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幻聴迷路  作者: 美祢林太郎
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6 陽気な幻聴

6 陽気な幻聴

 鮎川はソファの上で幻聴が聴こえてきたら、すぐにテレビを消して自室にこもるようになった。そして、妻に怪しまれないためと、外の音を遮断して幻聴がよく聴こえるようにとヘッドフォンを購入して、音楽を聴いているふりをした。

 「気分、どう?」

 「えっ、何? 聴こえない」

 「バリ、バリ」

 「ビュー」

 どうも、女の子を後ろに乗せて男がバイクを運転しているようだ。二人の話し言葉はこれ以外に聴こえてこないけれど、風やバイクの音、すれ違う車の音が心地よく聴こえてくる。鮎川はこれまでバイクに乗ったことがない。同世代の人間は若い頃バイクに乗って青春を謳歌している者もいたし、若い頃に謳歌できなかった者の中にはおじさんになって高額のBMWのバイクを買って、休日に仲間とツーリングしている者もいる。彼は今でもバイクには興味がない。だけど、幻聴の中で音を聴くだけだけど、こうやってバイクに乗った感触を得ると、いままで味わったことのない心地よさがある。身体全体に伝わる振動がいい。いや、実際は振動が伝わってきているはずはないのだが、音からそれを感じることができる。こんな気分を若い頃に味わっていたら、おれもバイク乗りになっていたかもしれない。

「海が見えてきたよ」

「磯の香がするわね」

 顔がいくら近くても、ヘルメット越しの声は聴きづらい。だけど、二人の会話から海が見え、磯の香りがするのを感じとることができた。勝手に行ったこともない湘南の浜を想像した。サザンオールスターズの『勝手にシンドバット』の曲と桑田佳祐の鼻にかかったボーカルが聴こえてきたような気がした。江の島はどこだろう・・・・・。

 勝手に妄想した曲が消え、バイクの音だけが聴こえて、その音も遠ざかって行った。勝手に夜の湘南を思った。

 

 「ガラン、ガラン」

 これはボウリング場でピンが倒れる音だ。無趣味なおれだってボウリングに行ったことくらいはある。子供の頃に一大ボウリングブームがあって、同じ世代の人間は全員が少なくとも一度はボウリングをしたことがあるはずだ。

 「またガーター」

 そうだ、ガーターという言葉があったっけ。確か、ボールが溝に入って一本も倒せないことだ。覚えているものだな。

 「ああ、スプリット」

 それもわかるよ。一投目で残ったピンが離れていることだろう。確か数字を丸で囲んだよな。

覚えているものだな。やっぱり若い頃になんでも一度は経験しておくものだ。もし、ボウリングをしていなかったら、この音を聴いても何のことか想像できなかったし、ただうるさいだけだっただろうからな。まだこの街にもどこかにボウリング場はあるのだろうか? 今度かみさんとボウリングでも行くか? かみさんに声をかけたら、彼女きっと驚くだろうな。

 

 「良いお湯ね」

 温泉に入っているんだ。しかも女湯だ。何も見えないけど、この声は女湯だ。

 「思い切って蔵王まで来てよかったわね」

 「そうね。スキーには何度か来たけど、夏に来るのは初めてね」

 「この大露天風呂は、冬には入れないものね。硫黄の匂いが良いわよね」

 「湯が強酸性だから、目に入ったらすごく痛いらしいわよ」

 おお、硫黄の匂いがここまで届いてきた。しばらく温泉に行っていないな。退職してからかみさんとどこにも旅行していないから、こんどかみさんと温泉にでも行くか。温泉旅行は秋が良いよな。紅葉がきれいだろうな。どこがいいかな? 山形の蔵王温泉か? 彼女たちいい湯だって言ってるものな」。信州もいいな。白骨温泉なんかどうだ。今度じっくりと調べてみる必要があるな。

 「今晩の夕食、何だろうね」

 「米沢牛がでるんじゃない」

 「芋煮はきっと出るわね」

 「何、芋煮って」

 「山形の名物なのよ。9月には河原で巨大な鍋で何万人分もの芋煮を煮て食べるイベントがあるらしいわよ」

 「何万人も! それは凄いスケールね」

 ああ、芋煮会だ。たしか、里芋と牛肉だよね。一度食べたことがあるけど、美味しかったな。やっぱり温泉旅行は料理も大事だよな。いろいろと調べることがあるな。

 それにしても、女の子二人の温泉旅行か。いや、男の子も一緒じゃないのか。二組のカップルで来ているんだよ、きっと。風呂は男湯と女湯で別れているから別々に入っているんだ。それとも、女の子同士の方が気兼ねがないから、女子会っていうの、その女子会かもしれないな。同性同士の方が気兼ねがなくていいんだよ。


 「ぼくを忘れたころに きみを忘れられない」

 これは確か吉田拓郎の歌『春だったね』じゃないのか。ここはカラオケボックスなの? それともスナック? 乗りに乗って歌っているけど、これは吉田拓郎本人じゃないね。素人だってすぐにわかるよ。おれも学生時代は吉田拓郎の歌をよく歌っていたね。

 「しぼったばかりの夕陽の赤が水平線からもれている」

 また、拓郎なの。こいつ拓郎がよっぽど好きなんだね。わかる気がするけど、他の人は歌わないの。他の人はただ酒を飲んでいるだけ。それとも、もしかしてあの一人カラオケ?

 「人間なんて、ら、ら、ら、ら、ら、ら」

 これも拓郎じゃない。完全に自己陶酔しているよ。歌ってるのはおっさんだろう。おれと同じくらいの年齢かな。拓郎を歌うのは昔の若者、今おっさんだよな。でも、楽しそうだな。おれたちの世代だと、歌う唄といったらいつまでもフォークソングだよな。おれたちの時代に吉田拓郎の歌があってよかったと思うよ。

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