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4話 お尻を出した子、帰れない

「祐志郎っ、いい加減にしなさいっ」


「……はい」


 山奥の村落に入ってからも、「やっぱり帰ろ? ね? ね?」とグズッていると親父に喝を入れられてしまった。


(もうやだー帰るー)


 インナーチャイルドを閉じ込め、平静を装う。不都合なことはとりあえず忘れた。いつかのようにその村落はまだ時刻もさほどいっていないはずなのに薄闇を帯びていた。

 少し窓を開ける、夏の匂いが濃い。夏草?森…?山…?夏草森山の匂いが濃い。

 虫の音が木霊して、見渡す限りの畑に家々が影のように点在している。道の左右は一面田畑で道はあぜ道というのだろうか、アスファルトで舗装されてなどいない。しかし廃村という趣ではなく、見ればどの家も古めかしい作りであるものの大きく、庭も手入れされているようだ。

 やがて一軒の家に至る。雪深い土地なのだろう、大きく取られた薪を置くスペースが目に付いた。

 もっと打ち捨てられて荒ら家地味た日本家屋を想像していたが、武家屋敷といった塩梅だ。二階建て部分が城のようになっている。ネズミ返しもついていた。


「ついたぞ」


「やっぱり空気が美味しいわー」


 両親は到着と同時に車を降りて伸びをしたり、首を回したりしていた。


「祐志郎降りなさい」


「……」


 俺の乗った後部座席のドアが開けられる。渋々降りて、背伸びして筋肉を伸ばす。ついでに屁をすかすと危うく副翼が出掛かる。ちなみに大きい方をするときも気を付けないと出る。


 ビィィィィィィィィィィ


 押している間だけ鳴るブザーが親父によって鳴らされた。

「はーい」

 女性の声が返ってきて、扉が開かれる。

 メガネでパーマのおばさんがこちらに笑顔を向けていた。


「あーいらっしゃーい、どうぞ上がってくださーい」


「すみません、お世話になります」


 親父とお袋が頭を下げるので、俺も合わせた。


「いいのよいいのよ、こんな辺鄙なところに来てくれるだけで嬉しいんだから あ、君が祐志郎君ねー、上がって上がってー おばーちゃん、滝田さんたちいらしたわよー」


 高いトーンで話し続けながら中に誘われる、玄関も家の中もバリアフリーといった感じで手摺があり段差も殺されていた。

 明るい色のオーク材の床、白い壁紙、掃除もよくされているようで、妙なところがない。

 ここが本当におてつけさんとやらの家でいいのだろうか。

 そのおばさんについて廊下を行くとその違和感への返答があった。

 通された部屋は異様に暗かった。ほとんど暗闇であった。親父もお袋も初めて来たわけではないだろうに、少したじろいでいる。闇に吸い込まれるように消えたおばさんの声が闇の中からする。


「暗くてごめんなさいねー、おばあちゃん光を嫌うから」


 嫌光性?おてつけさんとやらは洞穴生物なのだろうか。恐らく本能的であろう恐怖感が背のあたりから滲み出してくる。そろそろと家族で中に入ると一箇所ぼんやりと明かりが灯ったところに2つ人影があった。

 ずいぶんと広い部屋だ。

 お袋も少なからず恐怖を感じているのか親父の腕に身体を添わせているようなので、俺は親父のズボンのポケットに人差し指を引っ掛けた。


「片付けてあるから転ばないと思いますけど、ごめんなさいねー、暗くて」


 下は畳であることは分かったが、目が慣れてくると、障子や鴨居などが見えてきて、ここが二間を繋げたような座敷であることも分かると、人影の元に着いた。

 小柄な老婆が座っている。明かりのもとは囲炉裏であった。パチパチと炭が小さく爆ぜている。


「どうぞどうぞ座ってくださいー」


「失礼します」


 敷かれた座布団に口々に言い合って家族並んで座った。目を瞑ったようにちょこなんと座っている老婆向かい合う。

 すぐに横からおばさんよりお茶が出される。


「お世話になっております白竜の滝田でございます、この度は倅のことで御相談がございまして」


(そういう自己紹介になるのか)


「おらはね、機械の明かりってのがどーも駄目なんさ、目がチカチカすんのよ」


「……はあ」


 老婆は少々偏屈そうな声色をしていた。


「おばーちゃん、電話くれた滝田さん、倅さんのことおばあちゃんに話したいんだって」


「あーあー、んーどうしょったんの?」


「……倅が、なんと、言いますか、時期と思いまして、事情話しまして、竜化をしてみようと話になりまして、竜化させたのですが、こう、一部しか変化がなくてですね」


 説明しづらいのだろうな、と思いながら茶を啜りつつ「おてつけさん」を上目で見る。

 麻製なのか、傷んで擦れてそうなっているのか分からない鈍い緑の着物を着ていて、髪は真っ白で短く切りそろえられている。

 相当な年齢なのだろうが、実年齢よりは若く見えているのかも知れない。

 年齢不詳といった感じだ。

 まだ自分の中で得体の知れていない「おてつけさん」の風貌を観察していると、その老婆はいきなり目を見開いて俺を睨みつけた。

 びくりとしてお茶を落としそうになる。


「スミ、あれこと持ってきなっせ」


「はいはい」


 老婆の後ろに建てられた屏風の影にスミと呼ばれたおばさんは入っていった。気付かなかったが、裏の壁が一面祭壇のようになっている、神式の仏壇とでもいうのだろうか。神棚というには大きすぎた。

 天井近いところに注連縄が回してあるのが見える。運ばれてきた桐の小箱は厳めしいくらいの太い紐で締められていた。

 老婆は細い指でそれを解き、ひと塊の石を取り出した。


「手ぇさ、出しなっせ」


「へ、はい」


 なんだか怒られいるようだと思いながら手を差し出す。石が乗せられ老婆の手が添えられた。手の平全体が温かくも冷たくもあった。


「目ぇつむる」


「はい」


「……ひんならばそなるや……なんざれば……」


 あの時父親が唱えていたような呪文であったが、今度は所々聞き取ることが出来る。

 無論、意味は分からない。

 何か起きるものと思っていたが、ものの数秒でそれは終わって、添えては解かれ石も外された。もの言わず石を仕舞っている老婆に皆が注目している。


「……ク……ふっ……」


 それは老婆が咳き込んだものと思ったが、笑いであった。


「ふっふ、ク……クックックック……ごほッごほッ」


 そして咳き込んだ。


「どーしたのー、おばあちゃん笑ったりして失礼よー」


 親父もお袋も問い掛けかねている、スミさんが間に入ってくれた。


「すまんね、すまんねー、そうかあ、こん子のところに来とったとは、あーわかったわかった、道理でのう」


 さもおかしそうに何度もうなずいている。


「ど、どういうことでしょうか」


「こりゃあ縁起いい幸先がいい、スミ馳走の用意じゃ!なあスミや!」


「はいはい、分かってますから」と廊下の方からスミさんの返事が返る。


 親父もおふくろも首を傾げたり、顔を見合わせたりしており、全く状況が掴めていないようだ。


「さて、シソサマ拝ませてくんなせ」


(シソサマ……?SHE SO SUMMER、燃えろ夏子……?)


 歌えばいいのかな。


「あの、おっしゃることがよくわかりませんでどうすればよろしいでしょうか?」


「だから、そのボンのシソサマが現れてるとこ見してくれ」


「その、倅の竜化してるところは、あの、臀部なのですが」


「あー、そんなことはかまわん、はよう見してくれ」


「祐志郎」


「ゆうちゃん」


「……はい」


 私、今、初めて会ったばかりのおばあさんと両親に尻を出せと脅迫されてるんです。ほら、見てくださいあの目、あの顔、私、すごく怖いんです。


「おかあさんは横向いてますからね」

「と、父さんもだ」


 この年で無職やってられるくらいだから恥なんて毛ほどの重さも残っていないものだと思っていたが、やっぱり恥ずかしいのだな、人前でお尻を出すことは。しみじみ思う。

 おてつけさんに背を向けて立ち上がり、ベルトを外し、ズボンに手を掛ける。


「……いいですか」


 切腹前の伺い立てのような矜持を込めて、首を捻り最後の確認を取った。

 父親は息子の辱めを忍ぶ厳めしい顔つきで囲炉裏の火を見つめ、お袋は正座のまま俺に背を向け、スミさんはもう分かりやすいくらいに覆った手の指の股から俺の尻あたりを凝視していた。

 おてつけさんは数珠のようなものを手に取り、すでに拝む所作を取っている。


(えいっ)


 ズボッ


 尻が出る。


(えいっ)


 ニュッ


 副翼が生える


(お、おぉ、やったぞ……)


 謎の達成感が生まれた。


「バボォッ、ごめ、プ、ごめんなさい……ブブブ、アーッはははは」


 スミさんは笑いを堪えきれなかったようで駆け足で退散した。両親の肩が微かに震えているのは息子の恥辱に奥歯を噛み締めているからだろうか、それとも笑いを堪えているのだろうか。


「んな~~、有難い有難い、長年この役目務めてきたが初めてこの目拝ませもらった、ありがたやありがたや」


 まじまじと俺の尻を見るだけでは足らずに念仏?まで唱え始める。そりゃ俺の尻は観音開きだけど、菊の御紋を祀ってるわけで。

 この身体の火照りは羞恥なのか、この謎の唱え事のせいなのか、そして5分、いや、10分ほどは続いただろうか。俺は無我の境地に達しつつあった。


「……かしこみかしこみもうまおす」


 とおてつけさんが唱え事を終えて深々と礼をすると、再び沈黙が訪れる。


(尻はもうしまっていいのだろうか)


「坊や、こっち向きなっせ」


 勿論、パンツもズボンも上げてから向き直った。


「ありがとの、ほんとに有難いもん見してもらった」


 感謝の言葉とともに、目尻に涙まで浮かべて、それを拭うと、おてつけさんはゆっくりと続けた。


「あんたには、シソサマ、一番最初の竜神さまの魂が宿っとる、いや、ほんの一部だがの」


 両親の声にはしていないものの、驚きが伝わってくる。


「いまの世ん中がこうなってるのもシソサマの力が失われてきとるからじゃ……これはいつか訪れること、わしら手付のもんはずっとその覚悟しとった……、ただのう、手付としてシソサマの加護に触れておって、解けたシソサマの力がどこに消えていっとるのか、それがずっと気になっておったんじゃ、それがこのボンに流れておったとはのう」


「それは、誠に恐れ多いことですが、倅が始祖竜さまの力を使えるようになってしまうということなのでしょうか」


 親父が久しぶりに口を開く。


「それはまだ分からん、この坊やにこれ以上にシソサマの力が流れてくるのか、それに受け皿がこの子だけとも限らん、丸きり引き継ぎできるようなものなら、シソサマも最初からそうしておるし、わしらもおる必要もない、坊やに流れとるのはよくて5分といったところかの」


「ご、5割も!?」

「ばか、5%だ」


 よくわからないタイミングで叱られてしまった。一寸の虫にも五分の魂っていうじゃんか。って、あれって人間の5%の魂って意味?虫差別じゃん。

 両親ともに神妙そうな面持ちでおてつけさんの言葉に相槌を打っているが、俺は何話してるのかぜんぜんわからんちんだし、もう全く聞いていなかった。

 先ほど自分の辱めはすっかりなかったことにされていたが、俺はまだお尻がスースーするし、顔も熱い。


(もう早く帰りたい)


 なんか三者面談思い出すな。


「坊やっ」


 また急に呼びかけられてびくりとする。


「はいッ」


「気張らっしぇ」


 気張れということなのだろう、なんだそれは。俺はすでに頑張ってるぜ。お尻も出したし。


(ううーん……ぴょん……ぴょんぴょん……忘れた!)


 忘れた。帰りたい。


「また追って話すなあ もう晩飯のころだし、あんたら宿はとったかね」


「いえ、帰るつもりでおりましたし」


「泊まっていきなせ」


「いえ、そんな……」


「色々話も長くなるすけぇ、泊まっていきなせ」


「あー、じゃあお言葉に甘えまして」


 帰れない。

 お尻を出した子、帰れない。とりあえずでんぐり返るか。


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