40話 心の古傷
「最初の昼食は千歳に連絡して取り付けた。その後の食事も、段取りを組むのにいくらか力添えをしたさ。何度かお前を介さずに鞍馬さんとは接触させてもらった。どうやら、他にも誰かしらから恋愛の助言を貰ってはいたようだがな」
鞍馬とオレがくっ付くように根回しをしてたってことかよ。
他にもとなると、例の園田とかいうギャルら辺が別口で絡んでるのか?
「なんでそんな回りくどいことをした? オレに釘を刺すなり、倉田に話すことだって出来たはずだ」
「そうだな。手紙の件は、あまりにも急な出来事だったとはいえ、その後の方針を変えることは確かに出来た。しかし……お前の境遇を考え、躊躇う俺がいたんだ」
「躊躇う? ……まさか、オレが話した失恋のことでか?」
白斗がバスジャック事件について話してくれたことに対し、オレも中学時代の失恋に関する話を伝えていた。あっちが腹を割って話したのなら、こっちもそれ相応の秘密くらい晒してやろうと思ったからだ。
けど、そのことでオレを傷つけないように配慮をしてくれただと?
はっ、だったら余計なお世話だ。オレだってあの頃ほどやわな精神力じゃない。
オレはイラつきながらも頭をかき、白斗にもう一つの指摘をする。
「だったら、倉田にはなぜ話さなかった? 倉田にきちんと説明していれば、オレに対する牽制にはなったはずだ。そのことを話す機会だってあっただろ?」
「単に、くだらないプライドが燻っていたからだ。優也がお前を好きらしい。だから仲良くしないでくれ。……そんなことを千歳に言える訳ないだろ。男らしくないとか、器が小さいとか、あの子に思われたくなかったんだ……」
なんっ、だよそれは……!?
自分が傷付きたくないから倉田には事情を話さず、オレのことは変な気遣いで騙し、鞍馬の恋心まで利用してすべてを丸く収めようとしてただ!?
「っ!」
限界だった。オレはこんなやつに絆され、自分の恋愛をいいようにされていたなんて……!
ああ! もう我慢の限界だ!!
「ふざけんな……ふざけんなよ白斗ッ!!」
オレは握り締めた右手を真横に振る。
「全部お前のわがままじゃねえか! お前は倉田を守るって宣言したんだろ!? だったら守れよ! 過去に失恋をした友人が相手だろうと、自分のちっぽけなプライドなんか捨てて、真っ向からぶつかればよかったじゃねえかッ!!」
「分かっている……そんなのお前に言われなくとも分かっているさ! だが! だが怖かった……!」
「怖いだ? オレには、今のお前の方がよっぽど怖えよ……」
自分の身体の震えが怒りから来るものか、目の前の白斗に畏怖してるせいなのかも分からなかった。
「ああ、俺もだ。俺も自分が怖い……」
「はあ!? お前、自分が何を言ってるのか分かってんのか?」
「当たり前だろ。……お前にもバスジャックの話をしたよな? その犯人がどうなったかも話したはずだ。あのときは、たかだか失恋の一つで他人を巻き込み、人殺しを行うなんてナンセンスだと思っていた。……だけど今は違う! 千歳という初めて出来た大切な人がいて! お前という恋敵が現れた今! 俺はあの男のことを! 恋に翻弄される馬鹿な男と、簡単に罵ることが出来なくなっていたんだ……!」
「白斗お前……」
白斗が荒い息を吐き、こめかみの辺りに手を置く。
その顔は何かに耐えるように苦痛で歪んでいた。
あの事件が、今もまだお前の心の中に巣食っていたのか?
まだ過去に囚われたままだったのかよ白斗……。
「お前に千歳を奪われたくない。千歳にも愛想を尽かされたくない。もしそんな未来になってしまったら、俺もバスジャックの男のように、お前や千歳を傷付けてしまうかもしれない……! だから、鞍馬さんを利用してでもお前の恋愛対象を変えたかった! ……お前たちが付き合ったあとに、俺と千歳も触発されて付き合い始めた。黙っていた恋人関係は、そういう形でお前たちに明かそうと千歳には告げていたんだ」
白斗は震える手を下ろし、オレを睨みつけてくる。
「なのに、なのにお前は! 俺と千歳が付き合ってることを知っていた! どうしてだ!? どうやって知った!?」
瞳孔が開かれ、白斗の表情は怒りを表していた。
「答えろ優也!!」
「……はぁ……倉田だ。倉田から聞いた」
「ち、とせ……から? ……いつだ? いつ千歳から聞いた!?」
「さっきだ。お前に会う前まで、オレは倉田と二人で出かけてたんだよ」
「なっ!? んだと……!?」
白斗の瞳孔が更に開く。怒りと戸惑い、その両方によって。
「優也、貴様あぁ……ッ!」
「落ち着け。お前流に言うなら『お詫び』だ。鞍馬の見舞いを一緒に行けなかったことに対する、倉田なりの償いとして、一緒に飯食ったり買い物したりしてただけだ」
白斗がこんなに怒りをあらわにするもんだから、逆にオレの方は冷静になれた。
「くっ! どうしてなんだ千歳……? 出かけたことは百歩譲っても、なんで俺たちの関係まで……?」
「オレが腹割って話したからだよ。倉田のことが好きだったってな」
「っ!? おま――」
「けど!! けどオレはもう、自分にとって一番大切な存在が鞍馬になっていたんだ。お前の思惑通りの結果になってたんだよ」
「……え? そう、だったのか……? ……鞍馬さんを……そうか」
憤りがおさまってきたのか、焦燥した顔付きに変わる白斗。
「だからこそ倉田に聞いた。もしラブレターを渡されていたら、倉田はどう答えたんだ? って」
白斗が萎縮するようにビクッと身体を震わせる。
結果を知っているオレとして、その反応が酷く滑稽に見えてしまった。
「倉田はな。例え受け取っていたとしても、付き合えないって言ったんだ」
「……え?」
「分かったか白斗? お前が下手な根回しとか、誰かを利用なんかしなくても、始めっから心配する必要なんてどこにもなかったんだよ。倉田がお前を裏切ることなんてなかったんだ」
「そんな……! じゃあ俺はなんの為に……?」
「白斗が倉田のことを信じて、オレにも全部話していれば、こんな馬鹿馬鹿しい結末なんて迎えることもなかったんだろうさ。少なくとも、オレの信頼を失うことはなかった……」
白斗が力なく腰を落とし、その場に座り込む。それを見たオレは白斗に背を向けた。
「そういう訳だ。オレはこれから、鞍馬に告白するためのラブレター書かなきゃいけなくてな。だから、これ以上お前の馬鹿な計画には付き合ってなんかいられない。あとはお前でなんとかしろ。最低限、倉田には自分がどんなことしてきたかは言えよ。それがケジメってもんだろ?」
オレはそのまま振り返ることなく土手の階段を上がり、家に向けて歩み続けた。
ああ……どうしてこんなことになっちまったんだろうな。なんて、自問自答しながら……。
オレは姉ちゃんに「ただいま」とだけ告げ、自分の部屋に戻った。
身体に巻き付けていたショルダーバッグを机の上に放り投げ、ベッドに身を投げ出す。
「はあ……手紙書かねえと……いけないのに、あーくそっ! ダメージが重過ぎるんだよ……!」
オレはうつ伏せの状態から寝返りを打ち、天井を見つめる。それもすぐに、自分の腕で覆うことで視界を遮った。
倉田には振られ、白斗と付き合ってることを教えられた。
その白斗には、倉田への恋愛の妨害をされつつ、鞍馬を好きになるよう誘導されていた……か。
暗闇に支配された中で、その鞍馬の顔が浮かんだ。
鞍馬も白斗に利用されていた。被害者と言えばそうだが、鞍馬に関する一番の疑問がまだ解けていない。
「あいつは、なんでオレのことが好きなんだ?」
腕をどかし、もう一度天井を見つめる。
未だに鞍馬がオレを好きになった理由が分からなかった。本人に問いただせばいいんだろうが、自分から聞くのはなんか負けた気がするから嫌だ。
「どのみち、惚れちまったからには、付き合えるようにがんばらないといけないんだけどな。気が滅入ったなんて言ってられないか」
勢いよくベッドから飛び起き、机へと向かう。
昨日同様、引き出しから紙と筆記用具を取り出して書き始める。が、やっぱりこれといった内容の文が浮かばない。
想いをただ込める。その通りなんだが、すでに惚れられている状態の鞍馬に、追い討ちをかける形で喜んでもらうのが、このラブレター戦法の狙いなんだ。
こう、あいつをメロメロのデレッデレにさせるほど心にガツンと来るものを……!
「あ!? またやっちまった……!」
今日も手紙が破れた。きっと情緒不安定なせいだ。
オレは「くそっ!」と自分の行いに悪態をつきながら引き出しを開ける。そこで見つけたのは例のラブレター。
「参考に、してみるか……?」
この手紙すら白斗による手で……いや、いっそのことポジティブに考えるべきだ。
白斗の事情がどうであれ、あいつのおかげで鞍馬と親密になり、好きになることが出来た。
それだけは間違いなく事実なんだ。
オレは手紙を封筒から取り出す。その文面を読んでいくうちに、ふと気付く。
「あー、そうだったな。手紙には涙が乾いたような跡が残っていたんだった。しかし鞍馬は、どうしてこんな跡を……」
オレは呟きながら手紙を眺める。眺めて――違和感に気付いてしまった。
「……待て。なんで、なんで鞍馬はこれについて言及してこなかった? いや、それはおかしいだろ!? だってこの手紙は……!」
その瞬間、走馬灯のように色々な場面がオレの頭の中を通り過ぎる。
そして、とある映像が浮かんだところで、カチンと鍵穴が合ったような気がし、自分の中に生まれた疑問が解けていった。……解けてしまったんだ。
「……は、ははっ。なんだよそれ? じゃあ、あいつがオレを好きなったのって……そういう……?」
オレはやっと、自分が鞍馬にしなければならないことについて気が付く。
そこからたったの十分で、鞍馬に伝えるべき文を書き切っていた。
ああ、オレは明日鞍馬に告白してみせるさ。
書き終えたこの手紙が、鞍馬の心にどう届くのかは分からない。でも、それでもきちんと想いを伝えて、あいつと真剣に向き合わないといけないんだ。……絶対に。