43話 絡みつく呪縛
「これからはあんまり飲みすぎたらダメだからね司お姉さん!」
「あーはいはい。分かったから」
「綾ちゃん! 司お姉さんがまた酔いすぎないよう、きちんと見張ってなきゃダメだよ!」
「わ、わかったし」
「うんうん。それじゃあ私はもう帰るから――あ! あと、酔い覚ましにはしじみとお豆腐を食べるのがいいんだよ! 私が帰ったらしじみのお味噌汁を飲むこと! じゃあ、ばいばーい!」
「「わかりました。気をつけてねー……」」
そんな説教くさいあいさつを最後に、ちーちゃんは我が家をあとにした。
「はあああぁぁ……! なんなのあの子!? あんなオカン属性ある子だったっけ!?」
お姉ちゃんが両膝に手を突いて項垂れていた。
「あー、えっと……」
「最後に会ったのいつだったかしら? んー? 去年の夏はあんな感じじゃなかった気がするんだけど」
確かにそうだ。中学校を卒業し、あの一件以降イジメがなくなったとはいえ、進学後もしばらくは内向的な性格だったはず。
だというのに、いつからあんなポジティブな性格になってしまっていたんだろうか? 一年生の後半くらいから? いや、良いことなんだけどね。
「はあ……とりあえず味噌汁でも飲もうかしら」
「インスタントのやつなら棚に入ってるから、台所で作っていいよ」
「はいはい。分かってるわよ。体調の悪い姉に優しくしてくれる妹はいないものかしらねー?」
「今回『も』自業自得なんじゃんか。あと、あたしも風邪引いてる身なんだからね」
あたしたち姉妹は揃って居間へと向かう。
お姉ちゃんがお湯を沸かしている間、ソファーに腰かけたあたしはユーヤにラインを送ることにした。
『今ちーちゃん帰った』
送って一分とかからずに返信がくる。
『どうだった?』
『楽しかったよ! 色々お土産持ってきてくれたし、久し振りに会えたからお姉ちゃんも喜んでてさ』
実際、三人揃って雑談しているときは楽しかった。
鞄の中に和菓子やらのお土産を入れていたちーちゃんが、その雑談中に出してくれたので、おいしくいただいていたのである。
お姉ちゃんも帰り際はあんな態度だったけど、もう一人の妹のようなあの子に気を許し、楽しく会話に加わっていたものだ。
「あ……」
ふと、お姉ちゃんを見ていて思い出す。ユーヤとお姉ちゃんの関係について。
「ねえ、お姉ちゃ――」
「うっ!? ごめん綾。ちょっとトイレ行ってくる」
「吐きそうなの?」
あたしの問いに、お姉ちゃんはコクコクと頷いて部屋から出て行った。
「まったく……。お酒が飲めるようになっても、ああはなりたくないなぁ」
そういえば、中学生のときに甘酒を口にした記憶があったはずなんだけど……どうなったんだっけ?
お姉ちゃんが「あんたはもう絶対酒呑むな!」って言ってたような記憶が、あるようなないような……?
「まあいいや。ユーヤにお姉ちゃんとの関係を聞いてみよっと」
あたしは開きっぱなしのラインを使ってユーヤに尋ねる。
『そーいえば、ユーヤはお姉ちゃんのこと知らないんだよね?』
あえてそう尋ねた。知らない体で話した方が、あちらも「いや、実はさ……」なんて風に言いやすくなるはずである。
『いや知ってる』
『え? あーし話したっけ!?』
あたしは知っている身でありながら、初耳だとはぐらかす形でラインを続ける。
聞きたいのは二人の接点についてなのだから。
『うちの姉ちゃんの友達だったらしくて、土曜日に会ったんだ。あと昨日家に入れてくれたしな』
え? お互い姉同士が知り合い? ……どんな偶然なのさ。
まあなんにせよ、その繋がりがあったからこそ、昨日のお見舞いが叶ったってことか。
『なーんだ。面白おかしく紹介しよーと思ったのに』
あたしはそれらしい反応で返事をする。
しかし、この文章を見られたら、お姉ちゃんからビンタくらいそうだなぁ。
「明日は昭和の日。ゴールデンウィークも目前の明日ですが、天気の方はどうなのでしょうか? 天海キャスター」
「はいはーい。明日のこの地方の天気ですが――」
点けっぱなしだったテレビのニュースから、そんな会話が聞こえてきた。
そうだった。明日は昭和の日。
あたしたち家族にとって、複雑な心境にならざるを得ない日だ……。
ただの祝日のひとつ。そう捉えられる人が羨ましくなってしまう。
『明日は祝日だっけ?』
自然と、あたしはユーヤに向けてメッセージを送っていた。
『ああ。昭和の日だな』
ユーヤにとってはただの休み。それはちーちゃんとしても同じだろう。
けれども、あたしと同じように複雑な思いを抱えている人は何人もいる。『彼』だってその一人だ。
『ユーヤはどっか出かけたりすんの? あーしん家は家族で食事に行く予定だし。どうだー? 羨ましいだろー?』
あたしは茶化したメッセージを送る。今の心境とは真反対の言葉だった。
確かに食事には行く。行くけど、その前に訪れておかないといけない場所がある。
「……っ」
今回で二度目とはいえ、目前に迫っていると考えると、やっぱり憂鬱な気分になってくる。
あんなに嫌っていたはずなのに……。
「ふう、すっきりし――ああ!?」
「……お姉ちゃん?」
戻ってきたらしいお姉ちゃんが、急に焦ったような声を出した。
あたしが気になってそちらに振り返ると。
「ちょっ! 沸いてるならガス止めなさいよ!」
「あ……」
どうやら、沸かしていたお湯が鍋からこぼれていたようだ。
お姉ちゃんがコンロの前に立っていたことと今の会話で、やっと気づくことが出来たあたし。……ちょっとナーバスになり過ぎてるのかもしれない。
「ごめん。ラインに夢中で」
「もう! お湯沸かしたせいで火事とか、本当に勘弁してよ。っと、これでよしっと。……で? 夢中になるほど、誰と連絡取ってるのよ? 千歳ちゃん……いや、もしかして弟くん?」
「お、弟くん?」
「そう。進藤優也くん。私、彼のことをそう呼んでるのよね。梓の弟だから」
「あー……ユーヤのことか」
「ゆうや……へー? 下の名前で呼んでる仲かー」
あ、墓穴掘ったかも……。
「ねえねえ、どんな関係? この際だからゲロっちゃいなさいよ」
「ノーコメントで」
「味噌汁分けてあげるからー」
「ノーコメントで」
しばらくの間問い詰められたのだけど、ノーコメントの返答のみでかわし続ける。
結局、この日の夜は淡々とお姉ちゃんからの追撃を耐えることになった。
「……ん」
スッと目が開き、あたしは眠りから覚める。日差しがカーテンの隙間から伸び、被っている布団へと降り注いでいた。
ぼやけた視界に映ったスマホを手に取り起動させると、ロック画面には『四月二十九日』という日付が表示されている。
「綾音ー! そろそろ起きなさーい! ご飯出来たわよー!」
「……わかったー! 着替えたら向かうー!」
下の方から聞こえたお母さんの声に返事をし、あたしはベッドから這い出るようにして床へ足をついた。
覚醒とは程遠い気分で目を擦る。欠伸をしてから立ち上がり、机に置いた眼鏡ケースの中身を装着。
「……ふう。さて……と。着替えるかな」
あたしは眠気が取れないまま着替え始めた。
睡眠時間としては充分な量が確保出来ており、今日の体調は悪いとは言えない。
それでも気分が優れないのは、きっと今日という日付のせいだろう。正直憂鬱だ。
重い身体を動かして着替え終える。メイクや髪のセットはあとでするとして、まずはリビングでご飯を食べるとしよう。
このあとの予定を決めたあたしは、部屋を出て一階へと向かった。
とはいえ、先に顔を洗うために洗面所へ。顔を合わせる前に眠気覚ましをしておかないと、会ったお母さんからなにを言われるものか。
「ふう……」
顔を洗ったことでさっぱりした。憂鬱なのが消えたわけではないけど、幾分かマシなのは確かだ。
そうしてリビングに着くと、お母さんがテーブルに料理を運んでいるところに出会した。
「おはようお母さん」
「あら? おはよう綾音。きちんと起きられたみたいね」
「うん。あたしも手伝うよ」
「ありがとう。お願いするわ」
そうして、食事を並べている最中でお姉ちゃんが起きてきた。
「ふわあああ。おはよー」
「おはよう司。眠いなら先に顔洗ってきなさい」
「うんー……」
と眠い様子のお姉ちゃんも顔を洗ってから食卓へと加わり、三人での食事が始まった。
「何時に家出ればいい?」
「そうね……。十時前には出たいところかしら」
お姉ちゃんとお母さんがそんな会話をし始める。
今の時刻は八時過ぎ。我が家で車の運転が出来るのはお姉ちゃんくらいなので、必然的にお姉ちゃん主導での話の進みとなる。
あたしは車に乗せてもらうだけの身なので、少し話から外れる形で食事を取り続けた。
ご飯も食べたことで、あたしは部屋に戻ってメイクや髪の毛をいじっている。
そして三十分ほどが経ち、準備を済ませ終えたあたしはリビングへと戻ることにした。
しかし部屋には誰もおらず、まだ二人は準備をしている真っ最中らしい。
テレビでは朝のワイドショーが流れていた。誰彼の俳優が不倫をしていたとか、スポーツ選手の薬物使用の話とか。
くだらないと思えてくる話題だけど、それは身内や知人じゃないから思えることだ。
場合によってはあたしたち家族にも言えること。
「続きまして……今日で、首都高で起きたバスジャック事件から丸二年が経ちました」
「っ……」
身体がピクッと反応した。言葉を発しているアナウンサーの顔を、息を殺してジッと見つめる。
「罪もない子供達が巻き込まれ、多くの命が失われた痛ましい事件。突如、バスジャック犯によって引き起こされてしまった事故。そのかつての事故現場に、リポーターの鈴木さんがいます。中継を繋ぎましょう。鈴木さん」
画面が切り替わり、高架下に立つ男性のリポーターが返事をする。
鈴木と呼ばれた男性は、背後にある首都高の柱に花を添える人たちを見ながら当時の事件について話す。
「バスジャック犯である木元忠雄は、元交際相手の女性をバスの運転手の鞍馬真人さんに奪われたと恨んでいたということで、鞍馬さんが運転するバスを狙い犯行に及んだ。と警察が捜査の結果発表しています。そして、鞍馬さんは解剖の結果、複数箇所をナイフで刺されたことが死因となっており、またバスガイドをしていた犬飼岬さん。南雲中学校教員、黒月逸人さん。一人の生徒を除き、黒月さんが担任をしていた三年二組の生徒達が、バスの転落後の爆発によって亡くなりました」
リポーターが淡々と話す声が脳へと響いてくる。
この事件のせいで茅野くんはケガを負い、彼のクラスメイトたちは死んでしまった。ユーヤから聞かされていなければ、唯一の生き残りが茅野くんだと、きっと知らずに今も過ごしていたのだろう。
そもそも事件当時は、我が家も色々と大変だったこともあり、あたしは生き残った生徒の詮索まではしていなかった。結果、ユーヤが話してくれるまで知らないままだったのだ。
「二年経つ今日も、多くの人々が花を手向けに来ており、この事件の痛ましさが、リポーターである私にもひしひしと伝わってきます」
「鈴木さん。木元容疑者は、鞍馬さんが当時交際していた女性の元交際相手だったということですが、事件後、鞍馬さんも離婚経験があったとの報道がありました。その辺りはどうなのでしょうか?」
バスジャック事件せいで、茅野くんの人生は大きく狂ってしまった。あの犬飼の人生さえも。
そして……そしてバスジャック事件が起きた日付だということは、つまり――。
「はい。運転手の鞍馬さんなのですが――」
そこまでリポーターが言いかけたところで、テレビは音もなく真っ暗な画面へと切り替わった。
「ほら。そろそろお墓に行くんだから、支度を済ませたのなら車にでも乗ってなさい」
「お姉ちゃん……」
声に釣られて振り向くと、そこにはリモコンを手に持つお姉ちゃんが顔をしかめて立っていた。
「分かった?」
「……わかった」
返事を聞き、お姉ちゃんはテーブルにリモコンを置いてから部屋を出ていく。
あたしは立ち上がり、もう一度だけ黒い画面になったテレビを見つめた。そこに映る自分の顔の情けなさに嫌気が差し、あたしもリビングの扉に向かって歩き出す。
「どうしてこんなのことになったのかな? ……ねえお父さん?」
憂鬱な気分のまま、あたしはそう呟いていた。
ホントに憂鬱だ。バスジャック事件が起きた日付だということは、それはつまり――あたしたちの父親の命日でもあるということに他ならないのだから……。