今夜はスキヤキ
「ねー。宍戸先輩、明日の悪霊狩りのオヤツを買いに行かないかい?」
終業のベルが鳴ると、僕は直ぐに、宍戸先輩の机に向かった。……先輩はまだ仕事が残っているらしく、難しい顔でパソコンを睨んでいる。
黒上さんのお手伝いで、迷宮になるとか言う旧校舎に、悪霊を狩りに行くのは明日だ。今日は、その準備でオヤツを買いに行こうって、恵美ちゃんと話していたのだ。……先輩も誘って。
「……もう終わったのか?」
「だって、ベル、なったろ?」
「そう言う事じゃない。理人に頼んだ報告書はどうなってる?どこまで進んだんだ?……あれは次の会議の要だろ?」
……。
宍戸先輩がギロリと僕を睨む。
うっわぁ。顔、怖すぎるよ。……元々だけど!
なんだよー……?宍戸先輩は今日は機嫌が悪いのかい???仲間外れにせずに、誘いに来てやったろ???
「えーと……。それは、やってたよ?だけど、まだ終わってないんだ。完璧に仕上げて、来週の半ばには出すつもりだよ?……僕と恵美ちゃんはさあ、これからオヤツを買いに行く約束なんだ。ちょっと高級なスーパー『星城石田』にね!だから、今日はもう終わりだよ?……そもそもさ、会議はまだ先だろ?」
「理人……。残業して、もう少しやっていけ。お前は毎回、ギリギリになって、大変な思いをするだろ?」
「えー……嫌だよ。今日は金曜日なんだよ?オヤツを買ったら、恵美ちゃんとご飯を食べるんだ。スキヤキなんだって。明日は悪霊狩りだし、体調を整えなきゃ。黒上ブラザーズもコンディションは整えといてねって言ってただろ?……僕はさあ、残業するほど暇じゃないんだよ。」
僕がそう言うと、宍戸先輩はハアっと溜息を吐いた。
な、なんだよ?なんかムカつくなぁ。先輩に頼まれたやつは、ちゃんとやってるんだよ?まだ時間があるんだもん、残業してまでやる必要、無いだろ???
こういう残業至上主義みたいな奴がいるから、ライフワークバランスが徹底されないんだよ。プライベートが暇だからって、暇つぶしに仕事して威張らないで欲しい。
僕はプライベートが忙しいんだよ!!!
僕たちが睨み合っていると、恵美ちゃんがやってきた。
「宍戸先輩、頼まれてた報告書、終わりました。メールに添付して送ってあるんで、確認しといて下さい。……ねえ、理人さん、先輩を誘いに来たんじゃないの?何で二人で睨み合ってんですか?……さ、先輩も帰りましょ?今夜はスキヤキですよー?」
「恵美ちゃん、聞いてよ!先輩が残業して、もっと報告書、書いてけって言うんだ!いつもギリギリになるからってさ!まだ時間あるのに、酷いんだよ!」
怠け者の恵美ちゃんなら、僕の気持ちがわかる筈!……僕は恵美ちゃんに同意を求たが、宍戸先輩がそれを遮った。
「おい、理人。最近の恵美はちゃんとやってるぞ?少し荒いが、こうして早い段階で、提出してくれてるんだ。恵美がこうして立派な報告書が書けるようになって、俺は誇らしい気持ちでいっぱいなんだ。」
宍戸先輩はそう言うと、恵美ちゃんを見つめて嬉しそうに目を細めた。
……え?
いつの間に恵美ちゃん、そんなデキる社員になっちゃったんだい?!僕は焦って恵美ちゃんに聞いた。
「な、なにそれ?どーゆー事なんだい?」
「理人さん、私ね、気付いたんです。……上の人が欲しいのは、私の考察や意見なんかじゃないんです。だって、一生懸命に報告書を書いても、丸々直せって言われたりしません?……気にいらなきゃ、どーせ、やり直しさせられちゃうんですよ。つまり、報告書は、考えるだけ無駄なんです。……大切なのは、見る人のお好みに合わせて作る事なんですよ!」
恵美ちゃんは、そう言ってカラカラと笑った。
へ……?
……そ、そうなの???
でも……確かに、恵美ちゃんの言う事には一理ある。僕が完璧だって思って出した報告書が「論点がまるで違うんだよ、こう言う方向で行きたいんだ。」とか「今回はこんな感じに結論づけたいから、書き直して?」なんて言われて返ってくる事は、確かに多い。
それで、根本から直さななきゃいけなくなって、結局はギリギリまでかかる事になっちゃって……って、いつもの僕じゃん?!
「理人さんには特別に、それぞれの攻略方法を教えてあげますね?」
「攻略……方法???」
恵美ちゃんは僕に、ちょっと威張って話し始めた。
「部長はシンプルなのがお好みで、厳しい結論も都合が悪くてもバシッと欲しいタイプです。だから、周りくどいのとか、曖昧な結論はやり直しを食らいます。……逆に課長は、頭良さげな表現が大好きで、難しい単語とか、ゴチャゴチャした数字やグラフがあるのが大好きなんです。だからそういうのいっぱい入れてあげると喜びます。結論はぼやかし気味に書くのがオススメです。」
「へ……へえ。」
さっきから、宍戸先輩が愕然とした顔で恵美ちゃんを見てるんだけど……。……大丈夫かなぁ?
「宍戸先輩は、悲観的な見方が大好きで、代わりに次に繋げる言葉で締めたがります。『こういう残念な結果だからこそ、次は〇〇が必要だ。』とか、『一見はよく見えるが、〇〇という可能性も潜んでいて、楽観は出来ない。以降はそれを踏まえて分析する。』みたいに書くのがオススメです。良い結果に浮かれて、何も問題ないで〜す!みたいな報告書を書くと、考察が甘いとか、もっと頭を使えとかって、突っ返されます。……これが私が考えた、それぞれの報告書の必勝法です!!!」
恵美ちゃんは、ドヤ顔で僕を見つめているが……なんだか先輩の顔がどんどん曇っていっている。
先輩は、メールに添付された、恵美ちゃんの報告書をザッと確認すると、乾いた笑いを漏らした。
「ははははは。……た、確かに、これは俺好みの報告書だな……。レイアウトや言い回しまで俺のを真似てるのか……。そうか……。最近、恵美はよくやってると思ってが、そうか、そう言う事だったのか……。」
「あ、気づきました?!私、先輩の報告書を読んで、先輩っぽく書けるよう、勉強しました!先輩って、自分をアピールする為か、名前が入る最初の方にインパクトある図とか写真を使いますよね?!その辺も真似ポイントです!」
「あ……ああ。よく分かったな……。なあ、恵美……。これに、恵美の意見は無いのか?……これは、俺を喜ばせるだけのモノなのか?」
「はい!もちろんです!気に入ってくれました???」
恵美ちゃんは輝く笑顔で先輩に笑いかけるが、先輩は困った様な、悲しい様なそんな顔で恵美ちゃんを見つめている。
「先輩……?……えっーと、自分の意見ですかぁ。……そんなの、無いですね!私、立派な会社の歯車になるつもりですから!回るだけって楽ですしね!」
な、なんだろう。言ってる事は合理的で、理にかなってるんだけど……。
なんか、グズい。
それを公正明大に語っちゃうあたり……さ、さすが……僕らの恵美ちゃんだ。
……。
……。
ふと見ると、先輩のデカい背中が小さく見えた。シッポも耳もなんだかヘニャリとなってしまっている……。
……そうだ。
先輩は時に厳しく、時に甘く、僕たちが一人前になれるように、一生懸命に指導してきてくれていた。……それは決して僕たちを、立派な歯車になんかにする為なんかじゃなくて、僕らをしっかりとした社会人に育ててくれようとしていた訳で……。
なのに、歯車サイコー!的な事を恵美ちゃんが言っちゃったんだもん、ヘニョっとしちゃうよねぇ……。
「せ、先輩……?」
僕は思わず声をかけてしまった。
「あ、ああ、理人。……なんか、怒ってすまなかったな。理人は来週の半ばまでに自分の考えを、ちゃんとまとめるんだぞ?俺……理人の報告書が、自分と考え方が違っても、否定しないようにするから……。理人の考えも踏まえて、次の会議用に作り上げていこうな。」
先輩はそう言うと、疲れたように帰り支度を始めた。
うわあああ。
……落ちこんじゃってるよね、これ???
「ね、先輩!スキヤキ食べましょう?僕たち、スキヤキパーティーするんです。恵美ちゃんが、懸賞で『松沢牛』を2キロも当てたんです。……オヤツ買って家でスキヤキしましょうよ?先輩には是非、参加して欲しくってですね、それでお誘いに来たんです!」
「理人……。」
先輩は、ゆっくりと顔を上げた。
「……どこでやるんだ?……まさか恵美の……家?」
……うわぁ……。
なんだろ、落ち込んでるから、優しくしてやろうとしたけど、なんか恵美ちゃんのアパートに行ってみたいって言う、妙な下心をビシバシ感じて……かなり……引くんだけど?
宍戸先輩は、期待のこもった目で僕を見つめる。
こ、この……ムッツリスケベさんめ!!!
すると、恵美ちゃんが、ニッコリ笑って先輩に言った。
「もちろん、……先輩のお家でですよ?誠に勝手ながら、先輩のマンションに届くように、手配済みデス。」
「は?」
「えっとさ……先輩のマンションって、広くて会社からも近いだろ?だから……ね、恵美ちゃん?」
「はい!私たち、お泊まりセットも持って来たんで、今日もお世話になりまーす!お肉楽しみですね?」
僕たちが明るくそう言うと、宍戸先輩は溜息を吐いた。
……実家が金持ちらしい宍戸先輩は、都心にある立派な高層マンションの広々とした最上階で一人暮らしをしていて、会社からもほど近い。
悪霊狩り事件の日に、先輩の家に泊めて貰って以来、僕らは味をしめて、先輩の家に入り浸っているのだ。先輩が家事がお得意だと言うのも、お気に入りポイントだ。
僕は先輩が物置にしていた部屋を僕用に、恵美ちゃんは客間を自分用の部屋にしようと、今やコツコツ私物を持ち込んでいる。
……先輩に飼われる準備は、着々と進行中だよ?
◇◇◇
楽しいスキヤキパーティーから一夜明けて、僕らは昼過ぎに黒上ブラザーズと合流し、『私立 慶帝学院 初等部』の校舎裏にやってきた。
「……ここが、迷宮の旧校舎……。」
僕と恵美ちゃん、それから宍戸先輩は古びた木造校舎を見つめ、ゴクリと唾を飲んだ。
古びた建築様式で、蔦のからまったその建物は……近代的な学校の裏手で、異様な存在感を放っていた。
黒上さん達によると、ここは私立でヒトのお嬢様やお坊ちゃまの通う、有名な小学校だそうだ。
この旧校舎は、創立当初から使われていたもので、歴史的な価値のある建物らしい。その為に、子供たちからは『迷宮の旧校舎』なんて怖がられながらも、残されているそうだ。
勿論、学校側はちゃんと施錠管理しているし、定期的に清掃や補修も行っているそうで、確かに変な噂はあるが、危険な場所ではないそうだ。
ただ、数日前に『学校新聞』のネタとして、この旧校舎を取材したいと言った新聞委員が旧校舎の鍵を借りに来て……そのまま返しに来なかったと言うのだ。
そうして、その子たちのうちの1人が……忽然と姿を消してしまったらしい。
一緒に旧校舎を調べた子供たちによると、写真を撮ったり、構内を探索した後、塾や習い事があるので急いで下校したそうだ。だけど、その途中で鍵返してない事に気付いて、部長だった男の子が返してくると、学校へ戻って行ったらしい。
そうして……その子は居なくなってしまったのだ。
確かに、これだけででは、旧校舎で消えたとは思えない。
鍵を返しに戻るその途中で、何かトラブルに巻き込まれた可能性の方が高いだろう。この学校に通う子供達は、裕福な家の子が多いし、それに、写真を見せてもらったが、大変可愛い顔立ちの男の子だった……。
だから、警察らは下校途中で失踪したという事で調べているそうなのだが、学校側としては、もしかすると旧校舎に寄った可能性もある訳で、旧校舎を調べたそうだ。
その子たちの担任や、新聞委員の顧問の先生など数名が、旧校舎に探索に入ると……奥のホールにある、大きな飾り鏡の前に、居なくなった少年、室井 利音君のキッズ携帯が落ちていたそうだ。
もちろん隅々まで探したが、利音君は旧校舎には居なかった。
……ただ、壊れもせず、電源も入ったままで、携帯が落ちていた、それだけだそうだ。
実は、利音くんのお父様も警察も、ずっとキッズ携帯の電波を探していた。だけど、見つける事は出来なかったのだ。だから、キッズ携帯は壊れたか、電源が切れていると思われたのに……。
綺麗な状態で、旧校舎にあったのだ……。
キッズ携帯が落ちていたからといって、利音君が、噂通りに迷宮化した旧校舎に閉じ込められているとは限らない。だけど、利音君のお父様は、どうしてもそれが気になって……学校側に、もっと旧校舎を調べて欲しいと掛け合ったらしい。
……利音君のお父様が、有名な政治家の室井 顕仁さんだった事も大きかったのかも知れないし、お父様もこの学校の出身で、あの噂を信じているからなのかも知れない。……あまりにも非現実的な話であるが、念のためにと、こうして悪霊の専門家である、黒上商会に依頼が来る事になったそうだ。