みなさん、今日は覚醒日です。

 玉手箱の効能をなくしてみて、お加減はいかがですか。

 つらい記憶が少しでも和らいでいるといいのですが。」

そう尋ねられた患者たちが各々、首を捻ったり腕組みをして考える。

そうして、多くの者がすっきりした顔で応えた。

「そうか。

 今日はあれからもう一ヶ月も経っているのか。

 まるでついさっきのことのようだよ。

 でも、言われてみれば、ちょっと心が軽くなった気がする。」

「そうですね。

 頭の中に霞がかかったみたいで、つらい記憶が曖昧になってます。」

「それはよかった。

 玉手箱で記憶が保持されにくくなっている間も、

 もちろん時間は過ぎています。

 このようにして、記憶が保持されない状態で時間を過ごして、

 つらい記憶を忘れていくことが治療になるのです。

 いかがでしょう。

 必要であれば、玉手箱による治療を続けようと思いますが。」

患者たちの表情をみれば返事は聞くまでもなく明らか。

玉手箱による治療は評価上々。

臨床試験に参加したすべての患者が、玉手箱の使用継続を希望したのだった。


 玉手箱による治療が続けられて、患者たちの多くが快方していった。

最初は、記憶や意識を意図的になくすことに警戒していた患者たちだったが、

半年も経つ頃には、何の警戒もなく、

毎朝玉手箱の中身を覗き込むようになっていた。

ひと月に一日の覚醒日を重ねる間に、

治療を終わらせることができた患者が一人また一人と増えていき、

一年も経った頃には、玉手箱による治療を続ける患者は、残り一人になっていた。

残ったのは、つらい記憶を一刻も早く忘れたいと言っていた、あの若い男だった。


 玉手箱による治療が始まって一年以上が経過したある日。

今日は、今や数ヶ月に一日になった、覚醒日だった。

病院の一室には、医師である社長の男と患者である若い男とが、

二人っきりで面と向かい合って座っていた。

箱を閉じたままの玉手箱を眺めていた若い男の目に生気が戻っていく。

若い男は無事に意識を取り戻して、目の前に座っている社長の男に話しかけた

「急に意識が戻る感覚は、どうにも慣れないな。

 先生、今日は覚醒日なんですね。」

「ええ、そうです。

 どうやら無事に意識が戻ったようですね。

 具合はどうですか。」

「玉手箱のおかげで、だいぶんよくなりましたよ。

 今なら、口に出して話せそうな気がするんだ。

 だから先生、

 俺の話を聞いてくれないか。」

「・・・伺いましょう。」

若い男の真剣な表情に、社長の男も真剣な表情になって応えた。

意識を取り戻したばかりの若い男は、どうやら何か話したいことがあるようす。

決意した表情で、ゆっくりと噛みしめるように話し始めた。

「俺は、人を殺した。

 子供の頃の話だ。

 相手は同じ学校の同級生の男の子だった。

 あの日、俺たちはいっしょに近所の山に遊びにいったんだ。

 前日に雨が降って、足元がぬかるんでいた。

 ・・・悪気はなかったんだ。

 いたずらにちょっと脅かそうとしただけだった。

 子供だった俺は、同級生の男の子を脅かしてやろうと、

 背中をほんのちょっと、ほんのちょっとだけ押したんだ。

 たったそれだけのこと。

 だけど、雨で足元がぬかるんでいたせいで、

 同級生の男の子は体勢を崩して崖下に落ちていった。

 崖下をそっと覗くと、岩場に血糊が点々と残っていた。

 本来ならばすぐに助けなければいけないのはわかっていた。

 でも、子供だった俺は、怖くなって逃げ出してしまった。

 山に遊びにいったことは誰にも話してなかったから、

 俺は黙ってやり過ごすことにしたんだ。

 しばらくして、同級生の男の子は遺体として発見された。

 でも、目論見通り、俺は今まで誰からも咎められることはなかった。

 これが、俺が玉手箱を使ってでも逃れたかった記憶。

 今までずっと心の奥底にしまっていた記憶だ。

 罪悪感から逃れたくて、俺は玉手箱の臨床試験に応募したんだ。

 でも、玉手箱でいくら記憶を消そうとしても、どうしても消えない。

 時間が過ぎるだけでは、この記憶から逃れることはできない。

 だから、もう今日限りにするよ。

 今からでも罪を償いたい。警察に自首しようと思う。」

胸の奥に溜まっていたものを吐き出すように、若い男は一息に言葉を吐き出した。

若い男と、社長の男と、二人っきりの部屋に静寂が訪れる。

しばらくの後、社長の男がゆっくりと口を開いた。

「お話はよくわかりました。

 あなたは過去に許されないことをした。

 それでも、反省しないよりはした方がいいでしょう。

 ・・・ですが、もう遅いのですよ。」

「遅い?

 先生、それはどういう?」

若い男が怪訝そうな表情で、社長の男に聞き返す。

しかし、社長の男はうつむき加減でその表情は見えない。

見えない表情で、静かで冷静な声だけが返ってきた。

「あなたが人を殺してから、もう時間が過ぎてしまった。

 時効というものを知っていますか?

 人殺しも、時間が経てば罪に問われなくなる。

 時間が経てば心の傷が癒えるように、時間は罪すらも癒やしてしまうんだ。

 今さら自首したとしても、もう罪を償うことはできない。

 しかし、被害者の心は時間が経っても完治するとは限らない。

 遅すぎたんだよ。」

医師のものとは思えない言葉に、若い男がうろたえている。

患者と医師との関係を崩すまいと、若い男がいう。

「先生、何の話をしているんですか?

 時効を迎えているだなんて、まるで前もって予定を知っていたみたいに。」

「ええ、知っていましたよ。

 あれが事故ではなく事件かもしれないと聞いた時から、

 一日たりとも忘れた日はありませんでしたから。」

社長の男の口ぶりに尋常ならざるものを感じて、若い男の額から汗が流れ落ちた。

若い男が話せずにいると、社長の男は一方的に話し始めるのだった。

「この玉手箱の臨床試験の参加者で、あの事件の関係者だったのは、

 あなた一人だけではないのですよ。

 他の患者さんたちもみんな、事件の関係者です。

 当時、事件の捜査にあたった元警官だったり、元先生だったりね。

 そして私自身も事件の関係者の一人、被害者の親です。

 息子が事故死ではなく殺されたかもしれないと知って、

 私はずっと苦しんできた。

 玉手箱は元々、私自身の心を癒やすために開発したもの。

 それを利用して犯人を探すことを思いついて、

 この臨床試験を始めることにしたのです。

 この地域に縁がある人の中で、過去の記憶に苦しめられている人を探せば、

 いずれ犯人に行き着くのではないかと考えてね。

 これは分の悪い賭けだった。

 もしも犯人が罪の意識を感じず事件の記憶を忘れていたらそれまで。

 あるいは、玉手箱の効能で事件の記憶を忘れてしまってもそれまで。

 失敗する可能性はいくらでもあった。

 でも、上手くいきました。」

社長の男はひと仕事を終えたといった風に、穏やかな笑みを浮かべていた。

患者は医師が自分の治療をしてくれるものと思いこんでいるが、

医師も人間なのだから治療を必要としていることもある。

ましてや、患者が医師を傷つける原因だったとすれば。

若い男は喉を鳴らして、神妙な面持ちで社長の男に話しかけた。

「俺、先生になんとお詫びをいったらいいか・・・」

「お詫びなら、もう聞いてますよ。」

「・・・え?」

若い男の言葉を、社長の男が遮る。

社長の男はにんまりと笑顔で、少なくとも口調はやさしくいうのだった。

「言葉だけのお詫びなら、私はもう何度も聞いているんですよ。

 なぜなら、私があなたとこの話をするのは、これが初めてではないから。

 あなたは今までに何度も事件の話をしてくれた。

 あなたが玉手箱を使うようになって、

 どれくらいの時間が過ぎたか知っていますか?

 一年や二年ではありません。

 玉手箱の効能であなたは記憶にないでしょうが、

 それなりの年月が経過しています。

 その間、あなたは何度も何度も覚醒日を迎え、

 いつ頃からか、事件のことについて話してくれるようになりました。

 自首したい。

 それは私が聞きたかった言葉。しかしもう遅い。

 もっと早くに自首してくれていれば、

 あなたは法に基づいて罪を償うことができた。

 私はあなたを許すことができたかもしれない。

 しかし、あなたはそうしなかった。

 つらい記憶を玉手箱の奥底にしまい込んで、無意識の時間へ逃避していった。

 そうして時間は過ぎて、あなたが事件のことを白状したころには、

 もう事件は時効を迎えてしまっていたのです。

 だから、私は決めたんだ。

 あなたには、浦島太郎になってもらう。

 私かあなたのどちらかが死ぬまで、

 あなたには玉手箱でずっと意識を閉ざしてもらう。

 覚醒日だけは意識を取り戻すから、その時は息子に詫びるがいい。

 あなたは私よりも若い。

 だから、私の方が先に死ぬことになるだろう。

 そうすれば、その時あなたは自由になれる。

 それが後何年何十年先かはわからない。

 でも、玉手箱を使えばすぐのことですよ。

 なにせ玉手箱は時間を飛ばしてくれるのですから。

 これが、あなたの選択、あなたの罪。」

そう話す社長の顔は、残忍な笑顔に変わっていた。

若い男は咄嗟に自分の手を見た。

どことなく、手の皺が増えている気がする。

この部屋には鏡がないので自分の顔をみることはできない。

しかしきっと顔の皺も・・・。

早くここから逃げなければ。

そうしなければ、自分は玉手箱に囚われて、

遥か先の時間に意識を飛ばされてしまう。

それはわかっているのだが、

しかし、張り付けられたかのように体を動かすことができない。

目の前に置かれている玉手箱を、社長の男がゆっくりと開けていく、

その光景から目をそらすことができない。

玉手箱が開かれたのが目に入った瞬間、若い男の意識は閉ざされたのだった。


 それからおよそ半年後

覚醒日である今日、若い男は病院の一室にいた。

無意識の状態で、蓋を閉じたままの玉手箱をぼんやりと眺めている。

すると、玉手箱を見る目に生気が戻って、意識を取り戻したのだった。

気がつくと、いつもの病院で社長の男と二人っきり。

意識を取り戻した若い男は、苦しそうに頭を抱えている。

なにか大事なことがあったはずなのに、どうしても思い出せない。

玉手箱は中を覗いた人の記憶を保持しにくくする。

若い男は以前に何があったのか、記憶を思い出せないようだった。

しかしそれでも、なんとか記憶を取り戻そうと、

若い男は頭を抱えて社長の男に話すのだった。

「先生、聞いてくれ。

 俺は過去に罪を犯した。

 それから、なにかとんでもないことを知ったような、

 そんな気がするんだ。」

すると、目の前に座っていた社長の男は、

にんまりと笑顔を浮かべて応えるのだった。

「・・・伺いましょう。」


そうして若い男は、玉手箱に囚われることとなった。

いつの日か、玉手箱から逃れて浦島太郎となる、その日が来るまで。



終わり。


 もしも現代に玉手箱が存在したら、何に使われるだろう。

それがこの話を作ったきっかけです。


意識や記憶がなく時間を進めることができるのなら、

それは医療目的で使われるかもしれないと考えて、

作中で玉手箱は医療機器として登場することになりました。

でも、時間にも癒やすことができない傷もあります。

そんな傷を癒せるのは玉手箱ではなく、

鯛やひらめの舞い踊りなのかもしれません。



お読み頂きありがとうございました。


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