49話 少女の一途な恋の結末は……
「……いつから? いつから、あたしがナナシだって気付いてたの?」
あたしはうつむき、ユーヤにそう問いかけた。
もう隠す気もない。彼が辿り着いてしまったというのならば、これ以上誤魔化しても仕方がない。
「気付いたのは昨日だ。目についたこの手紙を読み返していて気付いた。けど確証は持てなかったんだ。だから、こうしてお前に確認を取った」
昨日……。最近ってレベルじゃないじゃん。
というか、やっぱりラブレター受け取った当時の時点では、正体に気づかれてなかったってことか……。
「……ははっ、なにそれ? でもそっか。最後はあたしがボロを出しちゃったってわけか」
「なあ、どうして倉田に渡すものだと知ったあと、この手紙をオレに返した? そうしなければ、少なくともお前の正体は隠し通せたはずだろ?」
「……文面まで気が回らなかっただけ……」
あのときは色んな思いがあふれていた。だから、文章内の矛盾にまで思考が向かなかったのだ。
それがまさか、ホントにこんな状況に繋がってしまうだなんてね。
あたしは息を吐き、視線を上げてユーヤの顔を見つめる。
そして、震える唇でなんとか声を出した。
「あんなことがあったのを最後に、シンは放課後来なくなったんだよ……! そのあなたが、イメチェンした今のあたしがナナシなんだと見抜いてたって、読んだ直後のあたしは勘違いして……。それに、あのときの言葉を覚えていてくれたんだって……。それだけでもあたしには充分だったのに。本気で好きだって、彼女になってほしいってことまで書いてあって……!」
自分の中の思いをぶち撒ける。今まで隠してきた心の内を全部吐き出すようにして。
言い終えたあたしの目からは、自然と涙がこぼれていた。たぶん、抑えていた感情すらも吐き出したせいなのかもしれない。
「嬉しかったの!! 頭の中がぐちゃぐちゃになっちゃうくらいに!! いっぱい泣いちゃうくらい嬉しすぎて……! あたし! わざわざ人が来ないトイレまで行って泣いてたんだからね!!」
終わらない。言いたいことはまだまだある。
ユーヤに言ってやりたい。これまでどんな思いで過ごしてきたのかを。
「……っ! なんとか、化粧で泣き顔誤魔化してさ。一日中ユーヤに聞こうとするの何度も我慢して、やっと迎えた放課後なのに。今度は渡す相手がちーちゃんだったなんて言われてさ……!」
「すまん……。オレが謝ってどうこうってわけじゃなけど……」
「だったら謝んないでよッ!!」
彼の謝罪の言葉に対し、あたしは反射的に怒鳴っていた。
けど、それはすぐにダメだと気づき、怒鳴ったことを謝る。あまりにも感情的になり過ぎてしまった。
「いや大丈夫だ。言いたいことがあるなら全部言ってくれ」
「……うん」
あたしは袖で目を軽く拭う。マスカラが落ちないよう気をつけて拭き、自分の気持ちを吐き出す。
「結局、その日は持ち去った手紙を読むことはなかった。自問自答したよ。どうして、こんなことになったんだろうって。手紙を手に持ってさ、ゴミ箱に叩きつけようとまでしたんだよ。……でもね。そんなことするくらいなら、むしろユーヤを、あたしに惚れさせてやろうじゃんかって思ったんだ」
あの日、ミャーコに叱咤激励してもらったことを思い出す。彼女のおかげで、今もユーヤと向き合えていることに感謝しつつ、あたしは自分を鼓舞した。
もう泣くのはやめだ。最後まで、きちんとあたしの言葉を彼に伝えるんだ。
あたしは顔を上げ、ユーヤの顔を見つめる。大丈夫だ。がんばれあたし。
「そっからはユーヤも知ってるよね? 手紙を返してユーヤを陥落させるために行動し始めた。だからさ、改めて中を見ることもなかったし、ユーヤがちーちゃんに送るはずの言葉を覚えておきたくなかったの。それがまさか、こんな失態に繋がるなんてなぁ」
ホント、そんな気にも留めなかったことが身バレに繋がるだなんてね。
正直、ユーヤのことを甘く見過ぎてたのかも。
「鞍馬……。なあ、お前はどうして昔のことを黙ってたんだ? それに今の姿になった理由は?」
ユーヤが口にした疑問はごもっともだ。彼が知りたいのなら隠す必要もない。
「ここまで話したんだし全部言おっかな。ナナシの頃のことを黙ってたのはね、ユーヤに下手な同情をされたくなかったから。卒業式に渡された手紙だけでも、ユーヤがあたしのことで心を痛めてるのはわかった。ナナシとして接したら、きっとまともに向き合ってもらえない。恋愛させてもらえない。そう思ったから」
「それは……っ」
ユーヤが言葉を詰まらせる。
思うところがあったのだと、それだけで簡単に察することが出来た。
「この姿はね、お姉ちゃんと話し合って決めたんだ。あたしは元々ほら、隠キャで人付き合いが苦手だった眼鏡キャラだったでしょ? 中身を変えるなら、まずは外見からって言われてね。お姉ちゃんの伝で、メイクさんやコーディネイターさんを紹介されて、ギャル風の外見にしてもらったわけ」
「な、なんでよりによってギャルなんだよ……」
「え? だって、ユーヤは犬飼みたいな陽キャなタイプが好みだと思ったから。それなら、ギャル系を演じることで自分の中身も変えつつ、ユーヤの好みにも合わせられるかなぁって」
もしかして犬飼をマネるのは、ユーヤ的にはダメだったりした? そういえば、最初の頃は警戒されていたような……。
だとしたらギャル化は逆張りだったのだろうか?
「てか、そこまでやっておいて、なんでオレに接触して来なかったんだ? 一年のときには、すでにその格好だったんだろ?」
「それは……勉強中だったから……」
元隠キャなのだから仕方ない。そう。仕方がない。
「は?」
「だーかーらー! 高校の入学前にイメチェンしたんだけど、やっぱ性格は隠キャのままでして! そんな自分変えるために、一年かけてユーヤに好かれそうなギャルっぽさの勉強してたの!」
言わせないでよ恥ずかしい!
ナナシ時代を知ってるんだから察してよ! もう!
「だけど、進級後もユーヤに話しかける勇気がないまま過ぎて、やっぱり、あたしはこのまま変われないのかな? って思ったところに、あのラブレターが」
「なるほどな。オレに接触するためのきっかけが出来たってことか」
ユーヤの顔がほのかに赤くなり、彼は照れ臭そうに頭をかく。
「お前がオレを好きになったのって、オレが風邪を引いたときか?」
「っ!」
それもバレてるか。洞察力あるなぁユーヤ。
「……そ。当たり。最初は服を被せてくれたことが素直にありがたかった。けど、それで恋愛感情が生まれたというとノーでね」
ユーヤは目を開く形で反応した。どうやら、今のは彼にとって予想に反した返事になったらしい。
「翌日、更に次の日。二日も会いに来ないから、きっとシンに嫌われたんだと胸が痛んだ。そしてやっと現れたと思ったら、風邪を引いてた? 呆れるとかムカつくとか、そんな気持ちは一切浮かんで来なかったんだよね。代わりに、心底安堵した自分がいたの」
当時を思い出して胸が暖かくなる。それを手で触れることで感じ取り、あたしは言葉を続けた。
「その瞬間に気付いたんだ。ああ、自分にはこの人がいないとダメなんだ……って。人の温もりに触れてしまった野良猫のように、もう今までの日陰には戻れないんだって悟ったの」
口にして、改めて自分の好意の強さを思い知る。
例えユーヤがあたしを好きじゃなかったとしても、今すぐ言葉にして伝えたい。
目を開け口を開き、何度目になるかもわからない告白の言葉をあたしは口にする。
「だからね! あたしやっぱりユーヤのことが――」
「ストップ!!」
「す……え?」
しかし――、「好き」と告げるはずだった声がさえぎられてしまった。
「ここからはオレの番だ」
そう言ったユーヤは、制服のポケットからまた封筒を取り出す。
「それなに?」
「今日お前に言うべき内容を書いた手紙だ。けど、お前に対する謝罪とか言い訳なんかの言葉がたくさん、手紙数枚分書いてあった。けど、さすがにそんな手紙はこの場には相応しくないだろ?」
ユーヤは持っていた二通の封筒を重ね合わせると。
「だから、これはもう不要だ!!」
次の瞬間、彼はその封筒をまとめて破り捨ててしまった。
手から落ちるそれには目もくれず、ユーヤがあたしの目の前まで歩いてくる。
「ゆ、ユーヤ?」
状況が把握出来ない。名前を困惑しながら呼ぶも、まったく気にも留めてくれずに彼はしゃがみ込む。
「え!? ちょっ、ちょっとユーヤ!?」
「鞍馬っ!!」
「は、はいっ!?」
ユーヤの大きな声のせいで、あたしは裏返った声で返事をしてしまった。
なにがなんなの? ユーヤはこれからなにをしようっていうの?
「今まですまなかった。お前の気持ちに気付かなかったこと。お前の好意を素直に受け入れることが出来なかったことも。そして、オレを好きになってくれたお前に、二回も他に好きな人がいると、傷付けてしまうことを伝えてしまった。すまん」
「ユーヤ……」
ユーヤの口から出たのは謝罪の言葉だった。
ナナシ時代のあたしが抱いた好意や、ラブレターをもらったあとのあたしの気持ちを疎かにしたこと。
そして、その間に犬飼やちーちゃんを好きになったことで、あたしを傷つけてしまったという懺悔。
でも別に彼は悪くない。昔のあたしが弱くて、傷つくのが怖かったから告げられなかったのだ。
あたしのアプローチに応えられなかったのだってそう。ちーちゃんを好きになった、一途なユーヤの想いはなにも悪くない。
ましてや、ユーヤが誰かを好きになる気持ちを、あたしがどうこう口出しする方が変じゃないか。
それでも彼は謝ってくれた。あたしが許す許さないの問題じゃなく、きっと、彼自身のケジメのために謝ったのかもしれない。
嬉しいけど申し訳ない。あたしはそんな気持ちになってしまう。
「これから先、お前を傷付けてしまうかもしれない」
……ユーヤ?
「泣かせてしまうこともあるかもしれない。こんなオレのことを嫌いになるかもしれない。それでも、それでもオレはお前の側にいたい」
ユーヤが右手を差し出してきて、音もなくスッと頭を下げる。
謝罪とは明らかに違うであろう行為に、あたしの心は戸惑ってしまう。彼がなにをするのかわからない。
「鞍馬綾音さん。あなたが好きです。オレの恋人になってください」
「……っ!?」
好き……? 恋人になってください……?
え? わからない。なんで? どうして?
この状況で彼から好意を告げられるだなんて予想すらしていなかったあたしの脳が、一瞬にして真っ白に染めあがった。
求めていたはずの言葉なのに、ほんの少し前まで思い描いていたはずのシチュエーションなのに、なぜか自分の中に言葉が見つからない。
好き? ユーヤが? あたしを?
ムダじゃなかったの? イメチェンしたのも、ユーヤにアプローチし続けたことも全部?
ああ、ダメだ。どう応えたらいいのかもわからなくなってくる。
好きだよユーヤ。好きなの。でも、こんな謝られたあとに不意打ちされたら、わけわかんなくなるじゃんか……! どうしたらいいのかわかんないよぉ……!
静かに自分の頬を涙が伝う感覚。声が出なくても、そうやってあたしの体は、自分の気持ちを表してくれていた。
なにも言えない。口を開けばきっと、抑えていたものが滝のように流れ出てしまう。
「鞍馬……?」
不意に名前が呼ばれた。なにも言わないから、彼が痺れを切らしたのかもしれない。
そんなユーヤの顔がゆっくりと上がる。あたしと目が合い、彼の口と目がわずかに開いた。
もうダメだ。気持ちも言葉も抑えきれない。
「卑怯だよこんなの……! ずっと待ち続けた言葉なんだもん……! 断れるわけないじゃんかっ!!」
あたしは我慢出来ずにユーヤへ飛びかかった。
とっさなことにも関わらず、そんなあたしのことを抱きとめてくれるユーヤ。
だけど勢いがあり過ぎたせいで、そのまま二人して倒れ込んでしまう。
「いっつ!? ……お、お前なあ!!」
「ひっく……! ぐぅっ……! ユーヤ! ユーヤが好き! 好きだよぉ! 大好きだよおっ!!」
「鞍馬……」
ユーヤの首を抱え込むようにして腕を回す。
泣いてる顔を見られたくない。きっと今、あたしはすごく汚い顔になってる。
涙だけじゃなく鼻水も出ているかもしれない。今この瞬間だけはそれを見られたくない。
そんなあたしを、ユーヤは優しく抱きしめ返してくれた。
それからゆっくりと押し返す形で体を離され、空いた手であたしの涙を拭うユーヤ。
「……っ」
彼と目が合ったことで胸が一気に高鳴った。
続けてそっと目を閉じる。すでにファーストキスはユーヤに捧げている身だけど、これが初めてかと思えるほどの動悸に襲われてしまう。
「オレも大好きだ……綾音」
彼から初めて呼ばれた下の名前。
またも不意打ちとなったその声に動揺するヒマもなくあたしは――。
「……ん」
ユーヤと唇を重ねていた。
中学生の頃のような、唐突な流れで起きたものなんかじゃなく。今度はあたしが求め、彼が応えたくれたことで重なった互いの唇。
緊張と嬉しさが入り混じったそのキスは、今まで味わったどんな幸運よりも甘美なものだった。
海外のドラマや映画のような、濃厚で貪るような大人のキスじゃない。側から見たら子供っぽいものだったのだろうけど、それでいい。ううん。それがいい。
「大好きだよユーヤ♡ 世界で一番大好き♡」
離れ、寂しさを覚えてしまう唇で――あたしは彼にそう告げるのだった。




