5話 鞍馬綾音の仁義
「……っ……」
多分、一睡も出来ずに朝を迎えたと思う。ひたすら鞍馬との会話をシミュレートしていただけで、もう日が昇ってる始末だ。
正直眠いし、良い案なんて浮かばずじまいで起きる時間になってしまった。
結局、あいつへのトークの返信もしていない。
きっと鞍馬のことだ。既読が付いたからとオレが見たのをよしとし、指定した時間には体育倉庫に来るんだろう。
そしてそんな予測をするオレも、あいつのことを放っておけなくて、学校に向かう支度を終えてしまっている訳で。
「……はあ、会って何を話せば……ふあああぁぁ……!」
顔は洗ったもののまだ眠い。そんなこんなであくびをしながら、オレはリビングの扉を開けた。
「あ、優ちゃん起きた? 今日は早い起床――って大丈夫!? 顔色よくないよ!?」
扉が開いたのを確認したらしい姉ちゃんが、青ざめた顔で寄ってくる。きちんと鍋の火を消してから来るところはさすがの一言だ。
「どうしたの優ちゃあん!?」
「寝不足。寝れなくて寝不足なだけ」
「ね、寝不足って!? このままじゃ、優ちゃんが死んじゃう……!? お願いお母さん! まだ優ちゃんを連れて行かないでえええ!!」
姉ちゃんが祈るように両手を組み、天を仰いだ。
天国の母さんが困惑した顔をしているのが、目に浮かんで仕方ない。
「とりあえず朝飯。あとブラックのコーヒー欲しい」
「ぐすっ! わ、わがっだ! でも! でもでも! 優ぢゃんブラッグ飲めだっげ!?」
「無理してでも飲むから安心して」
「わがっだあ!!」
そんな不毛な会話を交わしつつ、オレはテーブルのイスに腰かけた。
もうなんか、今の会話だけでも半分目が覚めた気がする。
姉ちゃんが用意してくれた料理とコーヒーを胃に流し込み、オレは眠気を感じながらも荷物をまとめ、玄関の扉を開けた。
「優ちゃんお弁当は!?」
「持った! いってきます!」
重い足取りだ。爽やかな朝の日差しとは対照的に、オレの心はどんよりと曇っていた。
昨日はわくわくしながら見ていた景色も、今日は霞んで見えてしまう。本当、気の持ちようとはよく言ったものだ。
校門をくぐり、放課後に訪れた体育館までやって来た。
周囲を警戒しながら進み、体育館の外壁から覗くようにして昨日会話した場所の様子を伺うと。
「……やっぱりいるか」
視線の先には、手鏡で前髪のセットをしながら、ときたまチラチラと周りを見回す鞍馬がいた。
きっと、オレのことを今か今かと待っているんだろう。
「行くしかないか。このまま隠れていても何も変わらないし」
オレは覚悟を決め、キリキリとする胃の痛みを感じながら建物の影から出る。
足元を見つめていたあいつの前まで辿り着き、オレは緊張が抜けない声で話しかけた。
「よ、よお」
「あ……し、進藤……? えっと! お、おっはー」
気付いた鞍馬はというと、手鏡を鞄にしまってぎこちなくあいさつをしてくる。
互いに緊張というか、落ち着かないのが分かってしまってしょうがない。
「……話ってのは何についてだ?」
「あー、えとさ……て、手紙やっぱ返さなきゃって思ったから」
「へ?」
鞄に手を入れ、鞍馬が例の封筒を取り出した。
「な、なんでだよ!? どんな心境の変化が!?」
てっきり捨てられてるもんだと思っていた。
オレだったら、好きな相手が別の奴に書いたラブレターなんて、絶対手元になんか残しておきたくない。
「だって、不公平ってゆーか」
「不公平?」
「だーかーらー! 進藤はさ、倉田っちのことが好きなんっしょ!?」
「おまっ!?」
いきなりぶっ込んだ発言をしてくる鞍馬。
オレはとっさに周囲の様子を確認し、胸をなで下ろす。
体育館での朝練はないから大丈夫なはずだ。周りに他の人の気配はないと思う。多分。
「はあ……お前なあ、いきなり――」
「あーしは進藤のことが好き! ぶっちゃけ、世界で一番好きな自信がある!」
「いっ!?」
鞍馬はまっすぐにオレの顔を見つめ、そう言った。
唐突なカミングアウトのせいで、オレは自分でも分かるくらい身体が熱くなってしまう。
「けど……好きだからって、その人の恋を邪魔すんのはなんか違うってゆーか。こんな卑怯なマネしても、進藤に振り向いてもらえないだろーし。なにより、あーしが自分のことキライになっちゃう……」
「鞍馬……」
「だ、だから! あんたにコレを返すってことっ!」
持ってた封筒をオレに差し出す鞍馬。
正直なところ、ギャル系の女は笑い声がうるさかったり、自分勝手なことばかりしてるような奴らばかりだと思ってた。
けど、どうにもこいつは違う。真面目、というか義理堅い……のか?
ともかく、鞍馬はオレが抱いてたような印象のギャルなんかじゃなかったようだ。
「てか、納得したならはよ受け取れし……。いつまで待たせんの?」
封筒を差し出す鞍馬の顔は少しだけ赤面していた。
オレはそれを鞍馬から受け取り、一応中身を確認する。
そうして気付いた。気付いてしまったんだ。
「これ……」
手紙に水滴の跡がにじんでいた。色もなく、ただただ染み込んだような跡だけが残ってる。
それがいつ付いたものなのかは分からない。
初めて開いて確認したときなのか。それとも、昨日家に帰ってから読み返したときなのか。
……どんな形であれ、あいつはこの手紙を読んだことで泣いていたのかもしれない。
ただの予想にすぎなかった。もしかしたら汗や飲み水の可能性だってある。
それでも……鞍馬の泣く姿が頭に浮かび、自分の胸が締め付けられるのを感じてしまったんだ……。
「……ん? どーかした? も、もしかして破れたりとかしてた!? それならごめっ! 手紙弁償しよっか!?」
「い、いや大丈夫だ。……ははっ、てか取り乱しすぎだろ。なんの問題もなかったから気にするな」
オレは手紙をしまい――笑って嘘を吐いた。
さすがにその跡が元に戻ることはないだろうし、改めて書き直さないことには倉田にも渡せないだろう。
そもそも今の心境で文章を書き起こすのは、多分難しい。いや、きっと無理だ。
まあ元より、跡が残ってるなんてことを鞍馬には知らせたくはなかったし、ノータイムで誤魔化したのは至極当然のことだったのかもしれない。
だから、今はこれでいいんだ。これで……。
「ほ、ホントにダイジョーブなん?」
「ああ。だからもう気にすんなって」
「う、うん……」
オレの言葉を聞いたことで鞍馬は安堵したようで、ゆっくりと息を吐き、胸をなで下ろす。
しかし、どこか覚悟を決めたかのように鞄を握る鞍馬の手に力がこもった気がし――。
「……よし。これでやっと向き合える」
「な、なんだよそれ?」
「決まってるっしょ。これであーしが、倉田っちのことで気負う必要がなくなったってこと。もう全力でやりたいことやっちゃる。……ってことで! こっからはマジで進藤を陥落させにゆくから――」
鞍馬はオレに向かってビシッと指を差す。
「よ・ろ・し・く♪ 進藤をメロメロにさせて、絶対に彼女になってやるかんね!」
「なっ!?」
宣言した鞍馬はニヤッと歯を見せ、悪戯っ子のような笑みを浮かべると……今度は満足気な顔で微笑んだままオレの横を通りすぎる。
オレは鞍馬の姿を目で追うが、あいつはそこから振り返ることもなく立ち去ってしまった。
あ、あいつ……!
諦める気がないのはなんとなく分かってはいたが、このタイミングでオレを籠絡させる宣言までしてきやがるのかよ……!?
てか一番悔しいのは、あいつの微笑んだ顔に不覚にもドキッとしてしまったことだ。
また顔が熱くなってきたのを察し、オレは自分の頬に手を触れた。やっぱり熱い。
「じょ、上等じゃねえか……! ならオレは……絶対倉田に告白して、お前なんかよりも先に恋人になってみせるからな!」
ああ、そうさ。オレは清楚で純情系な子が好きなんだ! 鞍馬みたいなギャルなんかに籠絡させられてたまるかよ!!
こうしてオレと鞍馬の恋の戦いが始まった――。