表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

75/93

32話 負の連鎖

 土日休みを挟んでの翌週。

 バレンタインが近づいてきて学校全体が騒つき始めた中で、あたしは一つの噂話を耳にしてしまう。


「なあ聞いたか? 母ちゃんが言ってたんだが、二組の進藤、母親が死んじまったんだってよ」

「え? あの進藤の!?」

「マジかよ……。陸上部卒業してからはたまに話すだけだったけど、あいつそういう素振り一切なかったのに……。病気とかじゃなく急だったのか?」

「あー。お前、進藤と同じ部活だったっけ?」

「そうそう。で、どうなんだ?」

「いや、なんか前から病気とかだったって話でさー」


 ……ん? 進藤? それってシンのこと?


 あたしは文庫本から思わず視線を外し、話している男の子たちの方を向いた。


 母親が死んだ……? それって、癌だって聞いていたあの母親が……?


 本を持つあたしの手が小刻みに震えていた。

 今の話が信じられず、身体が拒絶反応を起こしているのだろう。


 母親のことはシンが何度も口にしていた。

 どこか子供っぽくて、自分たちと同じ視線で物事を考えてくれる優しい母親だったと。


 もちろん面識なんてない。それでも、あたしが相槌を打って聞き、それによってシンが楽しそうに話していた姿が、どうしても脳裏に浮かんできてしまう。

 きっとシンにとって、自慢の母親だったことは言うまでもないはずだ。


 あたしの思考をさえぎるようにチャイムが鳴る。それに合わせてみんなが席に着き始め、担任が教室へと入ってきた。


「授業始めるわよー。早く席に戻りなさい」


 こうして日常は流れる。おそらくシンは、今日登校しては来ないのだろう。

 それでもお構いなく、あたしたちの時間は過ぎていく。それが日常というものなのだ。


 犬飼への告白はどうなったのだろうか?

 シンはどれくらい学校を休むのだろうか?

 あたしはこれから、なにに希望を持てばいいのだろうか?


 今日はずっと、そんな思考ばかりが頭の中を渦巻いていた。




 数日経ち、シンが来ない日が続いたある日。

 廊下でちーちゃんが窓の外を眺めている姿を見つけたので、あたしは声をかけてみることに。


「久し振りちーちゃん」

「っ!? ……え? あ……綾、ちゃん?」

「うん」


 ……なに今の反応?


 明らかにビクつきながら肩を上げ、ちーちゃんは恐る恐るという様子で振り返ったのだ。

 ここ数ヶ月まともに話せていなかったけど、その間になにかあったとでも言うのだろうか?


「えと、最近会うことなかったけど元気?」

「あ……うん。大丈夫。私はいつも通りだよ」


 変な返答だ。どこか自分に言い聞かせるような言葉にも思えてしまう。

 それに、作り笑いをしているように見える顔つきも気になった。


「それで何か……用、だった?」

「あ、うん。ちーちゃんは進路どうするの?」

「し、進路……。えとね……れ、連城高校(れんじょうこうこう)に行く予定……だよ」

「連城高校……」


 その名前には聞き覚えがあった。

 確か……そう。シンが受ける高校の名前だったはずだ。ということは、ちーちゃんもそこに通うつもりなのか。


「そうなんだ。あたしの知り合いも一人、そこを受けるって言ってた」

「へ、へー。綾ちゃんは……?」

「あたし? あたしは――」

「おまた〜! 地味地味な倉田ちゃ〜ん♪」

「――っ!?」


 推薦された私立の学校には合格したよ。と伝えようとしたところへ、聞いたことのある声が届いた。

 この声は……! と虫唾が走る感覚に襲われながら視線を動かす。

 すると、女子トイレから出てきた犬飼と出会した。


「って、な〜んだ。ネガメガな鞍馬さんもいたし。もしかして二人でお話してた?」


 ネガメガ……? 眼鏡をかけてるネガティブキャラってこと? 失礼な。


「別に。あなたには関係ないでしょ?」

「話には関係ないかもだけど〜。ほら、わたしと倉田ちゃんってクラスメートじゃない。だ・か・ら〜、優しい倉田ちゃんはここで待っていてくれてたのよ。アンダスターン?」

「それで?」

「もう! わっかんないかな〜? つまり、わたしにも話に混ざる権利があるってわけ♪」


 どういうわけなのか問い詰めてやりたい。

 ううん。関わり合いたくもないから、やっぱりいいや。


 あたしはわかりやすく嫌そうな顔をしてみせる。

 そんなあたしの方を見て、犬飼は小憎たらしい笑みを浮かべた。


「あー、出すもの出したら喉渇いちゃったな〜」

「あなた、もう少し言葉選んで話したら?」

「え〜? おかしかった〜?」


 犬飼は両手を口元に持っていき、驚いたような表情をした。

 わざとらしい動作のせいで、これまたイライラが募ってくる。


「でもでもぉ、喉が渇くのもおトイレも〜、生理現象だから、ねっ。倉田ちゃんもそう思わない? あたしは午後ティーとか飲みたい気分なんだけどな〜!」

「え? あ……そ、うだね。よ、よかったら買ってこようかっ? 私も飲みたくなってきたからっ」

「え!? マジ!? い〜の? 倉田ちゃんってば話わかるね〜」

「す、すぐに買ってくるねっ!」

「ちょっ、ちーちゃん!?」


 あたしが止める間もなく廊下を駆けるちーちゃん。

 意味がわからない。今の会話で、どうしてちーちゃんが飲み物を買いに行く流れになるの?


「あ。鞍馬さんも飲みたかったり〜? それにしても『ちーちゃん』なんて、可愛いニックネームで呼ぶんだ? 以外〜♪」

「くっ! 今行かせたのわざとでしょ……!」


 あたしは犬飼を睨むように目を細める。


 明らかにそう動くように誘導していた。

 気の優しい、頼まれると断れないちーちゃんを動かして、わざと買いに行かせたとしか思えない。


「わ〜怖〜い! でも! 睨まれたって、犬飼麻美は負っけないんだぞ〜! なーんちゃって♪」


 犬飼はぶりっ子口調で言い、握った右手を天高く伸ばす。


「ふざけるのはやめて!」

「も〜、お堅いな〜。わたしはただ、喉が渇いて、倉田ちゃんに同意を求めたってだけでしょ? そしたら勝手に買いに行ったの。それだけの話。じゃなかったら〜……うーんうーん……あっ! わたし、もしかして倉田ちゃんに何かしちゃってた〜?」

「っ!」


 悩む動作をし、眉毛を八の字に下げる犬飼。自分の頭に軽くげんこつする様は、やっぱりわざとらしい動作に見えた。

 この女を相手にしていると血管が切れそうになってくる。相性が悪いと言うより生理的に無理なのだ。


「ありゃ? もう行っちゃうの鞍馬さん?」

「あなたと話していると頭が痛くなる」

「え〜!? ひっど〜い!」


 あたしは背を向け、振り返らずに犬飼の元を去る。


「……ひっど……ぁ、……子……一人……置い……んて本……わいそう。ふふっ、あ〜……よっかな……」


 そんな声が一部分だけ聞き取れたけど、あたしは深く考えずに歩き続けた。


 あの女、相当性格が悪い。男相手には媚を売って誘惑し、女には自分を引き立てるよう誘導させる。

 きっと、他の生徒にも今みたいなことを平然としているはず。そうに違いない。


 けれども、彼女からそういった噂を一切聞かない。むしろ、悪い噂は一つたりとも見つからないのだ。

 もしかしてあたしの勘違いなのだろうか? ……いや、あいつはそういう風に立ち回っているだけ。

 あの性格で、一つもマイナスの要素が出回っていないなんて、どう考えてもおかしい。絶対になにか裏があるはず。


「……やっぱり、あんなやつにシンを渡すわけには」


 あたしはそう呟き、犬飼の周囲を探ることを決意した。




 学校が終わったので、あたしはちーちゃんの家の門にもたれかかり、未だに戻らない彼女の帰りを待つ。

 ちーちゃんの家は純和風の作りで、四方を木製の壁に囲まれている。庭には(こい)が住む池や竹製のししおどしがあり、旅館のような佇まいとなっていた。


 どうしてちーちゃんの家にあたしが?

 その理由は――学校でちーちゃんに関われば、十中八九、顔の広い犬飼の目が及ぶ可能性が高いからだ。それは今のところ避けておきたい。

 だからこうして、わざわざあの子の家までやってきたのである。


 廊下での犬飼との接触後、恥を忍んでクラスメイトであるシンの友達と話し、今週いっぱいシンが休むという情報を聞き出しておいた。

 その間に犬飼の弱味となるネタを手に入れたいあたしは、放課後のルーチンを放り出してでも、倉田家を訪れることにしたのである。


 なんとかして、シンがあの女を嫌いになるような弱みを手に入れないと……。


「中には入らないんですかい綾音さん?」

「……家の中だと息が詰まるので」

「ははっ、相変わらずな用心深さで。……あっしらはこの辺の土地を仕切っちゃあいますが、あくまでカタギの人間。警戒されるほどじゃあねえんですがねぇ」

「あたし、任侠物苦手なので」

「……さいですかい」


 あたしに話しかけてくるのは、ちーちゃんの家の使用人、という名目の構成員。いわゆる門前での見張り役の人だ。

 まあ、別にそこまでの警戒心を抱いてはいない。それは、この人が昔からの顔見知りだからである。


 ただ、黒いスーツに柄物の赤いネクタイ。その上、サングラスにスキンヘッドと。警戒しない方がおかしいその風体については、常々どうにかしてほしいとは思っていたりする。


「で、お嬢に何か用なんですかい?」

「まあ少し。……女の子同士の話なので、鶴頭(つるがしら)さんはその時に席を外してください」

「……ふむ。承知しやした」


 それから五分ほど無言で過ごし、道の向こうから沈んだような足取りのちーちゃんがやってきた。


「……綾音さん」


 そこへ鶴頭さんがあたしの名を呼ぶ声がした。


「はい?」

「最近、お嬢の様子が変なんです。その辺り、聞き出しちゃあくれやせんかね?」

「ご自身でやってみては?」

「それが上手くいってるようなら、こんな話を持ちかけちゃあいやせんよ。いつも、なんでもないと笑って誤魔化されてしまいやして」

「なるほど」


 ごもっともな回答だ。どのみち、ちーちゃんと犬飼の関係性は聞いておきたいところだし、会話上、その辺りの話題にも触れることにはなるだろう。


「わかりました。でも上手くいくかまでの保証はしませんから」

「ええ。お(ねげ)えしやす」


 地面を見つめるように顔を下げているちーちゃん。その顔が少しだけ上がり、あの子の目とあたしの目が重なり合うように交わる。


「――っ!?」

「こんにちは、ちーちゃん。今から時間いい?」

「綾……ちゃん……? な、なんで?」

「だから少し話が――」


 言い終わる前にちーちゃんが踵を返して走り出す。


「なっ!?」

「お、お嬢!?」


 あたしと鶴頭さんが同時に声を上げた。

 すかさず追いかけるあたし。それに続くように鶴頭さんも駆けるが。


「鶴頭さんはここにいて! あたしがちーちゃんと話つけるから!」

「しかし!」

「あなたの本来の役目はなんですかっ?」

「む……! 分かりやした。お嬢を頼んます」

「はい!」


 あたしは急いでちーちゃんを追いかける。

 運動が得意じゃないあの子相手なら、あたしの脚力で充分間に合うはずだ。


 あたしはちーちゃんを視界に収めながら走り、その距離を段々と縮めていく。

 住宅街の路地を駆け、気をつけながら角を曲がり、ついにはちーちゃんに手が届く距離に。


「ちーちゃん逃げたりしないで! 闇雲に走ったら危ないから!」

「つっ!?」


 あたしの手がちーちゃんの左手を掴む。

 ちーちゃんは諦めたように速度を緩めると、あたしに手を掴まれたまま足を止め、その場に座り込む。


「はあっ! はあっ!」

「はあ……! どうして急に走って――」


 目が見開き、言葉が止まる。


「っはあ……っ! 綾……ちゃ……?」


 前を向いたままだったちーちゃんが、ゆっくりとこっちを向いた。


「…………ちーちゃん、なにそれ?」


 今まで彼女のスカートに隠されていたものを見つめながら、なんとか声を振り絞って尋ねた。


「……え?」

「その(あざ)、どうしたの……?」

「あ……!?」


 聞かれ、動揺した表情に変わるちーちゃんの顔。

 そのちーちゃんの左の太ももには、故意につけられたような複数の痣が出来ていたのだ。


「こ、これは……っ」


 慌てた様子で裾を直し、ちーちゃんはその痕を隠してしまった。


「ちーちゃん……。とりあえず、一回落ち着ける場所に行こう。話、ちゃんと聞かせて」


 あたしはちーちゃんの手を引き、近くの公園へと向かう。自分の心臓は――痛いほどに鳴り続いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ