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36話 反撃の狼煙が上がる時

「……っ」


 しばらく泣き続け、それまで漠然としていた意識がゆっくりと戻り始める。

 あたしは階段の手すりを支えにし、ふらつきながらも立ち上がった。シンを追いかけたいという気持ちから一歩足を踏み出し、けれども歩みは止まる。


「今更、追って……どうするの……?」


 もう追いつくことなど叶わない。そんなわかっていることが、この上なく、億劫とした形でのしかかっていた。


 シンに好意を伝えるという一点すら、まともにさせてもらえない。

 歯痒く、それでいてどうしようもないほどの情けなさが、あたしの心を容赦なく蝕んでくる。


「あたしは……」


 ――シンと結ばれることの出来ない運命なのだろうか?


 そんな自虐的な言葉を吐き出しそうになる。

 ダメだ。それだけは言ってはいけない。言ったら後戻りが出来ないほど心が壊れてしまう。


「なんで、こんなことに……?」


 あたしは悔しさから奥歯を噛みしめた。


 シンが犬飼を好きになり、けれども振られたというのに、あたしからの告白は口にすることすら叶わず。

 ちーちゃんのイジメ問題はなに一つ解決していないし、片霧だって昨日のようなことが今後も続いていくのだろう。


「どう、して……」


 どうして? いや、それもこれも原因は全て犬飼なんじゃないの!?

 あたしの恋が空回りしているのも、イジメ問題がいくつも起きているのも全部!!

 ……ふざけるな!! あの女が、あの女さえ絡んでこなければ!!


 途端、憤りが心の底から湧き上がってきた。

 犬飼さえいなければ……! と思わずにはいられない。いや、思うことでしか自分の現状を受け入れられなかった。


「そもそもなんで片霧は来ないの……!?」


 あの子がもっと早く来ていれば、こんな展開にならなかったのではないか? なんて責任転嫁まで思い浮かんできた。

 言ってから罪悪感に襲われているのだから、実に言葉通りの心境なのだろう。そう認めざるを得ない。


「なんで……」


 あたしは手すりを持ったまま、またその場に座り込む。

 なにも進展していない。むしろ、自分の行動のせいで後退しているようにすら感じてしまい――。


「はあはあ……! お、遅くなりました……!」

「あ……」


 視線を上げると片霧が踊り場に立っていた。

 いつの間に現れたのか? ううん。きっと自分の内面ばかりに意識が向いて、足音にすら気づけなかったのかもしれない。


「片霧……」

「すみません。遅れてしまい……」

「どうして……」


 遅れたのか、と問いかけそうになる。

 けれども、そんなことを責めたところでなにも変わりはしない。


「どうして……? 遅れた理由ですか?」


 しかし片霧は容易に悟って話し出す。


「……あの、こちらに向かう途中で、いつもの方々に捕まってしまいまして……。なんとか逃げられたんですけど、あの人たちはすごく怒っていました。明日は今日以上にキツくなりそうかもしれません……」


 よく見ると、彼女は右肩を押さえていた。昨日見た包帯が巻かれていた方とは逆の腕だ。


「肩、どうかしたの?」

「これですか?」


 片霧があたしの言葉に反応して、持っていた鞄を床に下ろす。

 セーラー服を脱ぎ、彼女はブラウスのボタンを数個外した。ブラジャーが見えるのもいとわずに肩を出すと。


「ちょっと、なにして……っ! え……?」


 黒ずみとなったアザが、押さえられていた場所にはあった。打撲痕と思わしき黒ずんだアザだ。

 片霧はそのまま無言でブラウスから片腕を抜き、背を向ける。その背中には……赤く腫れ上がったミミズ腫れがいくつも出来ていた。


「ここに来る約束を果たそうと思い、彼女たちを見かけた瞬間に逃げ出したのですが、最初の逃走は失敗して捕まり……それは言いましたっけ? えと、それで体育倉庫の側で捕まったことで、上着を脱がされたあとに、倉庫内にあった砲丸を肩に落とされ……。背中の方は縄跳びで何度も打たれたことで――」

「もういい! もういいから!」


 あたしはそれ以上聞きたくなくて、片霧の言葉をさえぎった。


「酷い……! あまりにも酷すぎる……! こんなことするなんて頭がおかしいんじゃないの!?」

「そうですね……。犬飼先輩ならこうはしません。証拠を残さない形で、相手に精神的な苦痛を与えるのが主なやり方なので……。いくら服で見えない箇所とは言え、彼女たちはあまりにも短絡的です」

「そうじゃないでしょ!! イジメが上手いとか下手とかじゃなく、人として間違ってる!!」

「……はい。おっしゃる通りです。だからこそ、ぼくはあなたに協力を仰ぎました」


 ちーちゃんだって、ここまでの傷は負わされてないはずなのに……!


「ん? お友達のご心配ですか……? 確か、倉田先輩という名前……。大丈夫です。あの人は犬飼先輩のお気に入りの一人なので、取り巻きの方々でも軽々しく手は出せないはずですから……」


 あたしの表情から悟ったらしき片霧はそう言い。


「ですが、先日負っていた倉田先輩の足のケガは、犬飼先輩によるもので間違いないと思います。躾とかでたまにされていたので……。それを取り巻きの方たちもマネしてぼくに……」


 と制服を着直しながら話し続けた。

 片霧のイジメも、元を正せば犬飼が原因と捉えて違いない。結局、根本にはあの女がいる。


「くっ……!」


 あたしは自分に苛立っていた。

 シンが犬飼に惚れていなければ、ちーちゃんや片霧への、もしかしたら別の生徒たちも含めたイジメにすら、あたしは把握すらしていなかったはずだ。


 そう考えると、自分自身のことが許せなくて仕方なかった。

 自分の家庭環境に悲観する日々だけを憂いて、いかに周りを見ていなかったのかを思い知らされたのだから。


 仮にシンへの恋心がなかったとしても、これ以上この件を、犬飼の蛮行を見て見ぬ振りは出来ない。

 初恋云々以上に、ここまで事の真相を知ったからには見過ごせなかった。


「ねえ片霧」

「……はい?」


 だからこそ、決心出来たのかもしれない。

 あたしの初恋をダメにして、幼馴染の心や身体まで傷つけられたことを。

 他人に関わらない事なかれ主義を貫いていた自分。女王気質でイジメを繰り返す犬飼のやり方。そのどちらも許せない。だから――!


「どうすればいい? 犬飼を懲らしめるためなら喜んで手を貸すから」

「綾音先輩……」


 あたしは片霧と共に、犬飼一派に立ち向かう道を選んだ。




 犬飼たちと敵対することを選んで一週間――。

 敵対するからと言って、別段、犬飼に対して表立って争うこともなく、表面上は今までと変わらず過ごしている。


 シンが放課後に訪れることはなくなり、その時間は片霧と情報交換をする時間へと変わった。

 廊下で出会してもシンは気まずそうな顔をする。話しかけようしてみたけど、彼は足早に通り過ぎてしまうばかりだ。


 誤解を解きたいだけ。だから、諦めずに何度か機会を伺ったのだけれど、それでもシンは取り合ってはくれなかった。

 シンがあんな行動を取ることには理由があるのだと思う。しかし、その理由すらも未だに聞けずじまいでいた。


「……あの、綾音先輩?」

「あ……ご、ごめん」


 片霧の呼ぶ声で我に返り、軽く頭を振った。

 今は放課後で、あたしたちはいつもの屋上で隣り合う形で座っている。


「とりあえず、あなたに対するイジメが解決したようでよかった。肩はだいじょうぶ?」

「はい。骨に異常はありませんでした。それもこれも先輩のおかげです。ありがとうございます」


 片霧が深々と頭を下げてお礼を言ってきた。あたしは「ならよかった。でも礼はいらない」と告げて頭を上げさせる。


 そう。片霧へのイジメは一応の解決を迎えた。

 方法は至って単純なものでだ。


 犬飼と違って、簡単に尻尾を見せてきた取り巻きたち。

 片霧が言っていたように、翌日の放課後には奴らが片霧の元を訪ねてきた。

 それを予想済みのあたしは、片霧とライン通話を繋げさせた状態で、取り巻き連中を誘き出させるように片霧へ指示を出していたのだ。


 あたしはというと、彼女が襲われるよりも前に、教師にイジメの現場を目撃したと伝えて連れ出した。成績優秀で通っているあたしの言葉はすぐに信じてもらえ、容易に事は運ぶ。


 片霧にはわざと相手の神経を逆なでするように抵抗させ、居場所を通話で知るあたしと、追従する教師が到着する頃には、見間違うことのないイジメの場面が完成していた。というわけだ。


 逃げる奴もいたのだけど、最終的には取り巻き全員の顔が割れて謹慎処分となっている。

 身体の傷も見せたことで、事の重さを教師陣も理解したらしく、更に翌日には全校集会が開かれたのだ。


「でも、よかったんですか……?」

「ん? なにが?」

「だって、取り巻きの方々の行為が露見した今、犬飼先輩は間違いなく警戒してしまうでしょうし……。取り巻きの方々も、最後まで犬飼先輩の名前は出しませんでしたから……」


 片霧は申し訳なさそうな顔をし、そう口にした。


 ああ、そういう話か。とあたしは納得する。

 片霧の言った通りだ。この件を皮切りに、犬飼の行動は以前よりも鳴りを潜めてしまった。

 だけど関係ない。目的の範囲内だし、予想以上の価値が充分に得られた。


「さっきも言ったけど、お礼をされたくてしたわけじゃないから。……まあ犬飼の悪事を露見させたかったのは確かだけど。目的の内にはあなたやちーちゃ、倉田千歳へのイジメ行為をやめさせることもあったからさ。むしろ、卒業までまだまだ時間がある。これで安心するのはまだ早い。今はイジメがいつ再発するのか待つ時期だよ」

「……なるほど。綾音先輩はすごいですね。ちゃんと周りや状況を熟知していらっしゃられる」

「……そんなことない」


 ホントにそんなことはない。自分だけのことしか考えてこなかったせいで、こうなっているのだから。


「で、でも……!」

「あたしさ、家庭の事情で今は片親でね。そのせいで自分のことだけが手一杯になってて、ずっと周りのことを見る余裕なんてなかったんだ……」

「え?」

「でも今回の件でやっと、自分以外の誰かのために行動を起こせた。やっと……なんだよ。だから、あたしはあなたから(たた)えられるほど出来た人間なんかじゃないの」


 片霧はあたしの言葉を聞きながらも、しばらくの間目をそらさなかった。

 スッと閉じ、もう一度見つめ返してくる片霧は。


「いえ、立派だと思います。ぼくは……あなたに手を貸すと言っておいて、実際のところは助けてもらった身です。自分の殻にこもって、やっとの思いで見つけた光に手を伸ばしただけ……。でもあなたは、そんな見ず知らずなぼくの手をきちんと掴んでくれました」


 片霧が頬を緩めて笑みを浮かべる。


「他の方がどのように綾音先輩を評価されようと、ぼくは立派な方だと評します。だって、ぼくを救ってくれたヒーローなんですから」


 そう告げた片霧の顔が、少し赤らんで見えた。


「ヒーローは言い過ぎ……」


 かく言うあたしも照れてしまい顔が熱い。


 でも、自分のことをいとわずに手を貸せるシンと比べたら、まだまだなのだろう。

 彼は以前、風邪を引くことを省みずに服をかけてくれた。あたしはシンやちーちゃん、自分自身を天秤にかけて手を貸すことを選んだ身だ。

 ヒーローなんてものとは程遠い存在に違いない。


「あ。そ、そういえば綾音先輩は、チョコとか男の人に送られたんですか?」

「…………へ?」


 あまりにも急な話題の変更に、あたしは思わず変な声を出してしまった。

 もしかしたら顔も引きつっているかもしれない。


 というかチョコ……? チョコとはなんの話?


「その……今日、バレンタインなので」

「……あ……なるほど」

「忘れていたんですね?」


 片霧の問いにあたしは頷く。そういえば、今日はやけに校内が慌ただしかった。

 そういうことだったのかと、今になって気づくとは情けないものだ。


 とは言え、あたしにまともな男子の知り合いなんていないし……あ、シンがいるか。

 しかし、そのシンに手渡すなんて無理な話だ。まず会話を交わすことすら叶いそうにない。


 なら下駄箱に入れるとかは? いやいや、そのまま入れても不審物として扱われそうだし……。だとすれば、手紙も添えてならどう?

 二組の進藤という名前が貼られた下駄箱を探せば、渡す相手を間違えることなく、誤解を解く手紙つきのチョコをあげられるのではなかろうか!?

 そうだ! それでいこう! 今日のあたしは実に冴えている!


「あの、綾音先輩」

「ん? なに?」

「ブツブツと断片的に先輩の声が聞こえていたんですけど……渡す相手はまだ校内に残っていますか? それにチョコを今日、きちんと用意していますか?」

「…………ふっ。もういないと思うし、用意もしてない」

「あ……ど、ドンマイです……」


 だけどいい案だ。手紙を使ってならシンへの誤解に加えて、一緒に想いも伝えられるかもしれない。

 あたしは光明が見えたことで、この件を前向きに検討することにした。がんばれあたし。

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