4 幻聴
4 幻聴
鮎川の日常は、起きてすぐにテレビをつけ、ソファに寝そべったまま新聞を読むことから始まる。そのうち、妻から「朝ごはん」と何度か声をかけられ、「ご飯と言ったのが聞こえないの」と少し強い口調を聞いてから、やおらソファから起き上がる。黙って朝ごはんを食べ、またソファの上に戻り、寝転がってテレビを観る。それから一時間くらいして、妻の「洗濯」の声でパジャマを普段着に着替え、歯を磨く。その後、再びソファの上で横になってテレビを観る。そして定時の妻からの「昼ごはん」と「晩ごはん」、そして「風呂」の呼びかけでソファから起き上がる。その他には、たまにトイレのためにソファから離れるくらいだ。妻は働き者で、一人で買い物に行き、料理を作り、黙々と掃除・洗濯をする。ごみを捨てに行くのも妻が行なっている。そうしたことに妻は不満を漏らすことはない。
鮎川にこんな生活は退屈ではないのかと問えば、そんなことはないという答えが返ってくるだろう。鮎川は物心ついた頃から、冬はこたつの中に潜って頭だけ出して、テレビを観るような生活をしていた。そんな子供の頃の鮎川に両親は別に文句を言うでもなかった。彼の姉と弟は外で元気よく遊び回っていたが、真ん中の彼だけが内向的だった。それでも、鮎川は学校まで通学したり、体育の時間は人なみに体を動かしていた。会社に勤め出してからは、通勤や仕事で体を動かしていた。それが定年で退職してからは、それこそソファの上で蒲鉾状態となってしまった。はたから見ると廃人のように思われるかもしれないが、別段それで困ることはないと思っていた。いくぶん不便になったのは、難聴になったためにテレビの音声がところどころ聴こえなくなり、ストーリーを追うことができなくなってしまったことだ。子供の頃から集中力があるわけではなかったが、ストーリーが追えないことで頭の中は徐々に理解力が衰えているようにも思えたが、一般に言うボケと言うものは進行していないだろうと思った。死ぬまで人に迷惑をかけたくはないものだと鮎川は密かに願っていたが、その人というのは彼の妻以外に誰もいなかった。
日々ソファに蒲鉾状態の鮎川であるが、週に一回は2時間ほど散歩に行くのが日課となっていた。妻が週に一回近所の女性数名に料理を教えているので、彼はその女性たちが来る前に家を出て、女性たちが帰ってから家に戻るのが習わしとなっていた。彼は2時間、近くに流れる川の土手を散歩する。散歩といっても、健康のためではないので、ぶらぶらと歩き、そして野草が咲いていたら、立ち止まって眺めている。別に植物の名前を知っているわけではないし、興味があるわけでもない。テレビよりも距離の離れたものを見るのも、この散歩の時ぐらいしかない。そういった意味では、散歩は日常の少しのアクセントになっている。だからと言って、毎日散歩しようとは思わなかった。
散歩をしていると、背後から「おい、おい」と、自分を呼ぶ声がはっきりと聞こえた。鮎川もそれに呼応してかれにしては珍しく大きな声で「はい」と応えて振り向いた。しかし、そこには誰もいなかった。辺りを見回したが、人がいる気配はなかった。誰もいなかったことに、別に不思議な感情を抱くことはなかった。何か懐かしいのだ。たしかに「おい、おい」という声が聞こえた。それは自分でなくとも、どこかの誰かを呼び止める声だ。彼にはそれが子供の頃に聞いた空耳であると思った。この歳になってやっと空耳を言葉として聞き取れることができたのだと思うと、少し嬉しくなった。鮎川は「おい、おい」と小さな声で言って、自分で「はい」と応えた。他人が見たら、不気味に思えるだろうが、そこには彼以外だれもいなかった。彼の頭がおかしくなっているわけではない。誰でも嬉しいことがあったら、それを反芻してみたくなったことはあるだろう。それがこの時の鮎川なのだ。
この時以来、割と頻繁に場所や時間を選ばずに「おい、おい」と呼びかける声が聴こえるるようになった。家の中で聴こえると、条件反射のように「はい」と応えて辺りを見回し、妻は「何も言ってません」、と笑ってすませた。こうしたことが度々繰り返されると、妻も耳障りになってきたようで、「はい」と言って辺りを探すように見回すのは不気味だから止めるように、と申し渡されてしまった。この時を機会に、家の中で鮎川は声に出して「はい」と言わなくなった。
そう言えば、妻に禁止された後のことだが、家の外で「おい、おい」と言う声が聞こえたので、彼が「はい」と応えて辺りをきょろきょろ見回した時に、近所の人がそれを見て怪訝な顔をしているのがはっきりとわかった。近所の人に頭がおかしくなったと思われてもいけないので、その時から「おい、おい」と呼びかける声がどこで聞こえても、「はい」と応えて辺りを見回すことは止めようと決めた。そもそも鮎川を「おい、おい」と呼ぶ人の心当たりはないし、その声はすでに50回以上も聴こえているが、そこには誰もいないことは十分に学習した。これは相手が不在の正真正銘の空耳なのだ。
「おい、おい」という言葉は、素朴だが意味のある言葉に違いはない。もしかするとそれは自分に呼びかけているのではないのかも知れない。だが、自分以外の人に呼びかけようが、意味を成す言葉に違いはないのだ。この言葉が空耳であっても、意味がある言葉を聞けたことは何か安心感がある。そこは意味のない耳鳴りとは質が違うし、何か言われたけれど聴き取れない空耳とも質が違う。やはり、音に意味があることは我々人間にとっては重要なことなんだ。
それにしても空耳の原因は何だろう。おれの耳の中の血流の音の「シーン」が変化して耳鳴りとなって、それが空耳に発展して、ついに「おい、おい」という音にまで進化したのだろうか? それとも脳の中の働きなのか? 誰か懐かしい記憶の中の人が、自分を「おい、おい」と呼んでいるのだろうか?
いつものようにソファに横たわってテレビを観ていると、「おい、おい」と呼ぶ声が聞こえてきた。鮎川がそのままテレビを観ていると、声は「おい、おい」に続いて、何やら喋っている。神経を集中して聴き取ろうとするのだが、聴き取ることができない。しかし、何か喋っていることははっきりとわかる。どうも自分に向かってではないようだ。自分以外の何者かに向かって話しているようだ。もうこれはこれまでの空耳のようなぼんやりしたものではない。鮎川はこれが以前どこかで聞いたことがある幻聴というものではないか、と思った。彼はなんとか幻聴が言っていることを聴き取ろうとしたが、小さな声で聞きとることができない。耳が遠いので聞こえないのだろうかと彼は考え、とりあえず耳掃除をした。多量の耳垢が取れた。これで少しは聞こえるようになったのではないかと思ったが、やはり声は遠かった。
鮎川の耳の中には、一人ではなく少なくとも二人はいるのではないか。でないと、幻聴が独り言を言っていることになる。「おい、おい」と呼びかけている相手は自分ではなく、耳の中のもう一人の住人に対してなのかも知れない。
寝そべっている彼の前にいきなり妻が顔を出し、「何をぶつぶつ独り言を言っているの? テレビに向かって言っているんじゃないでしょうね」と心配そうに言った。彼は「いや、ただの独り言」と言ってその場を取り繕い、妻は怪訝そうにして掃除機を動かした。もしかしてテレビの中の会話を幻聴と勘違いしているのかもしれないと思い、うつっているテレビ番組を真剣に観たが、テレビはテレビショッピングで羽毛布団の販売の放送をしていて、いま聴いている幻聴とは明らかに違うように思われた。こうして考えている時には幻聴は聞こえない。それは耳鳴りと同じだ。
再び幻聴に戻って神経を集中して話を聴いていると、聴こえそうで聞こえない声が耳に入ってきた。じれったくなって「もう少し聞こえるように言ってくれ」と彼は思わず口に出してしまった。すると幻聴が「うるさいな。おまえに話しているわけじゃないんだ」と返してきた。彼は驚いた。はっきりと聞こえたのだ。私と会話をしたのだ。私は思わず「私の声が聞こえるのですか?」と口を開いて聴いてみたが、反応はなかった。遠くから妻が「うるさいわよ」と言ってきた。その声ははっきりと聞こえた。
幻聴と話をするようになったら頭の中は少しやばいのかもしれない。ボケが始まったのかもしれないと少し不安がよぎったが、一方でもう少し訓練したら幻聴ときちんとした対話ができるかもしれないと不思議な期待が彼の中に生まれた。とにかく誰にも幻聴のことは悟られないようにしようと決めた。誰かに話をしたら、精神病院に入れられるかもしれない。妻にも話してはいけない。彼は一日中ソファで横になってテレビを観てさえいれば、普通の人間でいられる。幻聴の世界はなかなか奥が深くて面白いもののかもしれない、と期待が膨らんできた。彼は自分が幻聴と対話する世界で最初の人間かも知れないと思った。