3 碌でもない用事
3 碌でもない用事
中條太一
あれは高校二年と三年の間の春休み。朝早くに携帯が鳴った。まだベッドの中にいて朝寝を楽しんでいた僕は、高血圧な友人の甲高い声で起こされた。
「太一、とにかくすぐ来い」
「……」
電話が切れた。いや、来いってどこに?なんで休みの日に将大はこんな朝早くに起きてんだ?よくわからないが、のろのろと起きて顔を洗って歯を磨いていると、向こうのほうで携帯がなる。
「太一、電話よ」
母が携帯を持って洗面所に来た。また、将大だ。
「太一、まだか?」
「……」
とりあえず、コップに水を汲んでうがいを済ました。
「おい、太一!」
「なんでそんなに興奮してるの?」
「電話では話せない」
「……」
さっぱりわからない。想像もつかない。確かに落ち着きのないやつだけど、出会ってから今までで、1番興奮している。
「とにかく早く来い」
「いや、そうは言っても今起きたばっかで……」
また、電話が切れた。いや、だからどこにいるんだよ、お前。
「将大君?」
「うん。なんか呼び出された」
「こんな時間に?」
時計を見た。9時にすらなってなかった。
「うん」
「一体何だろうね」
「何だろうね」
「朝ごはん、食べるでしょ?」
「う〜ん」
ちょっと考える。
「なんか食べてる最中にまた電話かかってきそうだな」
「そんなに急ぎなの?」
「よくわかんないけど」
そして、着替えている最中にまた電話がかかってくる。
「太一、まだか?」
「お前から電話かかってくるたびに、準備が遅くなるんだけど」
「そうだ、お前、今日は、あれだ。童貞っぽく見える服は着るな」
「は?」
ここでまだ少し眠ってた頭が完全に覚めた。
「全く意味がわからないんだけど」
「いいか?それっぽく見える服は着るなよ」
そしてまた、この人は電話を切った。
一体、なんの用事なんだ?
さっきまでの呑気な気分と打って変わって、不安になってきた。
とても……、碌でもない用事な気がする。それも、今までになかったような。
「本当に朝ごはん食べないで行くの?」
「うん。なんかうるさいし。何度も急かされるし」
「お昼は?」
「わかんないけど、帰れない時は電話するね」
母に声をかけて家を出る。それっぽく見えない服を着ろだなんて、服なんかで事実は消えないだろ、アホくさいと思いながら。大体それっぽく見えなかった男子が実はそうでしたっていうオチの方がまずいだろ。それなら最初っから事実の通りにそれっぽく見えた方が無難じゃないか。
予測していた通りに、こっちから電話しなくても、もう一度将大から電話がかかってきた。こいつ今朝はストーカーみたいだな。
「はい」
「太一、今どこだ?」
「家を出た」
「いつこっちに着くんだ?」
「ていうかどこにいるの?」
やっと聞きたいことを聞けた。将大は二、三駅先の駅前のマクドナルドにいた。電車に乗ってその駅で降りる。マクドナルドの中に入って朝ごはんを買って2階にあがると、隅っこの方に将大が1人でいた。じっとこっちを見ている。いつになく真剣な目で。
「なに?」
「お前、寝癖ついてるじゃん」
「え?」
すごい顔で睨まれた。
「そこの洗面所で直してこい」
「え、なんで?」
そりゃ寝癖ついてたかもしれないが、そこまですごい寝癖じゃなかったような……。
「いいから、直してこい。話はその後だ」
「……」
大人しくトイレに向かい、鏡の前で洗面台で水を出しながら寝癖を直す。いやーな予感しかしない。ワクワクドキドキではなくて、お化け屋敷でお化けが出てくるのをびくびくしながら待っているような気分になった。
寝癖を直して、将大の前に座る。将大は腕組みをして黙って俺を見ている。
なんかの面接みたいだな。
「いいか、落ち着いて聞けよ」
「うん」
「三組に椎名という女子がいるだろう?」
「ああ、椎名さん」
なかなか綺麗な人です。かわいいではなくて綺麗系。
「俺の彼女と仲がいいんだ」
「うん」
「お前と付き合いたいそうだ」
「……」
その時、天変地異が起こった。
「それはきっと絶対に何かの間違いだ」
「唯もそう思った」
唯は将大の彼女の名前です。唯ちゃん。将大は盛大にため息をついた。
「まず、間違いだと思って、誰か他の男子と名前を間違えたのではないかと思って、それは確かに隣のクラスで自分の彼と仲のいい中條太一かと確認した。うんと言われたけど信じられなくて、写真まで見せて確認した。間違いないと言われたらしい」
「それじゃ、きっと何かの罠だ」
将大はもう一度ため息をついた。腕を組んでいたのを解いて、頭を抱えて俯く。
「その可能性もあるかもしれない」
「じゃあ……」
「でもな、別に椎名は普通の女子だ」
「うん」
「俺の知る限り、実はお父さんがヤクザですとか、悪い紐がついていて、その人がヤクザですとか、前科者なんですとかさ」
「うん」
「そういうことはないと思う」
「うん」
「だから、罠だとしてもその罠は、例えばお前が椎名と付き合った後に怖いお兄さんたちにボコボコにされた挙句、金を出せと言われるようなものすごい程度のものではないと思うわけだ」
「……」
やっぱり碌でもない話だった。そして、将大は眉間に皺を寄せた顔でコーラを飲んだ。
「だから、いけ。太一」
「へ?」
「求められるがままに付き合ってしまえ。太一」
「いや、いやです。絶対いやだ」
「馬鹿。お前、椎名だぞ。相手は」
「そんな、騙されるってわかってるのに?」
「でも、お前を騙して椎名になんの得があるってんだ?」
「いや、それはよくわかんないけど」
よく知らない。話したことない。自分とは縁のない女子です。椎名さん。大人っぽくって綺麗な子。
「俺が推理するに椎名がお前と付き合いたいってのは、騙したいとかそういうことではないと思う」
「じゃ、なんなわけ?」
「気まぐれだ」
「へ?」
「人生の中で一回は、味噌汁をご飯にかけて食べてみたいというような」
「は?」
猫まんま(*2)すか、つまり。
「ああ、これは、今まで他人がしているのを見たことはあったけど、こんな味がするものなのかというのをどうしても試したくなったのだよ」
「つまり、俺は猫まんまなわけ?」
「そうだ。お前はおそらく椎名が一生で一回だけ食べる猫まんまだ」
「……」
「なんとなくわかったか?」
「いや、全然わかりません」
「だから、あのクラスの美人でもな、たまに気まぐれに自分とは釣り合わない男と付き合ってみるかと風邪でも引いたみたいに思うことがある」
「はぁ」
「それで、きっと風邪はすぐ治る。1ヶ月も持ったらいい方だ。それで、お前はお役御免だ。うまくいけば味見された後でな」
チーン
マクドナルドの片隅で、見慣れた親友としばらく見つめ合う。
「やっぱり、いやだ。怖すぎる」
「ばか。お前、お前みたいな男があのクラスの女子とたった1ヶ月でも付き合えるなんてな。一生のうち一回あるかないかだぞ。男ならいけ」
いや。そんなことなら今日から男を返上してやる。僕は今日から男でも女でもない。
「というかな。もうお前は今日の午後椎名と会うことになっている」
「は?」
「今日返事がもらえなかったらもういいと言っているそうだ」
「じゃあ、そういうことで」
このまま逃げてしまえばよい。
「ばか。だめだ。女に恥をかかせるな」
「ええっ?」
将大はじっと僕を見た。これでもかというほどにじっと見た。
「太一、よく考えろ。たった1ヶ月で振られてもな。お前には経歴が残る」
「経歴?」
「あの椎名がたった1ヶ月でも太一を選んだということは、何か男として魅力があるのか?とうちの学年の女子がお前を見直す」
「うん」
「つまり、お前にはプレミアがつくんだ」
「猫まんまにか」
「そうだ。猫まんまにだ」
「……」
「お前みたいなさ。一見平凡な男というのはさ、そういう不思議なプレミアがつくと意外とモテるんだよ。俺は知ってる。明るい未来のために、飛び込んでみろ。男を磨け」
「……」
何かが違うような気がしないでもない。この将大の話。
「とにかく、今日の午後は区立図書館に行け。13時だ。遅れんじゃないぞ」
「ええっ」
強引に話を押し切られてしまった。
***
げっそりとした気分で、約束の場所に行きました。とりあえず、とりあえずは話を聞こうと思って。閑静な建物の区立図書館へと足を踏み込んだ。そして、まるで忍者のようにそおっと、そおっと一階から二階まで覗き込んで本人がいないか確認して回った。覗いて、いない。クリア。今度は次の角まで行って覗く、いない。クリア。どこに行ってもいない。
なんだ。いないぞ。これは、あれだ。タチの悪い悪戯だったんだな!
午前中から降って沸いた暗雲が今、晴れた。そうか、タチの悪い悪戯だったんだな!
これは、安心して帰れるぞ。
「遅刻しないのね。感心感心」
その時、僕の背後から女の子の声がした。振り向くとそこに制服ではなくて私服姿の椎名里桜がいた。咄嗟にきっと僕は凄い顔をしたと思う。地獄で死神にあったみたいな。(でも、よく考えたら地獄に死神はいないのかも。地獄に仕事はないだろう。死神は地上で死にそうな人間の横に立ってないとさ)
「なに?その、化け物にでも出くわしたような顔は」
「いえ、なんでもありません」
普通の顔に戻した。
「行こう」
「どこへ?」
「どっかそこらへんの落ち着いて話せるところへ」
近くのファミレスに入りました。入り口を潜るといらっしゃいませというウェイトレスの声とインターホンに迎えられた。
「お昼、食べた?」
「簡単に」
将大といるときに遅めの朝ごはんを食べた。それからご飯を食べる気にならなかった。
「そう」
2人ともドリンクバーだけ頼んだ。客単価の安い困った客だ。
「今日、どういうふうに聞いて来た?」
「え?」
アイスティーのストローを弄びながら椎名嬢が言う。僕は警察の尋問を受けているような気分になりました。姿勢を正した。
「いや、なんか、とても妙なことを聞いてきました」
「妙なことって?」
「ええっと」
これはさ、この様子をどこかで隠れてカメラとかで撮っている人がいて、いわゆるスクール版のドッキリとかじゃないのかな?
「何をキョロキョロしているの?」
「あ、いや、その」
ストローを弄びながら、若干目の前の椎名嬢がイライラしてきているのがわかる。
「椎名さんが僕と付き合いたいと言っていると聞いて……」
誰も物陰から出てこなかった。そして、椎名嬢が吹き出して何言ってんだ、バーカとも言わなかった。
「何かの間違いとかではないの?」
「は?」
その声が、腹に響いた。この人、結構……、初めて話したけどさ。なんか、お姉ちゃんに似てる。外ではニコニコしてるけど、家の中では傍若無人だった僕の姉に。
「冗談でも間違いでもありません」
「なんで?」
「は?」
「なんで、僕?」
「中條くんに興味があって」
「僕では絶対に椎名さんを満足させることはないと思う」
とりあえず、周りくどい説明を省いて結論をまっすぐにぶつけてみました。
「あ、そういうのはそう思った時に終わればいい話だから」
チーン
とても軽くいなされた。こういうところもお姉ちゃんに似てる。
「そういうことを言うってことは何?中條君はわたしではだめなわけだ」
「え?」
「断ってもいいけど、どうしてだめなのか理由は聞かせてもらえる?」
ストローを弄びながらじっと睨まれた。目力強いです。背筋がゾッとした。
「いや、だめだなんて言ってません」
「じゃあ、とりあえず、そう言うことでよろしく」
握手を求められている。いや、これ、握手をしたら契約成立?
「そんな簡単に?」
「いや、別に、だって、他になんかある?あ、なんか付き合うにあたってこれだけは約束してほしいみたいなことある?あったら、聞くけど」
完全に向こうのペースです。
「突然のことで頭がついていかない」
「ふうん」
頭を抱えた僕を椎名嬢はアイスティーを飲みながら席の向こうからしばらく観察していた。今日の朝まで僕は僕の普通の日常の中にいたはずなのに、たった1日で激変してしまった。
あ、でも、これ1ヶ月で終わるんだった。そうだ。1ヶ月で元の生活に戻れる。
少しだけシャキッとした。
「あ、一つだけお願いがある」
「何?」
「うちの母親にだけは絶対にバレたくない」
「……」
その時、ひゅううっとなんか寒い風が吹いた気がしたよね。でもさ、これで、なんだこのマザコン男と思われてやっぱやめると思われたらむしろ好都合。
「なんで?」
「うちの母親、自分の息子に彼女ができたなんて知ったら、会わせろって言って大騒ぎするような人だから」
「別に会ってもいいよ」
「絶対にそれだけはやめてください」
「なんで?」
「僕のクオリティオブライフに甚大なる被害が出ます」
「は?」
「とにかく静かに暮らしたいんです」
うちのお母さんのおめでたさはちょっと普通の人の比ではないので。1ヶ月で終わる話にわざわざ足を突っ込んで欲しくない。
ちょっとしかめ面をしていた椎名嬢は、でも、それ以上の追及を諦めた。
「それだけ?」
「えっと、ええ、はい」
「じゃ、よろしく」
再び握手を求められた。そして、僕は勢いに押されて握手を返してしまった。
「じゃ、携帯教えて」
「……」
「早く」
「はい」
彼女ができたなんて、これっぽっちも思えなかった。言うならば、椎名さんは僕の女主人で、そして僕は彼女の奴隷でした。奴隷契約に署名したような気分だった。ただ、それは1ヶ月で終わる予定でした。
*2 猫まんま(これを知らない方のために説明を)
ねこまんま、またはねこめしとは、「猫に与える飯のように、味噌汁をかけたり削り節を散らしたりした飯」である。「にゃんこ飯」、「しーしまんま」、とも呼ばれる。(参考 Wikipedia)