6 女優志望の友達
6 女優志望の友達
文月京香
わたしは醤油の香りのする千葉県野田市で生まれ育ちました。実家はわたしの曽祖父の代から続く産婦人科医院です。わたしの家は地元への土着が強いとでも言うのでしょうか?わたしは地元でどこへ行っても文月医院のお嬢様で通っています。
お嬢様って言われるとちょっと笑いたくなる。
貧乏ではないですよ。でも、うちってそこまで……。
「ねぇ、もう21世紀なんだしさ。ぱあっと病院建て替えたら?」
「そうねぇ」
母は縁側で洗濯物を畳みながらのんびりと言う。
「宝くじでも当たらないかしらねぇ」
こんなこと言う家でお嬢様って言われてもねぇ。
「もっと今流行りの珍しいお産の方式取り入れるとかさ。不妊治療とかに力入れるとかさ」
「うんうん」
「それで、有名な芸能人とかがうちでお産してさ、話題になってさ」
「へ?」
「だって、可能じゃん。惣一郎おじさんのツテを使えば」
母は父のシャツを掲げてぽかんとした顔でわたしを見た。
「あんた、結構すごいこと考えるわね」
「だって、心配だよ。うち、潰れたりしない?」
「もうっ!縁起でもないこと言わないで」
そして、母はつと立つとスタスタと部屋の奥へ行き、お仏壇の前に正座するとチーンと鳴らす。
「おじいちゃん、ひいおじいちゃん、京香が失礼なことを申しました。ごめんなさい」
「そーんなの、聞こえないって。2人とも死んじゃってるのに」
「全く、罰当たりなんだから」
また元のところに戻ってくる。父のシャツをもう一度取り上げる。
「ね?不妊治療とかさ、新しい画期的なお産の方式とかさ」
「うーん、お父さんがなんて言うかしらね?」
「だけど、病院だって儲からないとさ」
「でも、皆さんが安心して赤ちゃんを産めるようにってのがひいおじいちゃんからの家訓だからねぇ」
「それも、潰れちゃったら元も子もないって」
「もう、また、この子ったら」
ぺちりと母におでこを叩かれた。
「そう言うのはあんたたちの代でやってちょうだい」
「え〜。わたし、お医者さんなんの?」
「立派なお婿さん連れてきてよ」
「それはお姉ちゃんの役目でしょ」
「わたしが何だって?」
いつの間にか姉が帰ってきてた。制服姿でわたしたちの方へ寄ってくる。
「ね、律が継げばいいじゃん。病院」
「ええっ?」
「だって、親戚だしさ。それで、京香がお嫁さんになったら?」
姉は縁側に座って洗濯物を畳んでいる母とそばで寝っ転がっているわたしのそばにすとんと座ってそんなことを言った。それからついでに学校の制服のままでわたしが傍に置いてあった木の鉢から、からんとおせんべいを取り上げてばりっと食べた。
「もうっ!あんた外から帰ってきて手、洗ったの?」
母が今度は姉の手をぺチリとやった。
「平気、平気。わたし、身体強いからさ。雑菌になんて負けないって」
「そういう問題じゃないの。ほんっと、女のくせに行儀悪いんだから。玲香も京香も。あんたたち、自分で頑張って勉強してお医者さんにとかいうのがないんだったらさ。せめてお行儀良くしていい旦那さん捕まえてきなさいよ」
「だから、律でいいじゃん。イケメン先生。それだけで隣の市からとかも来るんじゃない?」
母はため息をついた。
「本当に、律くんが従兄弟じゃなかったらねぇ。あんたたちのどっちかとと思わないでもないけどねぇ」
「え、なんで?従兄弟って結婚できなかったっけ?」
姉が聞くのをわたしは横で何げない風を装ってそっと聞いていました。
「法律上は問題ないわ。でも、血が濃いとね。赤ちゃんに問題が出るかもしれないじゃない」
「え、そうなの?」
「確率は低いみたいだけど、普通に結婚するよりも高くなるんですよ」
よっこらしょと言って、洗濯物を抱えて母が立ち上がる。寝っ転がったままでその様子を眺めた。努めて普通の顔をしようと思った。普通の顔をしながら考えた。
そうなんだ……。
その時、自分は中学生でした。その頃の自分にとって、少し歳の離れた従兄弟、律は憧れのお兄さんでした。
***
「ね、京香の親戚ってさ、なんかすごい人いたよね」
「誰?」
とある日、学校の教室で友達が話しかけてきた。
「ほら、映画撮ってるとかいう」
「ああ、おじさん」
「そうそう」
「それが、どうしたの?」
「わたしね。女優になりたいのっ」
ぽかんとしてクラスメートの女の子の顔を見る。普通の子です。普通の。すみれちゃん。
「ね、紹介して」
わたしの腕を両手でしっかりと掴み、ブンブンと揺さぶり出しました。
「そんなん、女子中学生のAVとかに売り飛ばされるだけだって」
「な……」
単純な友達は青くなった。
「知らないの?芸能界は怖いとこなんだよ。一歩踏み外すと、奈落の底まで真っ逆さまだよ」
「いつの時代の話よ」
横から冷静な声が。真希ちゃん。なんだよっ。すみれちゃんぐらいなら説き伏せる自信あったのに。
「パンツ脱いで売れって言われる世界だよっ」
「ええっ」
すみれちゃんがわたしを驚愕の表情で見る。
「パンツ履かないで行けばいいじゃない」
「ええっ」
わたしが真希ちゃんを驚愕の表情で見る。
反対にやり返されてしまった……。かなりの強者だ。真希ちゃん。結局おじさんに紹介しろと強引に押し切られてしまった。なぜか真希ちゃんまでついてくると。
家に帰ってから携帯を取り出してベッドに寝転がる。
どうしようと、思いながら従兄弟の電話番号を検索する。その時からウキウキしてた。
ああ、口実ができた。久しぶりに律に会える。
「はい」
「わたし」
「なに?」
「忙しい?」
「前置きはいいから早く言えよ」
愛想のない声が受話器の向こうから聞こえてくる。この様子に大抵の人がタジっとなってしまう。あの綺麗な顔でぶっきらぼうに話されると、敷居が高いのだ。だけど、律は別に怒っているわけではない。この人は、愛想をよくする必要が今までなかっただけです。愛想をよくしなくても山のように人が寄ってたかってこようとするので、自然にぶっきらぼうになっただけ。
「おじさんに紹介してほしいって女優志望の友達がいて」
「親父に?それって京香の友達ってことは中学生なの?」
「うん」
「悪いこと言わないから、やめとけって言え」
「もう言ったんだけど」
「ああいう奴らなんて碌でもないぞってちゃんと説明したか?」
「したよ。穿いてるパンツをその場で売ることになるってちゃんと言った」
律が受話器の向こうで爆笑した。ゲラゲラ笑う声をしばらくただ聞いていた。
「それはいくらなんでも言い過ぎだ。いくら親父でもそこまではしないって」
「ねぇ、どうしよう」
「どうしようも何も、今、ロケ中で家になんて帰ってこないよ。海外行ってる」
「あのね。おじさんいないの知らないふりして家まで行っちゃだめ?」
「ええ?」
「紹介しようとしたけどダメだったねってなって、それで写真とか紹介文とか置いてきたらさ。それで、納得してくれるかも」
「……」
律が黙った。でも、返事を聞く前からわたしには律が断らないことがわかってた。律は子供の頃からわたしに甘かった。
「いつだよ」
思わず笑みが漏れた。やった。久しぶりに律に会える。
大好きな律に。