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31話 初恋は破れて

 あたしがシンに恋心を抱いてから、特にこれといった行動を起こすことも出来なかった。

 シンを好きなことを本人に悟られないよう、必死に無表情を貫き、これまでと変わらない態度で彼に接していたからだ。


 たまにシンから勉強を教えて欲しいと頼まれ、英文の和訳に計算式の当てはめ方など、あたしはそれとなく教える。

 その度にシンがあたしの近くに寄ってくるものだから、胸の高鳴りが伝わらないことを常々祈ったりもした。


 変わらない放課後の時間。あたしはこの空気が好きだ。

 だから、このままでもいいかな。とすら思えてしまうときもあった。


 けど、それではダメなのだ。

 今の関係に満足しているだけでは、きっとあたしも変わらないし、彼に告白することも出来ない。

 あたしは、なんとかしたいと思い――。


「どうして……あたしは……」


 思うだけで二学期は終わっていた。

 そうして冬休みの今。ベッドで布団をかぶりながら悔やむあたしがいる。


 無理だ。恋愛とか、本の中でしか知らないのがあたしという人間。

 どうすれば相手が喜ぶとか、どうやって好きになってもらうかなんて、現実に当てはめた場合の模範解答なんか、一切思い浮かばない。それに……。


「好きになる……付き合う……結婚する……。それでもケンカして、離婚する人たちだっている……」


 両親の結末を知っているからこそ、あたしは『真実の愛』なんてものの信憑性を疑ってしまう。

 例えシンと付き合えたとしても、ちょっとしたことで別れる可能性だってあるかもしれない。


 家族さえも裏切って出て行き、新しい女のところに転がり込んだお父さ……いや、あの男は恋愛によっておかしくなってしまった。

 お母さんと結婚をしたのも恋愛だ。だけど、お母さんと離婚した原因だって恋愛なのだ。

 『恋』や『愛』なんてものが、悪魔が囁く誘惑の言葉にすら思えてきてしまう。今のあたしには……ね。


 あたしは……あたしは正直恋愛というものが怖い。

 だけど、シンを好きだという気持ちは日に日に増していくばかり。

 この気持ちと、自分が経験した家庭の崩壊を天秤(てんびん)にかけ、悩み続けるしか出来なかった。


 冬休みの間は勉強をし、恋愛について考えるだけで終わってしまう。なんともまあ、あたしはただの乙女になり果ててしまっていたのだ……。




 新学期が始まるも、あたしたちの関係は変わらず続いていた。

 あたしは本を読み、シンは勉強をする。なにも変わらない日課や世間話。けれども、シンとここで過ごせる時間は刻一刻と過ぎ去っていった。


 そんな一月も終わりに差しかかった頃――。

 あたしは彼に好意を抱いていながらも、なんのアプローチすらしていないことに、少しばかりの焦りを感じ始めていた。


「なあナナシ。犬飼麻美って女子知ってるか?」

「……犬飼? 同学年の? まあ噂程度なら」


 あたしは読んでいた本から目を離し、シンの方を見る。


 犬飼麻美という名の女子は、なんとなくだけど知っていた。

 あたしの隣のクラスの生徒だけど、その交友関係は広く、教師に対しても品行方正で通っていると噂で聞いたことがある。

 最近では疎遠になってしまったけど、幼馴染であるちーちゃんのクラスメイトでもあったはずだ。


「多分そう。実はさ、今日そいつにハンカチ拾われたんだ」

「……へー」


 あたしはよくわからないながらも相槌を打つ。


 ハンカチが拾われたからなんだというのか?


「なんていうかさ。少ししか話さなかったんだけど、すっげー良いやつで。どう言えば良いんだろうな……なんか波長が合うんだよ。気さくで、話してみたら面白いやつでさ――」


 勘が悪かった。ただなんとなく、知り合いが新しい交友関係について話しているだけ。

 あたしはそう思った。それくらいにしか思えなかったのだ。


 もう少し、恋愛というものを知っておくべきだったと嘆くことになる。




 ある日、あたしは廊下でシンが犬飼と話している場面に遭遇した。

 遭遇したとは言っても、曲がり角を曲がったところで見つけ、とっさに隠れてしまったのだけど。


「進藤くんってそんなことまで知ってるんだ!?」

「い、いや……! た、大したことでもないだろ」

「いやいや謙遜なさらずに。進藤くんは結構物知りさんなんだね〜?」

「まあ最近、頭が良いやつから勉強教えてもらう機会が多くてさ。そいつのおかげなんだ」

「ほー?」


 二人の会話をあたしは耳にする。そこで初めて、シンの苗字が進藤なのだと知った。

 名乗ろうとしたときから予想はしていたけど、彼の正確な苗字が明らかになったのが今だったわけだ。


「その頭がいい人は誰なのかね〜? わたし、気になっちゃうかも♪」

「え? いやあいつは…………あー……」


 そっと顔を出して覗くと、シンは頭をかいて悩んでいるようだった。

 正体を言うべきかの迷いではなく、単にあたしの本名を知らないから話せないのだろう。


 と、あたしはなんとなく推察した。


「そんなに言えない相手?」

「いや、言えないっていうか……」

「お? 進藤! ちょうど良かった。これ教室まで運ぶ途中なんだが、今から手伝ってくれないか?」

「え? あ、先生。分かりました。……ごめん犬飼。また今度な」

「あらら〜。がんばりたまえよ進藤二等兵!」


 シンは先生から荷物を半分受け取ると、一緒になってあたしが身を隠す場所を通りすぎて行った。


「んー。まー仕方ないか。で、そこの角から盗み聞きしてる悪い猫ちゃんは誰なのかにゃ〜?」

「――っ!?」


 バレてる……!?


 彼女の言葉で、あたしは心臓を鷲掴みされたような感覚に襲われた。


「出てこないとぉ……こっちから行くにゃー!」


 そして逃げる間もなく、犬飼が廊下の角から目の前に現れてしまった。


「おお? えーと……確か四組の、そう! 成績トップのくろ……じゃなくて、鞍馬綾音さんだよね?」

「犬、飼……麻美……!」

「正解〜! でも、いきなりの呼び捨ては好感度ダウンしちゃうから気をつけた方がいいよ〜?」


 きちんと話すのは初めてのはず。

 だというのに、この見透かしたような視線に警戒心が高まってくる。


「……あなたの方こそ、いきなりやって来てなに?」

「ええ〜? ご機嫌斜めー? もしかして、昔の苗字言いそうになったの気に障っちゃった?」

「っ!」

「冗談冗談! ごめんね。わたし空気読めないってよく言われんだ〜♪」


 犬飼は『にへら』とだらしない笑みを浮かべた。


「それで……なんの用?」

「そのセリフはこっちのじゃな〜い? さっき覗き見てたの、わたしの位置から丸見えなんだからさ。うんん〜? もしやもしや、進藤くんが言ってた頭のいい人ってあ・な・た?」


 どこか楽しげな表情をする犬飼。

 そんなにあたしの警戒する態度が面白いの?


「……だとしたら?」

「べっつに〜♪ 人付き合いが苦手って聞いてたんだけど、以外に面倒見いいのかな〜? ってね」


 ああ……どうしてか神経が逆なでされる。

 シンはこの女のなにがいいの?


「――っと、チャイム鳴っちゃった!? 遅れたら先生に怒られちゃうし、もういっくねー! 鞍馬さんも遅れたら、めっ! だぞっ♪」


 相変わらずな態度で犬飼は去っていく。

 あたしは気疲れを感じながらも、自分の教室へと駆け足で向かった。




 時も過ぎて二月になり――。


「でさー、また犬飼が教室までやってきてな。今日は数学の教科書忘れたとかで借りにきたんだ」

「ふーん……」


 まただ。また犬飼の話……。

 最近はずっとそう。こうやって放課後に会えば、毎日のようにあの女の名前が出てくる。


「あとなー……あれ? カメラの英語のつづりってなんだったか……」

「C、A、M、E、R、A」

「お? なるほど。頭文字をKにしそうだった。サンキューナナシ!」


 別にお礼を言われるほどじゃない。

 今時、スマートフォンで調べるだけでも一発で出てくるような話だ。

 そんなことより、もっと難しいことを聞いてよ。あたしならなんでも答えられるから。犬飼の話をするよりもずっと有意義な時間が――。


「なあ、その犬飼なんだけどさ。ここにそいつを呼ぶのってありか?」


 ……っ! また……! また犬飼……!


「絶対断る。頷く気はないし、これ以上人が増えるなんてまっぴらごめん。それに……」


 それに、シンが好意的な態度を取る相手となんか、一緒の空間にすらいたくない。

 嫌だ。あたしが唯一シンといられる時間を、あんなやつなんかに取られたくない。


「それに?」

「……なんでもない」


 そう答えて、あたしは読んでいた本に意識を没頭させる。


 本の世界に入り込め。自分を律せよ。なにもしてこなかった人間に、彼の考えをどうして止められる?

 今までも、これからも逃げ続ける自分では……やっぱり恋愛なんてものは、おこがましかったんだ……!


「なあナナシ」

「何?」


 反射的に声が出た。


「オレ、犬飼に告白しようかと思ってるんだ」


 ……え? こく、は……く?


 頭の中が一瞬で真っ白に。間髪入れず、今度は黒く染め上がる。

 聞きたくなかった一言だった。その一言で、自分の心が再び凍り始めるのを実感する。


「…………ふーん。で?」


 素っ気ない返答だった。もう無理だと、心が折れてそうさせたのだ。


「いや、それだけ」

「別に報告する義務はない。話されても困る」


 本当に困る。ただただ困る。


「そうなんだけどさ。なんか、お前には言っておきたくて。友達として」

「……友達、ね」


 友達……か。

 やっぱり意識すらしてもらえていない。なにも行動を起こさなかったツケが、こうやって返ってきた。

 もう涙すら出てこないほど心が凍ってしまう。


「構わない。好きにすればいい。シンががんばってるのは知ってる。だからがんばれ。もっとがんばれ」


 それでも、想いをなかったことには出来ない。

 シンが好きなことは、凍らせたからどうこうなるものではなかったのだ。


「なんだよそれ? ははっ……でもありがとうな。オレがんばって告白してみる」

「……うん。がんばれ」


 あたしはもう一度エールを送る。

 これでいいんだ。あたしの初めての恋は……こうして終わりを告げた。

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