40話 きっと熱のせいだ
「ほ、本気なのユーヤ……?」
「だから今回のみ特別で、だ。ペットボトルを持って飲むのも辛いんだろ? スプーンを使って食うのはもっと難易度高いし、こぼして布団を汚すわけにもいかないだろ?」
「うぅ〜……ユーヤそーゆーとこヒキョーだし……」
正論いくない。素直に反論が出来ないし、そうやってきちんと相手のこと考えてくれている優しさも卑怯だ。
……もう! なおのこと好きになってくるじゃんかあ!
「卑怯も妥協もないっての。食べたいのか? 食べたくないのか?」
見つめてくる顔から隠れるように、あたしは目の辺りまで布団を引っ張り上げる。
きっと身体中が熱いのは風邪のせいだけじゃないと思う。
でもどうしよう……。と照れの波が押し寄せてくるも、結局は好きな人に甘えたいという気持ちが上回ってしまった。
「けほっ……た、食べたい……」
「ん。素直でよろしい」
ユーヤがお椀を持ったまま枕元に座り、スプーンで中身をかき混ぜ始めた。
あたしは食べられるように布団を下げる。その意図を察したユーヤがスプーンを持ち上げたところで。
「あ、待って……!」
あたしは待ったをかけた。
「どうした?」
「あの、ね……。そのぉ、あーし猫舌で……」
「へ?」
急な話に、スプーンを元の位置に戻したあとに固まるユーヤ。
しばらくその状態が続くも、ユーヤはなぜか表情を柔らかくしてから口を開いた。
「だったらオレが、ふーふーって吹いて冷ましてやるよ。どうする?」
え? と呆気に取られていると、ユーヤは自分の発言の重大さに気づいたかのように顔を赤くした。加えて顔をさらしてしまう。
きっと……ううん。今更ながらに照れているんだ。
彼が自然に思って口から出た言葉だとすれば、これほど嬉しいものはない。
自分もその行為には恥ずかしさがあるけれど、この機を逃すのはダメな気がする。
「こほこほ……! うぅ〜……わかった。お、お願いユーヤ……ふーふーして、ほしい」
最初に咳で声が上擦るのを牽制しつつ、あたしは冷ましてもらいたい旨をユーヤに伝えた。
それに対してユーヤは面食らったように瞳孔を開いている。思いもよらない発言で彼が動揺していることをすぐさま察せてしまった。
けど、それでもユーヤは。
「わ、分かった。男に二言はない」
決意を秘めた顔で、その無茶なお願いを聞き入れてくれたのだ。
ユーヤは持ち上げたスプーンに「ふーふー……」と親が子供にするように息を吹きかける。
それからお椀の中身をこぼさないように動かし、あたしの顔の前まで持ってきた。
「あ、あーん……!」
近くまで来たことでスプーンに目のピントが合う。それでも、奥にあるユーヤの顔が真っ赤なのが見て取れてしまった。
「あ、あーん……」
気づけば、熱に浮かされた気持ちになりながらも、あたしは同じ言葉を発していた。
恥ずかしいという感情も正直よくわからない。ただただ全身が熱い。
開いたあたしの口へスプーンは差し入れられ、飲み込むために口を閉じる。それからゆっくりとスプーンが引き抜かれた。
中に入ってきたものを噛みしめながら、なんとか飲み下す。
「っ! ど、どうだっ? 熱くないかっ?」
ユーヤは落ち着かない様子で気遣ってくれた。
でも……。
「わ、わかんない……」
「あ……く、口の中も風邪のせいで熱くなってるから分かりにくいかっ?」
「……っ」
違うのユーヤ。どんな味だとか物が熱いとか、そういうことじゃなくて。
「じゃあ味は? うまかったか?」
必死な表情で聞いてくる顔が、真剣なその眼差しが好き過ぎて怖くなり、あたしは両腕をクロスさせて顔を隠して――。
「わかんないのぉ……! ユーヤが食べさせてくれたのが嬉しくって……! 頭の中がぐちゃぐちゃになって……! 熱いのも味も全然わかんないよぉ……!」
そんなことを言い放っていた。
わざわざ身体に良いものを買ってきてくれたその優しさが好き。
あたしのことを気遣って行動してくれる何気ない優しさが好き。
正体を明かさず、好意を伝えるだけのあたしのことを、それでも拒絶しないでいてくれるユーヤ。
そんなあなたのことを、あたしは―― 好きで好きで堪らない!
あなたに食べさせてもらうのが幸せ過ぎてしょうがないの!
「くっ……! そ、そうか……! まだ、たくさんあるが……く、食うか……っ?」
「食べたい……ユーヤに食べさせてもらいたい……」
この時間がもっと続いてほしい。終わりなんて訪れないでほしい。
風邪を引いて学校を休んだことに思うところはあるし、早く治して楽になりたい気持ちもある。
それでも彼の優しさを独占出来るのなら、一生床に伏せてもいいと、そんな危うい考えまで浮かんでしまう自分がいた。
犬飼なんかを好きになるなんて許せない。
ちーちゃんに一目惚れしたなんて一時の迷いに決まっている。
他の女なんかにも色目を使ってほしくないの。
これらの思考が病気の今だから思うことなのか、それとも自分の中に巣食い続ける感情の一部なのか。熱に浮かされているあたしにはもうわからなかった。
もしかしたら……もしかしたらあたしは、犬飼以上に卑しい女なのかもしれない……。
「ほら。あ、あーん……」
「ん……」
ユーヤの言葉に合わせて口を開く。
舌先に金属製のスプーンの感触が伝わり、合わせて口を閉じる。
相変わらず熱さも味もよくわからないけど、そんなことよりも、引き抜かれたスプーンに目がいく。
あたしの口と繋がるように出た透明な糸が、スーッと伸び、垂れ下がりながらもプツッと切れた。
卑猥だ。艶かしく見えるその光景に胸の鼓動が高鳴りを覚えてしまう。
「はあ、はあ……!」
「大丈夫か鞍馬? 食うのつらいならやめるか? それとも一旦飲み物でも飲むか?」
まただ。彼の気遣いがあたしをダメにする。優しさに甘え、純粋なその優しさに漬け込んでしまう。
「うぅん。ダイジョブだよ。……はあ……ユーヤもさあ……」
「ん?」
「おなか空いた? ……えへへ、一緒に食べる?」
「なっ!?」
彼が動揺するのがわかってての言葉だ。好きな人の困った顔を見たいと、小学生並みの酷いアプローチの仕方に思わず笑みが浮かぶ。
それでもこうやって効果的に通用するのだからやめられない。
「でもぉ、それだとあーしとぉ、間接キスになっちゃう――げほっげほっ!」
「だああ! ったくもう! 今のお前は病人なんだから無理すんなって!」
のどが焼けそうになり咳き込むあたし。
そんなあたしの背中を、お椀を床に置いたユーヤがさすってくれた。
自分から仕掛けておいて、彼に迷惑をかけてしまうなんて……。
非常に申し訳なくなり、どうにもユーヤの顔が見られなくなる。
「大丈夫か? スポーツドリンク飲ませてやるから、そのままでいろよ?」
「けほ……あ、ありがとユーヤ。あとごめん」
「そう思うのなら今から挑発行為は禁止な。少なくとも風邪引いてる間は許可しないぞ」
「うん……了解しました……」
ユーヤの発言はごもっともなので、素直に頷くことで了承した。すでに卑猥な気持ちも薄れてしまっている。
「よし。飲ませるぞ?」
「お願いします」
再びユーヤに飲ませてもらう形で水分補給をする。
そうしてやっと、咳き込んで焼けていたのどに潤いが戻ってきた。
「……ふう。ありがとうねユーヤ」
「どういたしまして。で、どうする? これ以上食べるのはやめておくか?」
「うーん……食べる。食べなきゃ元気になれないし」
「だな。けど、さっきも言ったが――」
「わかってる。もうバカなことしない」
あたしの返事にユーヤは納得した顔をする。
「よっと。まだまだあるからな。あ、その……食えそうになかったら、そのときはその……もったいないからオレが食うしさ……」
お椀を持ち直したユーヤが顔を赤くしながら言う。それをポカンとしながら聞いていたあたしだけど。
「間接キスするぅ?」
と首を横へと傾けながら、ついつい聞き返してしまい。
「秒で約束破んなよ……」
ユーヤから呆れた視線をもらうことになった。
それからまた「あーん」の応酬が続き、結局あたしは、すぐさま元のドキドキした状態に戻ってしまったわけで。
食べ終わる頃には身体が熱くなり、ユーヤとお揃いのゆでダコのように赤くなっていた。
「あ、あとはデザートだな……」
呟きながらユーヤは袋をあさり、中からゼリータイプの飲み物を取り出す。
「っと、まだ腹に入りそうか? 無理ならあとにしてもいいが……」
「飲みたい」
「そっか。んじゃ、開けるぞ」
言いながらゼリーの蓋が開けられた。
スポーツドリンク同様ユーヤに飲ませてもらい、一分ほどかけて全て飲み終える。
甘くリンゴの風味があるゼリーだった。
「ユーヤ……」
「どうした?」
空になったゼリーのゴミを袋に入れながらユーヤが聞き返す。
「あーしね、リンゴ味の食べ物好きなんだ……」
「ん? リンゴ? ……ああ。今のゼリーの味のことか?」
「うん」
いつからかは覚えていないけど、なぜか好きな味。なんとなく、それをあたしはユーヤに話したくなったのだ。
「たまたま選んだやつだったんだけど、お前の口に合ったみたいでよかった」
続けて、あたしの身体をベッドに寝かせてくれる。
布団をかけ直し、こっちを見つめるユーヤの目は優しげなものだった。
「ラブレターの件でさ。体育館で会ったとき……はあはあ……アメなめてたのっ、覚えてる?」
「え!? ……あ、ああ」
ラブレターの話が出たせいか、ユーヤは少し動揺した素振りを見せる。
「あのときのは違ったんだけど、あーしはリンゴのアメが特に好きでさ」
「……なるほどな。じゃあ、今度風邪引いたときはリンゴの喉飴でも買ってきてやるよ」
「あ……えへへ。ありがとユーヤ。大好き」
「っ!? お、お前なあ!」
ユーヤとする何気ないやり取りが好き。
こうしている時間がホントに……うぅ? お腹も膨れたせいなのか、段々と眠たくなってきた?
「ったく、よいしょっと! とりあえず、食べ終わった鍋を片付けてくる。キッチンの流しにでも置いておけばいいか?」
「……ぅん。洗わなくてもいいからね。お母さんが洗うから……」
「ん。分かった」
鍋を持ったユーヤが、「いってくる」と口にして部屋から出て行った。途端、一人になったことで寂しさに襲われてしまう。
けれども、刻まれる秒針の音や眠気も手伝って、あたしの意識はゆっくりと閉じていった――。