1 蝉しぐれ
1 蝉しぐれ
明け方、鮎川は激しい蝉時雨で目が覚めた。
障子全体が明るくなっていて、今日はいい天気だということが寝起きで定まらない頭でもわかった。それでも、あまりに蝉の鳴き声がうるさかったので、障子を開け、ガラス窓を開いて、庭に向かって「うるさい」と蝉たちを黙らせたい衝動に駆られた。だが、鮎川は犬や猫、鳥などの動物を威喝するために乱暴な声を出したことがない。そもそもどんな状況においても声を荒げた記憶がない。そんな鮎川に大声を出して蝉たちを静かにさせようと思わせるほど、蝉の鳴き声はけたたましかったのだ。
隣のベッドで寝ているはずの妻に「今日は蝉がうるさいね」と声をかけようとしたが、妻の姿はそこになかった。早起きの妻は、階下で朝の食事の準備にかかっていた。
鮎川は目が覚めてもベッドから起き上がらず、目を閉じたまま10分や20分ボーっとしたままベッドの中にいるのが日常だった。今日も蝉しぐれの声に起こされてからも、ベッドから起き上がることはなく、目を閉じたままベッドの中にいた。
少し頭がはっきりしてくると、昨日の庭の日陰にところどころ雪が残っていた情景がじわっと浮かんできた。そう言えば、今日は3月上旬である。正確な日にちまではすぐに思い出せない。それにしても、3月が暦の上で春だとしても、彼の住む北国ではまだ春が訪れた気配を感じることはできない。そう言えば、昨日の夜は急激に冷え込んで、寝る頃には雪が降る音が聞こえたような気がした。
鮎川はやっと目を開いて、ベッドから起き上がり、障子を開けて、水蒸気で曇ったガラス窓を指先で撫でて庭を見た。庭は全面うっすらと雪が積もり、木々にも雪がかかっていた。もちろんどこにも蝉がいる様子はなかったし、蝉の鳴き声は聞こえてこなかった。真っ白い雪の醸し出す静寂さが庭を包んでいた。
聞こえている蝉しぐれは耳鳴りだということがわかった。
耳鳴りは今に始まったことではない。耳の中で蝉の声を聞くのも今日が初めてではない。だが、今朝ほどの激しい蝉の合唱をこれまで聴いたことがない。今朝までは蝉の声が聴こえても、それがすぐ耳鳴りだとわかる程度のものだった。今朝は寝起きとはいえ、理性的に状況を分析するまで、蝉しぐれを耳鳴りではなく現実のものだと思い込んでいた。実際、妻を起こそうと思ったし、庭に向かって「うるさい」と声を上げて蝉たちを黙らせたい衝動に駆られたではないか。
耳鳴りはこの十年間断続的に続いている。最初に聴こえた日時や場所を覚えているわけではないし、それがなんらかの病気かもしれないと不安にかられもしなかったし、それは今でも同じである。ただ耳鳴りがするようになったと思っただけなのだ。それは四十肩になるように、程度の差はあれ、加齢によって誰でもが体験するものだろうと捉えたのだ。実際、耳鳴りが聴こえたからといって、日常生活になんら支障があるわけではない。年がら年中聴こえるわけではないし、人と話していたり、テレビを見ている時には聴こえないのだから、困ることはない。
思い起こすと、耳鳴りがするようになったのは、子供の頃からなのかもしれない。その頃は蝉の鳴き声には聞こえなかった。小学生の頃、現在よりももっと夜の闇が深く、世界中の夜が無音の静寂に包まれていたと思えた頃、布団の中で「ジーーー」という低く小さな音が耳の奥深くで鳴っているのが聴こえた。それは漫画の一コマによく書かれていた「シーン」という静寂を表す擬音に近いように思われた。この音は誰にでも聞こえているのだろうと思って、このことについて取り立てて家族や同級生の間で話題にすることもなかった。
おとなになってラジオ番組を聴いていると、それがどういう番組だったか記憶にないが、番組に出ていた誰かが静かな時に耳の中で聞こえる「シーン」という音は、耳の奥深くの微小な血管の中を流れる血流の音だと説明しているのを聞いて、納得した覚えがある。鮎川はこの説明を聞いて、日ごろ聴くこともできない神秘的ともいえる耳の中の血流の音を聴くことができることに驚き、密かに喜んだ。こうして、周りが無音の時に聞こえる「ジーーー」という音との隠れた共生が始まった。
鮎川が50歳になった頃、同年代の知人とひょんなことから病気の話題になった。その知人は深夜鼻血が止まらなくなって何度か救急車で運ばれたことがあると教えてくれた。血圧も高く、いつか出血多量で死ぬのではないかと言った。鮎川はかれにレベルを合わせるような深刻な病気がなかったので、スケールの小ささに申し訳ないと思いつつも、耳鳴りのことを話し始めた。その話の中で、ラジオで聴いた耳の「シーン」という音が耳の奥の微小な血管を流れる血の流れの音だという蘊蓄を加えた。すると、知人はそんな「ジーーー」という音を聴いたことがないと言う。誰もが聴いた経験があるだろうと思っていた鮎川は内心びっくりした。それに、耳の中の血流の話も初耳だという。この時、鮎川の頭の中に、もしかすると「シーン」という音の血流説は眉唾物ではないかという疑念がよぎった。耳の奥で聴こえる「ジーーー」という音の神秘的な気高さといえるものが、少し汚れて行くのを感じた。
この頃、鮎川は会社の健康診断で低度の難聴であることが判明し、医者から病院で再検査を受けることを勧められた。当時は他人の声が聴こえづらいという自覚はなかったが、勧められるがままに街にある耳鼻咽喉科を受診した。医者は聴力をはかって少し検査した後で、「騒音性難聴で、これは主にトンネル工事などの大きな音がするところで働いている人がかかる病気です。トンネル工事のような大きな音のするところで働いているのですか?」と訊かれたので、彼は「心当たりのあるのは、妻の大きな声くらいです」と冗談交じりに答えると、医者は少しむっとした顔をした。これは場を和ませるための鮎川の精一杯のジョークであって、妻が大きな声を出したことはこれまでなかった。それに、かれはトンネル工事で働いたこともなければ、これといって騒音の激しい場所で暮らした経験もない。大きな音の出るロックミュージックなどの音楽を聴いたこともない。自分の身の回りで大きな音を発しているものを思いつかない。医者はこれからの治療方針を示すことなく、「しばらく様子をみましょう」の一言でかれは帰された。鮎川はこの医者から治療する積極的な意志を感じ取れなかったので、その後この病院に行くことはなかったし、他の耳鼻咽喉科に罹かることもなかった。鮎川は難聴が回復するような治療法はないのだと、勝手に決め込んだ。日常に不便は感じていないので、とりあえず放ったらかしにしておくことにした。
それからしばらくしてのことだろうか。正真正銘の耳鳴りが聞こえるようになったのは。それはもう「ジーーー」という血流の静かさではなかった。持続した蝉の鳴き声が聴こえるようになった。それでも、この耳鳴りは人と話をしたりテレビを見ている時には聴こえてこないので、生活になんら支障はなかった。こんなことに不安になることなく、十数年が過ぎていった。