42話 どうやら告白は……
鞍馬がゆっくりとうつむき、目元が前髪によって隠れてしまう。
そして押し黙ること数秒。閉じられていた口がついに動いた。
「……いつから? いつから、あたしがナナシだって気付いてたの?」
鞍馬にとっては当然のように湧いてくる疑問。
オレはその問いに、隠れてしまった鞍馬の目の辺りを見つめながら答える。
「気付いたのは昨日だ。目についたこの手紙を読み返していて気付いた。けど確証は持てなかったんだ。だから、こうしてお前に確認を取った」
「……ははっ、なにそれ? でもそっか。最後はあたしがボロを出しちゃったってわけか」
「なあ、どうして倉田に渡すものだと知ったあと、この手紙をオレに返した? そうしなければ、少なくともお前の正体は隠し通せたはずだろ?」
「……文面まで気が回らなかっただけ……」
鞍馬が少しだけ顔を上げる。前髪の隙間から、揺れる瞳が覗いた。
「あんなことがあったのを最後に、シンは放課後来なくなったんだよ……! そのあなたが、イメチェンした今のあたしがナナシなんだと見抜いてたって、読んだ直後のあたしは勘違いして……。それに、あのときの言葉を覚えていてくれたんだって……。それだけでもあたしには充分だったのに。本気で好きだって、彼女になってほしいってことまで書いてあって……!」
そんな鞍馬の瞳から一粒の涙がこぼれ落ち。
「嬉しかったの!! 頭の中がぐちゃぐちゃになっちゃうくらいに!! いっぱい泣いちゃうくらい嬉しすぎて……! あたし! わざわざ人が来ないトイレまで行って泣いてたんだからね!!」
鞍馬が涙と一緒に自分の思いを吐き出す。
オレはそれを、鞍馬がボロボロと涙を流す姿から目を逸らさず、何も語らずに黙って聞き続ける。
「……っ! なんとか、化粧で泣き顔誤魔化してさ。一日中ユーヤに聞こうとするの何度も我慢して、やっと迎えた放課後なのに。今度は渡す相手がちーちゃんだったなんて言われてさ……!」
「すまん……。オレが謝ってどうこうって訳じゃなけど……」
「だったら謝んないでよッ!!」
オレは鞍馬の悲痛な声に黙らざるを得なかった。
白斗のせい。そう言えば楽にはなる。けど、それが鞍馬にとってどんな慰めの言葉になるんだ?
「ごめん……怒鳴ったりして……」
「いや大丈夫だ。言いたいことがあるなら全部言ってくれ」
「……うん」
鞍馬は鼻をすすり、目を制服の袖で拭う。
「結局、その日は持ち去った手紙を読むことはなかった。自問自答したよ。どうして、こんなことになったんだろうって。手紙を手に持ってさ、ゴミ箱に叩きつけようとまでしたんだよ。……でもね。そんなことするくらいなら、むしろユーヤを、あたしに惚れさせてやろうじゃんかって思ったんだ」
鞍馬が顔を上げる。瞳は揺れ、今もまぶたに涙が溜まっていた。
それでも、力強くオレのことを見つめ返してきた。
きっと、ここからはいつもの鞍馬に戻ってくれるはずだ。オレはなぜか、そう確信出来た。
「そっからはユーヤも知ってるよね? 手紙を返してユーヤを陥落させるために行動し始めた。だからさ、改めて中を見ることもなかったし、ユーヤがちーちゃんに送るはずの言葉を覚えておきたくなかったの。それがまさか、こんな失態に繋がるなんてなぁ」
苦笑いする鞍馬。しかし涙が溜まっているのもあって、どこか泣き顔のようにも見えてしまった。
「鞍馬……。なあ、お前はどうして昔のことを黙ってたんだ? それに今の姿になった理由は?」
「ここまで話したんだし全部言おっかな。ナナシの頃のことを黙ってたのはね、ユーヤに下手な同情をされたくなかったから。卒業式に渡された手紙だけでも、ユーヤがあたしのことで心を痛めてるのはわかった。ナナシとして接したら、きっとまともに向き合ってもらえない。恋愛させてもらえない。そう思ったから」
「それは……っ」
確かにそうかもしれない。
ナナシにあんな襲うような真似をしてしまった。あのときのことは、今も鮮明に覚えてる。
もし……もしナナシが鞍馬だと分かれば、オレは負い目から、鞍馬のことを好きになれなかったかもしれない。
そう考えると、鞍馬の判断は正しかったんだろう。
「この姿はね、お姉ちゃんと話し合って決めたんだ。あたしは元々ほら、隠キャで人付き合いが苦手だった眼鏡キャラだったでしょ? 中身を変えるなら、まずは外見からって言われてね。お姉ちゃんの伝で、メイクさんやコーディネイターさんを紹介されて、ギャル風の外見にしてもらったわけ」
「な、なんでよりによってギャルなんだよ……」
ギャルとか、最初の頃は犬飼のことを思い出してしまって、鞍馬に苦手意識全開だったんだが……。
「え? だって、ユーヤは犬飼みたいな陽キャなタイプが好みだと思ったから。それなら、ギャル系を演じることで自分の中身も変えつつ、ユーヤの好みにも合わせられるかなぁって」
逆だ。完全に逆張りです。
とはいえ、さすがに苦手になった犬飼の件を知らない鞍馬に、事のあらましを伝えたくはないし。
ということで、ここは黙っておくことにした。
「てか、そこまでやっておいて、なんでオレに接触して来なかったんだ? 一年のときには、すでにその格好だったんだろ?」
「それは……勉強中だったから……」
「は?」
「だーかーらー! 高校の入学前にイメチェンしたんだけど、やっぱ性格は隠キャのままでして! そんな自分変えるために、一年かけてユーヤに好かれそうなギャルっぽさの勉強してたの!」
鞍馬が目をつむって、気恥ずかしそうに説明をしてくれた。
要するに去年は準備期間中だったと?
オレはなんかもう、呆れというか鞍馬らしさ全開の理由のせいで、良い意味で力が抜けてしまった。
「だけど、進級後もユーヤに話しかける勇気がないまま過ぎて、やっぱり、あたしはこのまま変われないのかな? って思ったところに、あのラブレターが」
「なるほどな。オレに接触するためのきっかけが出来たってことか」
白斗が言っていたことを思い出す。
恋愛で重要なのは、きっかけとアプローチ。その二つが鞍馬にも巡ってきていたってことか。
しかし、それはオレにとっても同じこと。
「お前がオレを好きになったのって、オレが風邪を引いたときか?」
「っ! ……そ。当たり。最初は服を被せてくれたことが素直にありがたかった。けど、それで恋愛感情が生まれたというとノーでね」
ん? そのタイミングじゃないのか。てっきり目覚めたときにときめいたんだと思ってたんだが。
「翌日、更に次の日。二日も会いに来ないから、きっとシンに嫌われたんだと胸が痛んだ。そしてやっと現れたと思ったら、風邪を引いてた? 呆れるとかムカつくとか、そんな気持ちは一切浮かんで来なかったんだよね。代わりに、心底安堵した自分がいたの」
鞍馬が昔を思い出すように目を閉じ、胸に手を当てる。
「その瞬間に気付いたんだ。ああ、自分にはこの人がいないとダメなんだ……って。人の温もりに触れてしまった野良猫のように、もう今までの日陰には戻れないんだって悟ったの」
けど、オレはそれから少しして犬飼のことを……。
気付かなかったとはいえ、なんて酷い仕打ちを鞍馬にしてしまったんだろうか。
鞍馬が目を開けた。決意がこもった目だ。
それを感じ取れたおかげで、次に鞍馬が言うであろう言葉を察することが出来た。
「だからね! あたしやっぱりユーヤのことが――」
「ストップ!!」
「す……え?」
「ここからはオレの番だ」
オレはポケットからもう一通の封筒を取り出す。
右手に新しい封筒を。左手には、すでに持ってる昔のラブレターを。
「それなに?」
「今日お前に言うべき内容を書いた手紙だ。けど、お前に対する謝罪とか言い訳なんかの言葉がたくさん、手紙数枚分書いてあった。けど、さすがにそんな手紙はこの場には相応しくないだろ?」
そう言って、オレは左右の手で持つ二種類のラブレターを重ね合わせ――。
「だから、これはもう不要だ!!」
躊躇うことなく破り捨てた。
ここからはオレの想いを言葉に、行動に込めて鞍馬へ伝える。こんなカンペなんかいらない。
オレは緊張しながら鞍馬の目の前まで歩く。
「ゆ、ユーヤ?」
そこから無言で、片膝を突く形で跪いた。
「え!? ちょっ、ちょっとユーヤ!?」
「鞍馬っ!!」
「は、はいっ!?」
裏返る鞍馬の声で、少しだけ笑いそうになってしまった。
けど、ここからは真剣な気持ちで取り組む。
「今まですまなかった。お前の気持ちに気付かなかったこと。お前の好意を素直に受け入れることが出来なかったことも。そして、オレを好きになってくれたお前に、二回も他に好きな人がいると、傷付けてしまうことを伝えてしまった。すまん」
「ユーヤ……」
この姿勢はオレの贖罪の意思だ。
何度も無自覚に鞍馬を傷付けてしまったことへの。
それと同時に、騎士が姫に忠誠を誓う意味も込めてある。オレが鞍馬綾音という女性に誓いを立て、一生の愛を告げる儀式。
そんな贖罪と誓いの二つを兼ねているものだった。
「これから先、お前を傷付けてしまうかもしれない。泣かせてしまうこともあるかもしれない。こんなオレのことを嫌いになるかもしれない。それでも、それでもオレはお前の側にいたい」
鞍馬に向け、手の平を上にした形で右腕を伸ばす。
許しをこうように頭を下げ……いや違う。一生を捧げるという誓いを立てて頭を下げる。
「鞍馬綾音さん。あなたが好きです。オレの恋人になってください」
「……っ!?」
流れる沈黙という名の間。
頭は上げない。鞍馬が応えてくれると信じているから。だから、この手に鞍馬の手が重なることを願って待ち続ける。
十秒、二十秒と経ち、それでもまだ答えは返って来ない。
頭は上げられないまま、けれども不安に駆られ、少しだけ目を開く。その視界に映る地面に――。
あ……。
いくつもの涙が落ちた跡が出来ていた。
「鞍馬……?」
もうダメだ。これ以上は無理だ。
オレは目を開き、ゆっくりと顔を上げると、そこには泣きじゃくる鞍馬の姿があった。
目が腫れ、涙が筋となって流れ落ち続ける。涙が伝う頬は赤く染まり、口は必死に嗚咽がもれるのを耐え――。
「卑怯だよこんなの……! ずっと待ち続けた言葉なんだもん……! 断れるわけないじゃんかっ!!」
次の瞬間には鞍馬がオレに抱きついてきた。とっさのことなので、それを受け止め切られることもなく、オレは背中から倒れ込んでしまう。
「いっつ!? ……お、お前なあ!!」
「ひっく……! ぐぅっ……! ユーヤ! ユーヤが好き! 好きだよぉ! 大好きだよおっ!!」
「鞍馬……」
覆い被さるようにして泣く鞍馬。オレはその身体を優しく抱きしめる。
そして、もう一つの手の指で涙を拭ってやったところで、オレたちの視線が交わった。
スッと目を閉じる鞍馬。さすがにその意味が分からないほど、自分も鈍感な性格じゃない。
だからオレは……。
「オレも大好きだ……綾音」
あいつの苗字じゃなく名前を呼び――。
「……ん」
そっと重ねるようにしてキスを交わした。
柔らかな感触と、身体中が痺れるようなすごく甘美な味が、唇を通して伝わってくる。
それが胸を一杯まで満たし、オレは今までの人生で一番だと言い切れる、そんな幸せな気持ちに包まれたのだった。
成功したようです。
次回、優也√最後となるエピローグ。