序章
この作品は手痛い失恋について書きました。
人を振って罪悪感に苦しめられたこともありますし、振られてその記憶に何年も苦しめられたこともあります。うまくいかなかった時に、いったいどんなことに自分は苦しめられたっけ?そんなことを思い出しながらせっせと書きました。
なぜ自分ではダメだったのか?
そして、傷つけたいわけではないのに、なぜこの人ではダメなのか?
振られる場合と振った場合の苦しみというのはこういうところに集約されるのかなぁと思いました。初恋ではなくて、初めての失恋に対する作品。そして、失恋サバイバーとして申します。
明けない夜はない。
どんなにひどい経験にも、そこから目を逸らさず考え続ければ、その意味を見出すことができると思います。そして、例えば失恋というひどい経験、その意味は、一人一人違う。
その結論は自分で見つけるしかないのだと思います。
あの人と別れていなければ今の自分はいないといい意味で言えるようになればいいのかなと。
そして、自分を振った男に対する女性の最大の復讐はいつだって、綺麗になることではないかと。
ただ外見にとどまることならず、内面も。
何年たって歳を取ろうとも、自信を持って会おうと思えば会える自分でいたいものです。
最後に、本作中の登場人物、文月律君が、作中で繰り返し所謂ゲージュツカを見下す表現が出てきますが、これは世間一般の芸術家を示すものではありません。また、私は芸術家の方々を尊敬しております。あくまで作中の演出によるものですので、その旨、ご了承ください。また、作中に登場する文月産婦人科医院は作者の想像上の病院であり、現実に存在する病院とは何ら関係がございません。
第一稿を書き上げたブックカフェの片隅にて
汪海妹
2021年8月8日
テンペスト
tempest
嵐、暴風雨
ウィリアム・シェークスピアの戯曲の名前
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーベンのピアノソナタ第17番の通称
序章
文月律
その日、自分は当直だった。夕方に医院に着くと、看護師達が待合室で集まってこそこそと何か噂している。
「どうしたの?」
「ああ、若先生。なんか京香ちゃんがやっと帰ってきたと思ったらなんか揉めてて」
「うん」
「聞く気はなかったんですけどね」
でも、本当は好奇心でいてもたってもいられなかったのだろう。目が爛々としている。
「奥様と院長先生が話しているのが聞こえちゃって」
「なんて?」
「京香ちゃん妊娠しているみたいなんです」
「え……」
「絶対に内緒ですよ」
歳をとったベテラン看護師は口の前に一本指を立てて俺を軽く睨んだ。
「なんかね、昨日はお相手の子が来てて、若い子だったのよ。まだ、多分、学生?なんか話してたみたいだけど。もう、院長先生は珍しくすごい機嫌悪いし、奥様もオロオロしているし」
「京香は?」
「え?ああ、今は母屋の方にいるんじゃないですかね?」
母屋の方へ行った。家の中を歩き回って探す。
「京香?」
自分の部屋にいた。ベッドに寝っ転がってぼんやりとしていた。
「京香……」
「律」
ゆっくりと起き上がる。だるそうだった。
「久しぶり」
「お前、妊娠したの?」
「なんで知ってんの?」
「ほんとなのか?」
京香はじっと俺を見た。
「ほんとだよ」
「どうすんの?」
「産むよ」
「本気?」
従兄弟はもう一度俺をじっと見た。
「産むよ」
「産むって……」
「ちゃんと責任とってくれる人がいるから」
「それって一緒に来てたとかいう男?」
「そんなとこまで見られてんだ」
かなり嫌そうな顔をした。
「ね、律、出てって。わたし疲れたの。ちょっと休みたい」
「……」
「あなたが心配しなくても、わたしは大丈夫だから」
京香の顔をただしばらく黙って眺めた。