5 同情心
5 同情心
中條太一
春休みが終わって学校が始まった。その第一日目の始業式の後、久しぶりに会ったみんながなんとなくぱっと散らずに教室でノロノロとしていた時に、クラスの後ろの扉のところに里桜ちゃんがきた。
あ、椎名だと目敏い男子が何人か顔を上げて見つめる。
里桜ちゃんはキョロキョロと教室を覗き込むと、僕を見つけて大きな声で言った。
「太一、帰ろ」
その時、教室中の男女が、将大以外全員固まった。微動だにしない。
「早く」
「ごめん」
荷物まとめて里桜ちゃんの方へとゆく。彼女が僕の手を取った。二人で教室を出たところで、
「ええ〜!」
「何?何?今の?」
「俺が今見たのは幻か」
等々うんぬん。今出てきた教室で大騒ぎになっているのが聞こえた。
「里桜ちゃん、めんどくさいからとりあえずさっさと行こう」
「え?あ、ちょっ」
繋いでた手を引っ張って歩く。階段降りて学校の昇降口まで来た。
「もう、ちょっと。太一の歩幅でさっさと歩かれると追いつけないって」
「ごめん」
どうせ明日学校に登校したらめんどくさいことになるのはわかってるけど、とりあえず今日は追っ手も来ないだろう。歩く速度を普通に戻した。
「ね、太一ってそういえば、部活何?」
そう。そういうことも知らないんです。この人。絶対俺に興味があるって言ったの嘘だよね。
「バスケ部」
「へー」
「の万年補欠」
「それは別にわざわざ言わないでも」
「背が高いからって理由だけで無理矢理入らされた」
「でも、背が高いんだから、頑張れば選手なれるんじゃないの?」
「いや、僕は補欠でいたいから補欠にいるの」
「え?」
しばらく里桜ちゃんがしかめ面のままで歩きながら僕が言った意味を検分する。
「なんで?」
自分では答えが出なかったらしい。
「僕、緊張するたちだから、試合とか出させられたら、ここってとこで失敗して僕のせいで負ける」
「え?」
「そういう星の下に生まれている人間っているんだよ」
「は?」
「だから、僕が補欠にいるのはチームのためでもあるんだ」
かなりの信念を持って熱く語ってみた。
「そんなんだったら、サクッと辞めちゃえばいいじゃん」
「いや、仲間と一緒にいるのは嫌いじゃない」
「え……」
「こう、応援して、みんなで勝ってとか結構好き」
「自分が中心になってゴール決めて、ヒーローみたくもみくちゃにされてとかではなくて?」
「いや、いやいや」
僕は頭を振った。
「世界には心底脇役が好きな人間ってのもいるんだよ」
「へー」
主役を簡単に手に入れる人にはわからないだろうなと思いつつ、語ってみた。呆れるかと思ったが意外と里桜ちゃんはこういうことでは呆れなかった。返って感心している。
将大が言っていたのは当たってるかもなと最近思ってた。
一生に一度は猫まんまみたいなものに興味を持つことがあるのかもしれません。いつも楽勝で主役を掻っ攫っていくような人種の人たちにも。そして、それは1ヶ月で終わる予定なんだけど。もうそろそろ3週間なったんだけどな。
「ね、コンビニ寄ってアイス食べてこ」
「別にいいけど、僕は特に食べたくありません。里桜ちゃんだけ買いな」
「一人で食べると美味しさが半減するんだよ」
そして僕が買う分まで何を買うか里桜ちゃんが決める。
「払うよ」
「特に理由がない時は奢らせないし、奢らない」
基本的に割り勘な人だった。
「大体、それ、お父さんのお金でしょ?」
「はい」
親の金で奢って威張るなってか。確かに。コンビニの端っこのカウンターに並んで座った。
で、二つ好きなのを選んだので、それをさらに半分こにする。こうすると二つの味を同時に味わうことができる。
「食べたいんなら、これ、あげる」
ややこしいことしないで1人で二つ食べればいい。僕はそんなに甘いもの好きじゃないし。
「太るからダメなの。太一もちゃんと食べて」
「……」
「ちょっともっとニコニコしながら食べなよ。アイスがかわいそう。それに溶ける」
「はい」
不思議なところで不思議な要求をしてくる人でした。里桜ちゃん。
「そういえば、太一ってさ」
「はい」
「今まで彼女いたことある?」
なぜかその時不意に、童貞に見えない服を着ろといった将大の声が蘇った。
ま、でも、別にいーや。これで幻滅されても、引かれても。
「いません」
「一人も?」
「はい」
「へー」
ところが、あろうことかこの言葉に里桜ちゃんは目を輝かせた。あれですよ。ちょっと珍しいおもちゃを見つけたぞとでもいうような。
え?ここ、そういう反応なの?
なんか、いやーな、いやーな予感というか感じがしたし。
そう、この人なんか、お姉ちゃんに似てるんだよな。僕をからかって遊ぶのが何より大好きだった傍若無人な姉に。
「ね、じゃ、折角彼女ができたじゃん。彼女と何がしたい?」
「……」
キラキラした目で言われたのですが……。
色気もクソもねえな。
大変申し訳ないことですが、ちょっと引きました。
男はね、枝になっているリンゴをもぎたいんです。誰か他の人がもいだリンゴを口に突っ込まれるのは嫌いなんです。同じリンゴでもね。
その時、彼女の携帯が鳴った。
「あ、ごめん」
彼女は携帯をカバンから出しつつ、タタっと外へ走る。僕から離れてから携帯を耳に当てる。僕はそっと彼女の顔を窺う。そして、またそこに見た。この3週間のうちに数回見た、僕に対しては見せない顔と声。しばらくすると里桜ちゃんは戻ってきた。
「ごめん。太一。急用できた」
この日はまるで向日葵みたいに笑ってた。それを見てちょっとホッとした。
「うん」
「また明日ね」
「うん。バイバイ」
彼女はパタパタとかけてった。その足取りがまるで飛ぶようだった。
その背中を見ながら思う。本当に好きなんだなぁと。
一体どんな罠を里桜ちゃんが仕掛けたのか。ビクビクしながら始まった関係。程なくして僕は謎を解いた。全ての謎が解けたわけではないけれど、二つのことに気がついた。
僕は彼女のセカンドでした。そして、おそらく彼女も誰かの、どこかの男のセカンドなんです。
たまにしか来ないその男からの呼び出しのメッセージや電話を彼女はそれこそ、24時間待っている。そして、身を焦がしている。傍にいるからわかる。辛くて寂しいから、二人目が必要になったんです。それがどうして僕だったのか、その謎はわからない。
普通の男だったら、自分がセカンドだとわかって、そして一緒にいるときにあからさまに別の男の呼び出しに応じる彼女に去られたら、一度目で怒ってそして許さないだろうと思う。さっさと解消するだろう。こんな契約。
それをさっさと解消しないなんてよっぽど彼女が好きなのかと或いは思われるかもしれない。
でも、事実は全く逆で、好きではないから平気なんです。
嫌いなわけではないけど、好きなわけではない。
綺麗だなと思って一緒にいて楽しい時もあるけど、でも、別の男が好きな彼女を見て苦しくなるようなそんな好きだという感情が全くない。だから平気なんです。
むしろ、同情していた。
あのパッと連絡がきたときに輝く顔。
彼女は確かに今、その男と過ごす一時のためだけに生きている。
僕と一緒にいる時普通そうにしているけど、でも、里桜ちゃんは確かに寂しくてそして苦しんでいるのだと思う。表情にも言葉にも出さないけど、なんとなくわかりました。
常に続く痛み。おそらく里桜ちゃんのその相手の男は、彼女を一生選ばないと思う。延々と二番手に置き続けるでしょう。里桜ちゃんが自分から離れていくときまで。
それでも離れられない。
僕はそんな恋をしたことがない。
だけど、そこまで人を好きになるというのはきっととても痛くて辛いことなんでしょう。
その痛みに耐えられなくてそして、紛らわすために手を伸ばした先にいたのが僕だとしたら、そして僕で少しでも痛みが紛れるのなら、そばにいてあげようと思っていました。
里桜ちゃんが好きだからではない。
好きだったら辛すぎてこんなことはできない。
うまくいえないんです。ただ、恋でもなくて愛でもなくて、何かだけど感情と呼べるものが僕の心の中には確かにありました。名前をつけられない感情が。そうだな、だけどやっぱりそれは……、
同情だったのだと思う。
僕は同情心から椎名里桜と付き合っていました。この時。