2 ゲージュツカではない大人
2 ゲージュツカではない大人
文月律
うちの親は、なんというのだろうな。他の親をよく知らないからなんとも言えないのだけれど、少し普通ではないのだと思う。うまく言えないのだけれど、昔の映画でフロムダスクティルドーン(*1)。あれで生き残った2人みたい。悪友。悪い部分で気が合う2人。
そして、2人はそれを進歩的だとでも、あるいは、文化的?なんでもいいのだけれど、とにかくそういうふうに思ってるのかもしれなくて、夫婦であるくせにお互い自由に外でも恋愛を楽しみ、そして、相手が自分を裏切っていることをなんとも思っていないらしかった。
そして、そんな進歩的なカップルの落とし子である俺は、子供の頃から金と飯と屋根とかなんとかを与えられて、ほったらかしだった。
興味や関心が全くなかったのかと言えばそういうわけでもなくて、でも、なんていうのだろうな。本人たちに言わせると2人は芸術家なのだそうだ。芸術家というものは気まぐれなのだと。だから、非常に自分本位な愛情を押し付けてきた。波がいきなり押し寄せたり、かと思えば引いたままだったりと言ったような。そして、大抵の部分では俺はいつも親にほっておかれていた。自分が必要な時にはそこにいなくて、自分が必要ない時にはそこにいると言ったような、そんな存在だった。
もしも、本当に芸術家というものが、父や母のような人たちなのだとしたら、芸術家なんかくそっくらえと思う。
父は本来は、まともな家の子だった。千葉県の野田市にあるとある産婦人科医院の長男だった。僕の曽祖父が始めた医院で、近所の人の信頼を集める昔ながらの産院だ。
子供の頃から医者になれ、医院を継げと言われながら育った父は、しかし、勉強も真面目にコツコツと生きるのも大嫌いだった。本人曰く、自分は芸術家だから、もっと華やかな世界に憧れたらしい。医学部を受けても受からずに浪人していた時に、家出をした。家出をして、父は役者を目指した。そしてなかなか目が出ずに困窮した。金に困って実家を頼り、祖父に二度と家の敷居を跨ぐなと叩き出されたらしい。
そのことを祖父亡き今でも父は根に持っていて、酔った際になど愚痴をこぼす。
売れない役者を続ける傍らで、どうやら自分には役者としての才能がないらしいと気づいたのか、しかし、もともと金持ちの家に生まれていつも人に敬われる立場に立つことに慣れた父は、どうやら社会の底辺とまではいかないまでも下の方に自分がいるらしいことに我慢ができなかったのだろう。今度は脚本を書き始めた。脚本を書いては色々な人に見せて回り売り込んだ。書いても書いても没になるものをそれでも書き続けた。そして、とうとうその中の一作が映像化された。映画館に流してもらえるようなものではなくて、ビデオとしてのみ流通するような小さなものだったらしい。
だけど、その経験は父にとって鮮烈な出来事だったそうだ。自分の書いたものが映像になったということは。父はそれからも脚本を書き続け、次第にそれが認められるようになってくると、今度は脚本のみでなく映画全体に口を出していくようになった。
そして、父は映画監督になった。何回か自分の映画に出演していた女優と結婚し、俺が生まれた。
父が家を出た後に、産院は歳の離れた弟である叔父が継いでいた。文月京二郎。
祖父が存命のうちは父は実家を毛嫌いしていて、僕は自分の父方の実家を知らずに育った。それが、祖父が病に倒れていよいよ危ないというときに呼び出された。最後まで会わないと意地を張る父を迎えにきた人がいた。
それが叔父だった。
「君が律君?」
玄関のチャイムが鳴ってドアを開けると、見知らぬおじさんが立っていた。知らない人だけれど、でも、他人ではないとすぐにわかった。父に顔貌が似ていたから。だけれど、顔貌は似ているのだけれど、雰囲気が全く違った。メガネをかけた穏やかな真面目そうな人。
「なんだ。しつこいな。京二郎。家にまで押しかけたのか」
奥から父がだらしない格好のままで出てくる。朝まで帰ってこなかった挙句、さっきまで寝ていたのだ。
「驚いたな。写真で見るよりもっと男前だなぁ」
叔父は俺の顔を見て感嘆の声をあげた。
「なんだ。律か。律は葵に似たからな。将来が楽しみだ。こいつならいい役者になるぞ」
「初めまして。君の叔父さんの文月京二郎です」
子供に対してまるで大人にするように丁寧に挨拶をしてそしてそっと笑った。
叔父は、その頃の自分が自分の生活の中で顔を合わせてきた様々な大人たち、父や母の仕事の関係でうちにくる業界の人たち、自分はそれを所謂ゲージュツカの集まりだと子供ながらに理解していたのだけれど、それらの大人たちと全然違った。
叔父は、自分が生まれてきてから初めて身近で出会った、ゲージュツカではない大人だった。
そして、僕のいう所謂ゲージュツカではないというのは、つまりは、まともな人だという意味だった。
渋る父を叔父はこんこんと説得し、そして顔を洗わせ髭を剃らせる。
「おい、律。お前も、あれだ。持ってる服の中で一番地味で、でも、いい服に着替えてこい」
父は挙句に僕を指差し、そう命じた。母はいつものようにどこかに遊びに出ていて、僕は自分で自分の部屋のクローゼットを覗く。ああでもないこうでもないとよくわからずにぼんやりとしていると、叔父が部屋に入ってきた。
「一緒に選んであげよう」
僕は服はたくさん持っていた。母が時々狂ったように服を買うのだ。自分の分だけでなく僕の分まで。だけど買って与えたらそれっきり自分が息子にどんな服を買ったのかを忘れてしまう。自分はいつも母が買った服の中から、扱いが楽なものを選んで着ていた。
つまりはTシャツとかそういうアイロンをあてたりする必要のないものを。
山のようにある服の中から、叔父は無難な服を選んでくれた。
選んでもらった服のボタンを閉めながら思う。自分の父親が今にも死にそうな時に、そばについていたいだろうにこんなとこで中年男の髭を剃らせたり、遊び歩いている母親の代わりに子供の服を選んだり、どうしてこの人は苛々としていないのだろう。
そのくらい叔父は淡々としていた。
そして、叔父に連れられて父と2人病院に行った。病院の固くて冷たい廊下をカツカツと歩く。この時も叔父は焦ってもイライラもしていなかった。とある個室の前でガラリとドアを開けた。
そこには、1人の眠ったおじいさんとおばさんと2人の女の子がいた。
そこで初めて自分の従兄弟に会った。玲香と京香。2人ともまだ小学校にあがらないような年齢だった。2人は面差しの似た顔でじっと僕の方を見た。お人形さんみたいだった。特にちっこい京香の方が。
「お父さん。兄さんを連れてきましたよ」
叔父が寝ている祖父に話しかけた。祖父はでも寝たままだった。
父は難しい顔で立っていた。立って祖父を見ていた。
「今、ここにいますよ」
祖父の手を取って、優しく話しかけている。
「なんだ、もう、死んだのか」
「いや、まだ生きている」
「でも、もう、俺が来たってわからないだろう?」
「いや、わかる」
その時、寝ている祖父の閉じている目から涙が流れた。
そっとゆっくりと。
それを見て、父は何も言えなくなった。
「お父さん、ほら、律君も来てくれたんですよ。ずっと会いたいと言っていたでしょう?」
近くにいたおばさんがそっと僕の肩に手を置いた。
「そばに行って顔を見せてあげてくれる?」
僕が前へ出ると、叔父は僕の手を取って、その手を寝ている祖父の手にあてた。
「やっと会えましたね。お父さん。律君ですよ」
後ろの方でおばさんが嗚咽を漏らす音がして、それに合わせて上の女の子も涙ぐむ。京香は幼すぎて何が起こっているのかわからなかったのだろう。母親と姉を見てぽかんとしていた。
父はやはり難しい顔をして、黙りこくっていた。
「お父さんとおじいちゃんと2人にしてあげましょう」
おばさんに耳元でそっとそう言われこくんと頷いた。祖父の手を離して、病室を出る。廊下をちょっと行くと談話室のようなスペースがあった。そこに4人で座った。窓の外の空がきれいに晴れてたのを妙にくっきりと憶えている。
「おじいちゃん、律君には会えなかったけど、写真を見ては大きくなったって喜んでたのよ」
「……」
なんと言っていいかわからなくてどきまぎした。おばさんの横で玲香と京香がじっと俺を見ていた。特に京香は瞬きするのを忘れたみたいに食い入るように俺を見ていた。
「2人とも、写真で見て知ってるでしょ?従兄弟の律君ですよ。ご挨拶なさい」
「玲香です」
「……」
「ほら、京ちゃんも」
でも京香は相変わらず目を皿のようにして僕のことを見ていた。その顔が可愛くて思わず笑ってしまった。
「あ、笑った。お兄ちゃん、笑った」
そう言って、京香も笑った。
「もう、そんな病院で騒いで」
「びっくりした。全然動かないんだもの。お人形さんかと思った」
「ちょっと、男の子にお人形さんなんて失礼よ。京ちゃん」
「でも、お兄ちゃん、お人形さんみたい。京香の持っているお人形さんみたいに綺麗」
僕はまた笑った。珍しかったと思う。自分は自分の顔のことを言われるのがあまり好きではなかった。でも、この時は珍しく嫌な気持ちにならなかった。
*1 フロム・ダスク・ティル・ドーン
1996年アメリカ ホラーアクション映画
監督 ロバート・ロドリゲス
脚本 クエンティン・タランティーノ
全米各地で強盗殺人を繰り広げたゲッコー兄弟は、メキシコ国境を目指して逃亡を続けていた。脅されて逃亡に加担することになるフラー一家。隠れ蓑にして国境を越えたゲッコー兄弟は、現地組織の代理人と落ち合う予定のクラブで一夜を過ごすことになる。しかし、そこは吸血鬼の巣食う巣窟だった。(参考 wikipedia)