7 七つ目の奇跡
7 七つ目の奇跡
中條太一
1ヶ月で終わるはずだった僕と里桜ちゃんの交際は、なぜか1ヶ月を超えても終わることがなかった。僕も不思議なことだなとは思っていました。
ですが、周囲の驚きはもっと大きかった。
それは、驚きではなく驚愕であり、そして、奇跡と呼ばれた。うちの高校の七つの奇跡の七つ目に数えられることに……。
「その、一番目から六番目までの奇跡はなんなの?」
「なんだろう?でも、とにかく七番目は太一が起こした奇跡だ」
お昼休みの屋上で、売店で買ったパンを食べながら将大とそんな話をする。
「一体お前の何が椎名は気に入ったんだ?」
「……」
将大は俺がセカンドであることは知らない。話してもよかったんだけど、なんかこいつ他のやつにも話しそうだし。
「で、どうだった?」
「何が?」
「味見されたんだろ?流石にもう3ヶ月近く経ったんだし」
「……」
どいつもこいつも、頭の中はそう言うことしかないのかね?やれやれと言った気分になる。
「どうだった?聞かせろよ」
「わざわざ話すようなことでもないだろ」
「なんだよ。教えろよ。勿体ぶるな」
「いや、自分だって別にしたことがないわけではないでしょ?人の聞く?」
「ばか。相手はあの椎名だぞ」
将大は俺の襟ぐりを掴むとぐいぐい迫ってくる。鼻息荒くね?
「パス」
「こんなやつだと思わなかった!」
かなりの勢いで言われた。
本当いうと……、何もしておりません。厳密にいうと何もではありませんが……。
将大が大いに興奮して想像しているようなそんな段階のことは何も。
それを正直にわざわざいうこともないかなとぼかしたわけで。
勝手にみんなで想像してくれ。
あ、でも、これってあれか?童貞っぽくない服を着て騙してることになるのかな。
ま、いいか。
「そうだ。夏美さんは知ってんの?椎名のこと」
「へ?」
将大ってうちのお母さんのこと、名前で呼んでんのね。気さくな人ですのでうちの母、フツーに将大と友達みたいな関係なんです。
「母が知る必要ないよね?」
「でも、あんなにいっつもお前の行く末を案じてる人にさ」
母の心配はなぜか、学習面のことよりも僕の恋愛面に対する心配の方がウェイトを占めていた。……残念ながらうちの母は、そういう人なんです。
「いよいよ大人の階段を一歩登りました的な報告はしなくていいのか?」
「……」
将大の後ろの空を飛行機が飛んでゆき、そしてその後ろに飛行機雲が続いていく。
こいつは……
将大の意外と真面目な目つきを見て思う。
冗談を言ってるんですよね?どこの世界に、お母さんにそんなことを報告する息子がいる?
その国の名前を教えろ。バックパッカーになって行ってやる。
「お前は自分の母親にそんな報告をしたのか?」
「うちの母ちゃんと夏美さんはちょっと違うし」
「いや、別にうちの夏美さんは将大のお母さんと同じで、普通の母親ですよ」
ちょっと時々普通じゃないかもと思うことはあるけれど。
「お前が言いにくいのなら、俺が代わりに報告しておいてやるか」
「いや、全くその必要はないよね?」
「ん?」
「お前がそんなことをしたらだな。俺にも考えがある」
「ん?」
「唯ちゃんに教えられないこと、一つや二つじゃないよね?」
「……」
取引は成立しました。
***
里桜ちゃんはいろんなことを僕に教えてくれた。ある時は並んで一緒に映画を見ているときに。
「ね、映画館ではさ。手、繋ぎながら見るんだって」
「そうなの?」
「そうそう」
そして、人の肩にもたれて楽しそうにしていた。そしてある時はデートが終わって帰るときに。
「ね、公園の横を通りかかったらさ。ちょっと寄ってく?ってとりあえず聞くもんだって」
「なんのために?」
「ほんっとダメだなぁ」
手を引っ張って連れてかれる。
「付き合ってそれなりに時間がたってきた二人はね。人のいない灯りの少ないところを探して歩き回るものなの」
「……」
それで意味がわかりました。彼女は僕の手を引っ張って奥へ奥へと歩きながら話す。
「こんなに長い間何もしないなんて、君、もしかして……」
「もしかして、何?」
「あの、新しい分野の人か?」
「……」
里桜ちゃんにしては周りくどい言い方。意味がわからない。
「意味がよくわからないんだけど」
「女の子より男の子の方が好きな人?」
「いや、違います」
「じゃあ、恋人とかが面倒くさい。草食人間?」
「そーしょく?」
「子孫を残すことに全くの興味がない。絶滅型人間」
里桜ちゃんの言い方が面白くて笑ってしまった。
「ちょっと流石に失礼だよ」
「失礼?」
「こんな美人捕まえてさ」
振り向いて僕に膨れてみせた。その膨れている顔が可愛かった。初めて心から里桜ちゃんのことを可愛いと思いました。
「太一はイタリア人を見習うべきだ。留学しろ」
「何を習いに?」
「女の扱い方」
もう一度笑ってしまった。
「そんな留学、聞いたことない」
「女と見たら、少年みたいな歳の子からして、ウインクしてくる国だよ」
「僕、日本人だし……」
もしも、里桜ちゃんに好きな人がいなければ、僕はこの日に彼女を好きになったかもしれない。彼女の膨れっ面が、僕の生身の心に触れた。そんなことが起こるなんて予想していなかったから、僕は無防備でした。
彼女に繋がれた手とは別の手を伸ばして、そおっと彼女の髪に触れた。
その時、里桜ちゃんの表情が変わりました。僕に向けて初めてそんな目を見せた。
もう一度その顔が僕の心に触れた。
「僕のこと、やじゃないの?」
「太一のことやだなんて一度でも言ったことあった?」
みんなは奇跡だなんて大騒ぎしていて、だけど僕は冷静だった。だって、奇跡なんて起こってないのを知ってたから。里桜ちゃんは僕が好きで僕と一緒にいるわけじゃない。
嫌いではないと好きの間には結構な距離があり、その二つは結構違う。
里桜ちゃんは僕を嫌いではない。
手を繋いでも僕は冷静だった。暗い映画館の中で頭をもたせかけられても。満たされない恋のために疲れている彼女に、少し休める時間と場所をあげている気分だった。
でも、これ以上はちょっと流石に自信がないな。
それでも僕はそのもしかしたら泥のようなものに沈み込んでしまうかもしれないようなところへ足を踏み込んだ。感情の嵐のようなものを連れてくるかもしれない領域へ。
両腕でぎゅうっと里桜ちゃんを抱きしめた。とても小さく思えた。
守ってあげたかった。このまま嫌な恋を続けて、嫌な人になってしまって欲しくなかった。
彼女の持っているいい部分がもっと増えて、もっと輝いて、そして羽ばたかせてあげたかったんです。最初から手に入れたつもりもなく、そして最初から手放す日を思ってた。
元気になって欲しかった。言葉にしないそういう思いを込めて彼女の小さな体を抱きしめました。そして、どうして僕にキスして欲しいなんて思ったんだろうと思いながら、そっと彼女の唇に僕の唇を重ねた。ただ簡単にゆっくりと。
目を開いてみると、里桜ちゃんが泣いていたので本当に焦りました。
「え、どうしたの?」
「なんでもない」
そういうと僕に抱きついてきてぐりぐりと勝手に人の服で涙を拭いている。
愛されたいのだと思うんです。彼女はきっと僕がしたように優しく彼に抱きしめてもらいたいんです。僕ではなくて彼に。
もしも、里桜ちゃんに好きな人がいなくて、そして、彼女が僕を好きだったら、間違いなくこの日、僕は彼女を好きになりました。