39話 夢は終わりて想い人は現れる
「う、うぅ……?」
あたしは気怠さを感じながら目を開いた。
ボヤける視界に映るのは見知った天井。眼鏡がないことも合わさって、それ以外の輪郭をまともに捉えることが出来なかった。
「……はぁ……懐かしい夢を見たなぁ……」
浅く息を繰り返し、あたしは物思いにふける。
一年経った今もまだ、犬飼は少年院で過ごしているのだろう。おそらく、そのことをユーヤは知らないはずだ。
結局あの日、ユーヤは手紙を渡したあとに学校をあとにしていたみたいで、どこにも見当たらなかった。
とはいえ、夢を見る今まで忘れていたことだけど。
「そういえば手紙……」
ユーヤに渡すはずだったあれは、犬飼のナイフによって尊い犠牲となっていた。
切り傷に加えて刺し傷までついていて、まともに渡せる代物ではなくなっていたのだ。
……あとは片霧か。彼女とは卒業後に顔を合わせてはいないものの、ラインで連絡を取り合う関係は続いている。だけど、片霧が高校進学をしたのを機に連絡は途絶えていた。
一応、合格の知らせを聞いて祝いの言葉を伝えて喜ばれたのだけど、四月に入ってからのやり取りは皆無だ。
「うっ……はあはあ……! ちょっと……頭を使い過ぎ、たかな……?」
熱がある状態で考え事をし過ぎたらしく、軽い目眩に襲われた。
けれども一瞬のことで、あとは怠さと息苦しさが残るだけだ。
「けほっ! こほっ!」
加えて咳も出てくる始末。まあ、薬を飲んで寝ていたとはいえ、そう易々と治るものでもないか。
あたしは枕元に置いたスマホを手に取って時間を確認する。見ると、寝ている間に夕方の三時半を回るまで時間が経っていた。
もうみんな授業を終えて、各々の時間を過ごしている頃合いか。
「けほっ……これでも無遅刻……無欠席だった、っのになぁ……!」
熱のせいで息が上がる。正直なところ、こうやってしゃべるのも億劫だ。
もう一度寝直そうとスマホを置き、再び目を閉じて――電子音が鳴った。
それがスマホの着信音だと気づいて画面を見直してみると、ミャーコからのラインが来ていた。
『どうや調子は? 風邪って聞いたんやけど、ちゃんと療養出来とるか?』
なんてあたしの体調を気遣う内容だ。
あたしはラインを起動し、ピントを合わせるために目を挟めつつ文字を打ち込む。
『咳と熱がつらい。薬を飲んだから朝に比べればマシだと思う』
『せやか。無理はしんようにな。もし、通知で起こしてしもうたんやったらごめんな』
『ううん。起きたところにライン来たからダイジョブだよ』
返信を送って目を閉じる。実際に声を出して話さないだけマシだけど、さすがに目がしんどい。
眼鏡は机の上だし、取りに行くのはめんどくさいかなぁ。
「はあ……はあ……」
聞こえてくるのは自分の息と時計の秒針の音だけ。
一階にはお姉ちゃんがいるんだろうけど、今はなにをやってるのかな?
そんななんでもないことを考えていると、またラインの通知が来た。
ミャーコだ。しかし、その内容を理解するのに、あたしの頭は多大な労力を強いられることになった。
『とりまっ、これからシンドーが見舞いに行くゆーとるから、会ってもあんま興奮しんようになー! それで悪化したらシンドーが落ち込むさかい!』
こんな内容である。
お見舞い……? これからって、放課後であるこの時間にユーヤが?
そうか。今日があたしの命日ってことか。
『経緯よろ』
あたしは急いでその四文字を打ち込んだ。
『大したことあらへんて。あんたが風邪引いたから見舞いに行くだけやがな』
『えっと、それってミャーコたちも来るってこと?』
『ちゃうで』
否定の言葉にあたしは思わず「え?」と声を出していた。
『最初はそうやったんねん。けどな。かやのんは部活があるし、ちとやんは委員会の仕事が急に入ったんやと。ウチはヒマやったんやけど、せやったらシンドーを一人で向かわせた方がええやん、っておもてな』
この子はなんて恐ろしいことを……。
風邪で弱ってるところに大好きな異性がお見舞いに来るとか、恋愛物のイベントでは常識だけど、実際に起きると死ねることが今わかった。
やっぱり今日があたしにとっての命日らしい。
『そういうわけやから、せいぜいがんばりーや! まあシンドーのことや。プリントだけ玄関で渡して帰るかもしれへんけどな』
あたしは既読だけつけてラインを閉じた。
「…………え? マジ?」
これからユーヤが来る? いやでも、ミャーコが言っていた通り家には上がらないかもしれないし……。
あーもう! 昨日のデートのこともあるし、こんな状態で会うなんてマジ無理なんだけど!
「げほっ! げほっ!」
あー……ダメだ。熱で朦朧としてきた。
これはちょっと良くないかも……。
あたしは無理をしないよう、目を閉じてゆっくりと呼吸を整える。
それからしばらく目をつぶっているとドアがノックされた。
「……うぅ?」
「綾、入るわよ?」
目を開けたものの、返事も聞かれないままドアが開けられる。
「よっと! ふう。卵雑炊作ったから、今から食べなさい。少しでも食べて元気つけないと」
見ると、入ってきたお姉ちゃんが鍋らしきものが乗ったおぼんを持っているではないか。
「雑炊……?」
「そっ。これくらいなら食べれると思って作ってみたわ」
「お姉ちゃんが?」
なんとも珍しい。雪でも降るのではないかと勘繰りたくなりそうになった。
お姉ちゃんはそれを部屋の中央にあるテーブルに置き、あたしの方に近づいてくる。
「なーに? 私が作ったのじゃ不満なわけ?」
「ち、違……」
「冗談よ。熱はどう?」
そう言ってお姉ちゃんがあたしの額に手を置いた。
人に触れられる感覚に安心感が芽生え、呼吸が浅くなっていく。
「うーん……まだ高めね。今日の夜がどうなるかってところかしら?」
「……ごめんね。迷惑かけちゃって」
「ばーか。引いたものは仕方ないでしょ? 今は気負わずに治すことを考えなさい」
お姉ちゃんが苦笑いをしてからテーブルに向かう。
「っと? このタイミングで誰よ?」
しかし着信用の歌が急に流れ出し、お姉ちゃんがスマホを取り出す。
画面を見るお姉ちゃんの顔が険しいものに変わった気がした。
「ごめん。ちょっと電話に出るわ」
そう言って部屋を出て行くお姉ちゃん。
残った雑炊の匂いが部屋の中に充満し支配する。食欲はまだ沸かないけど、鼻腔を刺激されたことで意識がハッキリとしてきた。
ふと、廊下の方からはお姉ちゃんの話し声が聞こえてきたものの、話の内容まではわからず仕舞いだ。
手持ちぶさたなこともあり、起きて自分の力で食べようかとも思ったのだけど、どうにも起き上がれそうになかった。
「はあ……」
ここまで弱々しくなるのはいつ以来かと、ついつい考えてしまう。
そんなところでドアが開いた。スマホを手にするお姉ちゃんが悩ましげな様子で頭をかく。
「……どうかしたの?」
「いやね。なんか急病の子が出たとかで、私がモデルの代わりをすることになっちゃってさあ」
「仕事?」
「そうなのよ。代役が断れそうになくて。ごめん綾。あと一時間もしたらお母さん帰ってくると思うから、それまで一人でも平気?」
「うん」
「鍵はかけておくからね? 誰か来ても無理して出なくていいから。雑炊はお母さんにでも食べさせてもらいなさい」
「わかった」
返事をすると、お姉ちゃんは一度あたしの頭をなでてから部屋を出て行った。
誰か来るとしたらユーヤかな?
今からお姉ちゃんが出かけるのだとしたら、ユーヤが部屋まで上がって来ることはなさそうだ。
十中八九、留守なのを確認してポストにプリントとかの預かり物を入れて帰るはず。
あたしはそのことに安堵と物悲しさを感じていた。
会えないのは素直に寂しい。けど、会ってどうユーヤに接すればいいのかも思いつかない。
これがジレンマなのかと変に悟ったあたしは、もう一度目を閉じて寝ることにした。
眠りにつこうとしてどれくらい経っただろうか?
不意にドアがノックされる音がしたことで、あたしはスッと目を開けた。
「お姉ちゃん?」
なにか伝えることや忘れ物でもあったのかと思い、あたしはドアに向けて問いかける。
「えっと、オレだ。進藤優也だ」
「……へ? ゆ、ユーヤ!? なんでユー……げほっげほっ!」
あたしは驚いたのもあって咳き込んでしまう。
どうしてユーヤがいるのかわからない。もしかしてお姉ちゃんが家に上げたとか?
でも面識のない人をお姉ちゃんが家に入れる? 実は卒業式のときに会っていて……いや、さすがにそんな話は聞かされなかったし。
答えを模索している途中にも関わらず、部屋のドアは開かれた。
「大丈夫か鞍馬?」
開いたドアから、ユーヤが覗き込むようにして顔を覗かせる。
「けほ! ホントにユーヤいるし……けほ……うぅ」
ぼやけていてもすぐにわかった。姿を確認して改めて、ユーヤが我が家にいるという実感が湧いてくる。
ミャーコからの情報があったのにこの様だ。
もし仮に来ることを知らずにいたら、きっとこの場で気絶していたかもしれない。
「とりあえず入るぞ? あとキツいようだったら無理にしゃべらなくていいからな」
ユーヤが緊張しているような動きで部屋に入ってくる。動作を見る限り部屋の中を見られながら。
元気だったら「デリカシーがないし」と言ってやりたいところだ。
そんなユーヤは「どうだ体調は?」と聞きながら、お姉ちゃんがベッドの脇に置いていた勉強机のイスに腰かけた。
「……う、うん。熱がまだあって、咳が出る……。鼻水はダイジョブ……」
「そうか。食欲はある……ようには見えないな。この鍋開けてもいいか?」
あたしが頷いて答えると、ユーヤは雑炊が入った鍋のフタを開けた。
中身を確認したユーヤが。
「雑炊だが食べれそうか? とりあえずスポーツドリンクとエネルギー系のゼリー買ってきたんだが」
と尋ねてきた。
スポーツドリンクは欲しい。のどが渇いているし、糖分や塩分も起きてから補充していなかったから。
ゼリーも嫌いな味じゃないならダイジョブだ。
「熱い?」
けど、あたしは根っからの猫舌である。
雑炊の方が熱いとなると、そちらを食べるのはかなりつらい。
「ん? ……鍋自体は熱くないぞ。どうする?」
「ぅーん……飲み物……」
「分かった。起きれそうか?」
「起こしてぇ……」
被っていた布団から両腕を出してユーヤに向けて上げる。
ユーヤは少し考えるように間を空けるも、イスから立ち上がって腕を引き、あたしのことを起こしてくれた。
「ありがと、ユーヤ……けほ」
「どういたしまして。スポーツドリンクだが問題ないか?」
「うん」
あたしの返事を聞いたあと、ユーヤがペットボトルのキャップを開けてくれた。
「一人で飲めそうか? 無理なら飲ませてやるぞ」
「えへへ、飲ませるって口移しでー?」
ユーヤの優しさに甘えたくなり、冗談めかして言ってみる。
「バカ言うな。ボケてる余裕があるなら大丈夫そうだな。一人で飲め」
けれども返って来たのは辛辣な言葉だった。
ボケてるわけじゃないんだけどなぁ……。
「……ごめん。正直言って、今もしんどい……」
「お前なぁ……。こういうときくらい、素直に病人に徹してろよ……」
ユーヤは呆れ顔をするも、背中に手を回して支えると、ペットボトルをあたしの口元まで持ってきてくれた。
それが少しだけ傾けられ、渇いていたのどに流れ込んでくる。
「……んく。ありがと。おいしかった」
半分ほど飲んだところで呼吸が苦しくなったので、あたしは手で制止させる。
その行為を理解してくれたユーヤがペットボトルのキャップを閉めて枕元に置く。
「また飲みたくなったら言えよ。ゼリーもあるから」
「うーん……ゼリーはデザートで。けほ……先にお雑炊食べたい」
「ん? 食べられそうなのか?」
「うん。水分取ったら、少しお腹空いた」
体内に水分が広がったことで身体全体が冷めたのだろう。
そのおかげか食欲が湧いてきた。
「分かった。……一人では無理だよな。一回横にさせるぞ?」
「ユーヤ……?」
どうして寝かせたの?
飲み物のときみたいに支えてもらえれば、ゆっくりとだけど食べられそうなのに。
どうするのか気になり、ユーヤのことを見つめる。
すると、ユーヤは鍋に入った雑炊をお碗に入れ始めた。
そうか。よそってる間もあたしを起こしておくのが忍びないから、一旦寝かせてくれたようだ。
なんて思っていたのだけど、ユーヤは熱があるような赤い顔でこっちに向き直った。
「今回だけだからな。食わせてやるの」
…………へ? 食わせてやる?
「え? ユーヤそれって……」
「だから、オレが雑炊を食わせてやるって言ってるんだ。どうだ? 昨日お前がしてた『あーん』ってやつだぞ?」
なんてことだ。再三になるけど言おう。
どうあっても、今日があたしの命日になる運命だということらしい。