恵美ちゃんと引きこもりの弟
「先輩、元気出してよ……。」
多分、無理だと思うけど……そう思いつつも、僕はとりあえず慰めの言葉をかけた。
お見合いに失敗し、女性ライオン獣人のほぼ全てから、ド変態認定を受けてしまった宍戸先輩は、ここの所落ち込み気味なのだ。
まあ、……詰んじゃいましたよね……。
だからと言って、こんなシオシオの宍戸先輩を放っておける訳も無く……。
半分位は僕らのせいでもあるし……。
「いや……もう良いんだ。今世は仕事に生きる。」
「で、でもさ、全日全夜、夜中までの残業は体に悪いよ?今日は金曜日なんだよ?いつもみたいに、一緒にご飯食べようよ?」
金曜日の夜だと言うのに、机に向かい離れようとしない先輩にそう声をかけるが、先輩は頭を振るばかりだ。
あー……もう、どーしよう?
あれ?
……そう言えば恵美ちゃんは???
お昼を一緒に食べた時に、今日は金曜日だから先輩を励ましてあげようねって言ってたのに……いない???
「理人さん、宍戸先輩!!!」
そう思っていると、恵美ちゃんがニコニコと、こちらにやって来た。
「恵美ちゃん、どこに行ってたんだい?先輩は、仕事に生きるって言って、今日も深夜残業する気なんだよ?」
「すいません。ちょっと準備に手間どってしまいました!……先輩、帰りましょう?目の下のクマも酷いし、どー見てもお疲れですよ?……良かったら、我が家でお鍋でもしませんか?……モツ鍋をお取り寄せしたんです!」
先輩は、ピクリと耳を動かすと……恵美ちゃんを見つめる。
「……恵美の家?」
「そうですよ。会社からは遠いし、先輩のお家みたいな豪華なマンションじゃないですけど、嫌ですか???……たまには気分を変えて、私の家もありかなーって!郊外にあるから割と広いんですよ?」
……。
先輩のシッポが、さっきから機嫌が良くなったのか、揺れている。
……なんてゲンキンな。
「そ……そうだな。行こう……かな?」
「是非いらして下さい!……引きこもりの弟が居ますけど。」
……え?
引きこもりの弟?!
思わず僕と先輩は顔を見合わせる。
「……恵美ちゃんて……、弟と暮らしてたの?し、しかも……ひ、引きこもり???」
「ええ。そーなんですよ!……まだ18歳なんですけど、ずーっと家にいる、酷い引きこもりなんです。……就職して一人暮らしする時に、親に弟を連れてけって押し付けられちゃて、大変なんですよ。」
恵美ちゃんはカラリと答えたが……。
引きこもりって、社会問題になってるアレ……だよね???これって結構、シリアスなお話しなんじゃ無いだろうか?……年老いた親が、手に負えなくなって、兄弟に面倒を押し付けるとかって、聞いた事ある……。
「……ひ、酷い親だな……。」
宍戸先輩も心配そうに恵美ちゃんを見つめて言う。
「ですよね?……一人暮らしするのに、恵美だけじゃ心配だから、弟の悠里を連れてけって……。引きこもりのお子様なんかより、私の方がよーっぽどしっかりしてるのに、悠里に『恵美を頼んだぞ?!危ない目に遭わないように、ちゃんと見てやれ。』って……!!!」
……え???
そ……そっち???
でもまぁ……ちょっと親御さんの気持ち、分かるかも。恵美ちゃんだし……。
この子を一人暮らしさせるって……まぁ、不安ですよね、普通の親なら……。
引きこもりとは言え、弟さんは男だし防犯にはなるだろう。弟さんも、親とは話してるっぽいし、別に部屋に籠りっきりって訳ではないのかも???
「それもあってか、悠里はお子様なのに、ガミガミ煩いんです。私がお姉ちゃんなのに、いっつも偉そうだし!……確かに、悠里は子供の頃は天才少年だってもてはやされて、留学までしたんです。だけど、16歳で帰国してからは、ずーっと家に引きこもってるんですよね……。もしかしたら留学先で何かあって、外に出たく無くなってしまったのかも……。だから、優しいお姉さんの私は、悠里が威張ってても我慢してあげてるんです。……さっきも家に電話して、会社の人を連れて帰るねって言ったら、ブツブツ文句言われて、遅くなっちゃたんですよ!……でも、ちゃーんと説得したんで大丈夫です!」
……う、うーーーん???
何か引っかかる……。恵美ちゃんの天才な兄弟……ねぇ???
前世にもそんなの居たような……。
……。
でも、引きこもりって言ってるし……違うか。
◇◇◇
恵美ちゃんの家は、会社から1時間半もかかる郊外にあった。小綺麗なアパートで、弟さんと二人で暮らしている為か、ファミリータイプでメゾネットになっている。
「こっこでーす!……私のお給料で、弟と暮らせるアパートは、会社からこんなに離れないと無くって……。弟は引きこもりだし、まだ子供だから、私が養ってあげないとなんですよねぇ……。ネットでお小遣い稼ぎはしてるみたいで、食費は出してくれるんですけどねー。」
恵美ちゃんは、僕たちにそう言うと、部屋の鍵を取り出し開けようと手を伸ばした。
ガチャリ。
鍵穴に鍵を入れる前にドアは開き……中から、長身のヒト青年が現れた。キリリとした怜悧な顔立ちのイケメンさんだ。
……え???ヒト???
「恵美、おかえり。……その人たちが、会社の友達?」
「あ、悠里。ただいまー!……そうだよ。ライオン獣人なのが宍戸先輩で、猫獣人なのが理人さん!いつも話してるでしょ?」
「うん。……こんばんは。……恵美の弟の、悠里です。」
「こんばんは。一ノ瀬 理人です。いつも恵美ちゃんのお世話をしてます。……ええと、君が恵美ちゃんの弟くん???」
「は、はじめまして。宍戸 類です。恵美さんには、お世話になっています。……え、えーと、恵美???……な、何で恵美の弟の悠里くんは、ヒトなんだ???」
恵美ちゃんの弟だ。僕たちは当たり前に猫獣人だと思っていたけど……ヒト???当たり前だけど、猫獣人とヒトからは子供は生まれない。つまり……ヒトと猫獣人が兄弟って事は無いのだ。ネコ科同士のカップルで、たまーに生まれてくる子供は、母親か父親のどちらかの獣性を受け継ぐから、トラ獣人とヒョウ獣人の兄弟なんてのは、いるらしいけどね。
つまり、恵美ちゃんと弟くんは、血が繋がってないって事?
背も高いし、すごく大人っぽくって、恵美ちゃんより年上にしか見えないよね。……イケメンだし、顔も全く似ていない。
「あー……!私ね、実は拾われっ子なのよ。私のパパとママはね、ヒトなの。二人がまだ結婚したばかりの頃に、拾った子猫……それが私なんだよね?ほら、獣人は赤ちゃんのうちは獣型じゃない?だから、猫と間違えて拾われちゃったの。飼ってたら獣人だって分かって、今は二人の養子になってるんだよ。でもちゃーんと、パパとママなんだ。……で、二人から生まれた本当の子供が悠里なの!だからね、弟だけどヒトなんだー。」
へえ……。
「宍戸さん、理人さん、中へどうぞ……。恵美が散らかし放題なのに、会社の友達を連れて行くから綺麗に片付けといてって、電話で夕方に言ってきて……慌てて片付けたんで、あまり綺麗じゃないんですけど……。」
悠里君は、困った顔でそう言うと、ドアを開けて僕たちを招き入れてくれた。
……ブツブツ文句言われたって、そーゆー事か……。
「恵美は散らかし屋なのか?」
「ええ。ほんっと酷くって。……家に帰るなり、獣型になるんで、あっちにもこっちにも服を脱ぎ散らかしてるんですよ。ゴミも、ゴミ箱に投げるんです。外れて入らなくても気にしないし、本や雑誌は読みっぱなしだし。……俺、先週から打ち合わせが立て込んで、あまりリビングに来なかったら、あっという間に魔窟になってて、ムカついてたんです。そしたら、片付けとけって電話が来て……さすがにキレちゃって。」
悠里くんがそう言いながら案内してくれたリビングは、小綺麗に片付けられていた。
飾り棚には、恵美ちゃんが買い集めたのだろう、女の子らしい小物が飾られいるが、その後ろ側には、外国語の小難しい本が並んでいた。……留学してたって言うし、弟くんの本かな、あれ。
「いーじゃん!悠里は引きこもりなんだから!お掃除くらいしてくれたって。……あっ、お鍋用意するから、先輩と理人さんは座ってて下さいね!」
恵美ちゃんは、そう言うとカウンターキッチンの向こうへ行ってしまった。
僕たちは、ちょっと落ち着かない気持ちで、冬は炬燵になるぽいテーブルが置かれている、ラグが敷かれただけのリビングに座る。……悠里くんが使い込まれたクッションを渡してくれた。
「……悠理くん、君ってさ、引きこもり……じゃないよね?」
僕は悠里くんに尋ねた。
「あはは。やっぱり簡単なバレちゃいますよね。……恵美だけです。騙されてんのは。でも、そうでも言っとかないと、あいつ寄っかかってくるから……。親にもそうしろって言われてるんですよ。恵美の為にならないからって。家賃も払ってやるなって言われてて……。……これ、俺の名刺です。」
そう言って、悠里くんは僕たちに名刺を渡す。
「……え。」
「これ……。」
「……留学先の大学で、友人と起業したんです。今や巨大企業になってしまったので、売り払ってしまって、顧問をやってるんですよ。だから、ネットで会議に参加したり、打ち合わせに出たりするだけなんですけど、今回はちょっと問題が大きくって。本部が海外なんで時差があるから、いつも打ち合わせは夜なんで、昼間は大体寝てるんです……。だから、別に引きこもりって訳じゃ無いんですけど、恵美にはそう見えるみたいで。」
悠里くんのくれた名刺には、世界的に有名なSNSサイトを運営する企業の名前があった。
「……す、すごいな。」
「う、うん……。」
「あ、あの……お二人のどちらかと恵美はお付き合いしているんですか?……最近、金曜日に良く外泊するので、問い詰めようかと思っていたんです。」
僕たちが名刺を見つめ、感心していると、悠里くんが思い詰めた様に言った。
「……あ、いや。付き合っては無いんだ。……俺の家に泊まっているが、会社から近いから、便利に使われてるだけと言うか……。信じて貰えないかも知れないが、恵美には指一本触れてないんだ……。」
「僕も、恵美ちゃんとは仲良しだけど、付き合ってないよ。僕って面食いだからね?……宍戸先輩、指一本触れてないは、流石に嘘じゃない?獣型になった恵美ちゃんをしつこく撫で回したろ?」
僕らの話を聞いた悠里くんは目を見開く。
「恵美は、宍戸さんのお宅に泊まってたんですか……。そして、獣型の恵美を見たと……。」
あまりに低い声でそう言われ、僕たちはハッとなる。
悠里くん……怒ってる???
まあ、シスコンとかなら……お姉ちゃんが付き合ってない男の家に入り浸っていたら、怒る……かも???
獣型も……見た……けど……。
でも、獣型って見ちゃダメだったかい?赤ちゃんがやる事みたいなイメージだから、大人がやるのは恥ずかしいとされてるけど、見たらダメってもんじゃ無いよね……?
「えっと……悠里くん???」
「……。どうでしたか、獣型の恵美は。」
悠里くんは、厳しい顔で宍戸先輩に詰め寄った。
「……ツ、ツヤツヤしてた……な。」
宍戸先輩が、しどろもどろに答えると……悠里くんは顔を緩めた。
「!!!そうですか!!!……あれ、俺がやってるんです。あそこまでツヤツヤな三毛猫って、そう居ませんよね!凄くないですか?……ブラッシングも大切なんですが、サプリメントも重要で……!恵美には毎晩、クロレラと独自にブレンドしたマルチビタミンを飲ませてるんです。……なのに、金曜日は外泊するんで、サプリが飲ませられなくて困ってたんですよ。もし、ツヤが維持出来なくなったらどうしようって、ずーっと心配してて……。だから、泊まるときは、サプリを飲ませて欲しいんです!……あのツヤは一朝一夕で出るもんじゃないんですから!!!」
悠里くんはそう言うと、バタバタとリビングから飛び出して行き、数種類の瓶とブラシ数本を持って帰ってきた。
「これ、金曜日に泊まったら必ず飲ませて下さい!時間が有ればブラッシングもお願いします。このブラシは恵美用に作らせたもので、柄に書かれた番号の順にブラッシングして下さい。ツヤがでます。」
……。
「えっと……悠里くんは、恵美ちゃんのツヤが好きなのかい?」
「……姉として尊敬できる部分もそうありませんし、むしろ恵美にツヤ以外に何があるかお聞きしたいです。ですが、あのベルベットの様な手触りは……正直、たまらないと思うんですよ。だから、俺がしてやれる事はツヤに磨きを掛けてやる事かと……。」
宍戸先輩は、ちょっとかしこまった顔で、サプリとブラシを受け取った。
「あ……。ちなみに、俺はお二人からお名前を聞かせてもらった訳ですが……これってどういう意味か、分かります?」
悠里くんは、先程くれた名刺を指さす。
???
???
「……恵美は……血は繋がってませんが、俺の大切な姉です。お二人が恵美に何か酷い事をしたら……俺がSNSを使って制裁を加えてまうかも知れないって事……忘れないで下さいね?」
そう言って、巨大SNS企業を起こした若き天才起業家は、ニッコリと笑った。




