39話 茅野白斗という人間
オレは胸倉を掴んだまま、無言で白斗の顔を睨みつける。
身長がオレよりも少し高い白斗は、見下ろすように視線を寄越し――。
「黙っていたのがそんなに悪いことか?」
と冷たくあしらうように言ってきやがった。
「ああ!?」
「お前に責められるほど悪いことなのかと聞いているんだ」
「白斗ぉ……ッ! この期に及んでなんだよその言い方は!? オレはなんで黙っていたのかを聞いてるんだ!!」
「言う気がなかったから。それだけだ」
白斗がオレの手首を掴み、力を込めてきた。それによる痛みで怯んでしまい、オレの手は簡単に開いてしまう。
開かれた手を振り解くと、白斗は一歩下がって口を開く。
「大体、お前に知らせる必要がどこにある? 千歳と俺が付き合っていることを、お前に言わないといけない義務でもあったのか?」
千歳か……! 今まで散々『倉田さん』と呼んでいたのを、ここで変えてきやがった。
もう隠す気も誤魔化す気もないって訳かよ。
「だったら、だったらなんで一昨日! 倉田と出かけたことを『お礼』だとか言った!? 付き合ってたのなら、どう考えたってデートだったんだろ!?」
「ああ、そうだ。俺は、お前が千歳に対して好意を寄せていることを知っていた。だから誤魔化したんだ。とはいえ、お礼というのもあながち間違いではない。千歳は良くも悪くもそういう奴なんだ。その点では先輩方には感謝している。おかげで、とっさの言い訳に使わせてもらったよ」
よくもまあベラベラと……っ!
悪びれた様子もない白斗の態度に、オレは犬飼のときのようなイラつきを覚えてしまう。
「いつからだ? いつからオレが倉田を好きだと知ってた?」
「最初からだ。お前が千歳の下駄箱に手紙を入れた日からだよ」
「なっ!?」
そんな……!? しかも手紙を下駄箱に入れた日だって……?
倉田に聞いたのか? だとしても、倉田自身もオレに言われてから知ったはずだ。なら、倉田がこの短時間の間に話したと?
もしかしたら、ラブレターを下駄箱に入れる場面を白斗に目撃されていた可能性も……。
「……っ! どうやって……知った?」
「お前が手紙を出したあの日、俺は部活の朝練をこなしていた。その休憩時間、日曜の予定について千歳と通話していたとき、お前が走り去るのを目撃した」
後者の方で当たりか。
あのとき廊下から聞こえた声があった。おそらくそれが、白斗のものだったんだろう。
「そこでお前は一つのミスを犯したんだ優也」
「ミス……?」
「何かあったのかと思い、俺はお前を追うために靴に履き替えようとし……千歳の下駄箱が、わずかに開いていることに気付いてしまった」
何!? あのとき扉がちゃんと閉まっていなかったのか!?
くそっ! まさかそんなことになってたなんて……!
「そこで俺は、千歳に悪いと思いながらも、通話中の彼女に悟られないようにしながら扉を開けた。するとどうだ? 中に一通の手紙が入っているじゃないか。俺はその差出人の名前を見て、千歳に練習が始まるからと嘘をついて通話を切った」
白斗が顔の半分を覆うように手を添え、自嘲気味な笑みを浮かべる。
「お前にも悪いとは思った。だが、それでも中を確認し、俺は変な笑いをもらしてしまった。なんの冗談だこれはと、悪態をつきたくなったさ。なあ、信じられるか? 自分の友人が、自分の恋人を好きになるとかいう馬鹿げたシナリオを……!」
顔に手を添えたまま、ゆっくりと首を左右に振る白斗。
「しかも俺がアドバイスしたせいで千歳が……! 俺が取り戻させたあの子の笑顔が原因で優也が、お前が千歳に惚れただって……!?」
「は、白斗?」
白斗は肩を小刻みに震わせ。
「ふっざけるなあああああッ!!」
添えていた手を薙ぎ払うように横へ振り、見たこともない剣幕で吠えた。
「お前が千歳に何をしてやれた!? 何もしてすらいないだろ! 鞍馬さんが言っていたよな!? お前と鞍馬さんは同じ中学の出身だと! その鞍馬さんはなあ、千歳とも同じ中学に通っていたんだ! つまりお前も千歳と同じ出身だったんだぞ!!」
「な、何を言って……?」
倉田とオレが同じ中学校に通っていた? これに関しては初耳の情報だ。
だとしても、そのことがなんだと言うんだ?
「千歳はな! 中学でいじめられていたんだ! そのせいであいつは俺に対しても、最初の頃は愛想笑いばかりを浮かべていたんだぞ! お前はそんなことすら知らないだろ!?」
「……く、倉田がいじめられてた?」
そんなこと倉田も鞍馬も言ってなかった。
簡単に言えることじゃないと言えば、確かにその通りだが……。
「はあ! はあ! ……なあ優也。俺がアドバイスしたときのことを覚えているか? 恋愛とは、きっかけとアプローチが大事だと」
「……あ、ああ」
「俺が千歳と出会ったのは偶然だった。一年の冬のことだ。お前と話し合いをしたあの運動公園で、自主練として壁当てをしていた。そのとき、誤って違う方へとボールが飛んでしまい、近くを歩いていた千歳に当ててしまったんだ」
落ち着きを取り戻し終えた白斗は、今度は話しながら悔やんだような顔になる。
「すぐに駆け寄って謝り、無事かどうかを確認した。そしたら千歳は、「なんでもない。大丈夫」と言って愛想笑いをしたんだ。病院に連れて行こうかとも思ったが、千歳はむしろ「避けられなくてすみません。迷惑かけてごめんなさい」なんて謝りながら立ち去ってしまった」
白斗はそのことが心残りとなったらしい。
翌日。学校で顔を合わせ、それでも謝ってきた倉田の助けになりたいと白斗は思ったそうだ。
きっと、オレに付きまとっていたときと同じ心情だったんだろう。
「それからちょくちょく、俺は千歳を見かけては話しかけた。けれども愛想笑いは抜けず、いつしか俺は、千歳のことを本気で笑わせてやりたいと思ったんだ。彼女の笑顔を見たいと」
「……っ」
「そして、休みの日に二人だけで出かける約束を取りつけた。どうして応じてくれたのか聞いたら、あいつはなんて答えたと思う? いつも構ってくれるお礼になると思ったから、だとさ……」
白斗がまた自嘲気味な笑みを浮かべる。
そのやるせない表情が、当時の白斗の辛さをオレに伝えようとしてくるような感じがした。
「いじめを経たあとの処世術だったと、付き合ったあとに千歳が教えてくれた。円滑な人間関係を続ける為に笑って誤魔化し、媚を売り、機嫌を損ねさせないように話を合わせる。今でもまだ『お礼』や『お詫び』という言い方を、癖で使ってしまうらしい」
そうか……。今日のデートもそういう意味が……。
「最初に出かけたとき、俺たちは二人でアイスの食べ歩きをした。だが、俺が鼻にアイスをつけていたようでな、それを見た千歳が腹を抱えて笑ったんだ。真面目で堅物な俺が、そんなドジな真似をしたのが心底おかしかったそうだ。初めて見た千歳の笑顔がすごく素敵で、俺はその瞬間……恋に落ちた」
白斗がゆっくりと目を閉じ、自分の胸の辺りに手を添える。
スッと目を開け、対峙するオレを見つめてきて。
「それからは、千歳の処世術を正すことよりも、彼女の笑顔を取り戻すことに注力した。俺の部活がない日に合わせ、何度もデートを重ねていき、春休みに俺の方から告白した。そして付き合うことになったんだ」
「お前も倉田の笑顔に惚れて……?」
「そうだ。……何があっても俺が守ってやる。そう言って、千歳の笑顔を曇らせないことを誓った。だが、それにお前も惹かれてしまった……!」
白斗の顔が険しいものに変わる。
「自分を恨んだ。なんでこいつにアドバイスなんかしてしまったのかと。そう思いながらも、俺は手紙を読み終え、お前が走り去った方へと視線を向けた。すると、お前は校門で誰かと話していて、それが同じクラスの鞍馬さんだと気付いたんだ」
「あのときか……」
「そこで閃いたのさ。千歳の幼馴染であり、一つ下の下駄箱でもある鞍馬さんを利用することを」
「利用……だと!?」
白斗の言葉によってオレの血が騒ぎ出した。
「ああ。俺はお前が戻ってくる前に手紙をしまい直して、それを鞍馬さんの下駄箱に入れたあとに扉を閉めたんだ」
「なっ!? そういうことかよ! アレはオレ自身が入れ間違えたんじゃなく! お前が鞍馬のところに移してたせいで起きたのか!」
「逆に、まだ気付いてなかったのか? 俺がお前を目撃していたという話をした時点で、すでに察しているものかと思ったのだが」
「くっ!」
確かに、あの時点でちゃんと予想しておくべきだったのかもしれない。
けど、白斗に見られていたって一点だけで、こっちの頭はパンクしかけてたんだぞ! 無理言いやがる!
「放課後と翌朝は部活があったからな。お前たちがどんなやり取りをしたかまでは把握していない。本来なら、手紙の件も知らない立場だったからな。ラインで詳しく追及する訳にもいかなかった。だからさ」
白斗が髪をかきあげる。その顔は笑みを浮かべていた。
「だから、翌朝お前と鞍馬さんが教室でイチャついてるのを見た瞬間、俺は平静を装いながらも内心でガッツポーズをしていた。これは二人が付き合い始めたのかもしれないとな。だが、その日の昼休みに俺が付き合ってるのかと聞くと、お前は全力で否定し始めた。逆に鞍馬さんは満更でもなさそうな反応だった。俺はそこに着眼したんだ」
あ……!?
何気ない会話だったが、確かにあのとき、白斗はオレたちに向かって「もう付き合ってるのか?」って聞いてきた。
いや、その言い回しはおかしいだろ。普通あの段階で『もう』なんて付けて、まるで予想がついてたかのように聞くか?
そうだ。それこそラブレターの件を把握してないと、言うことのない発言じゃないか。
オレは自分のバカさ加減にうんざりした。
あのときから、オレが鞍馬の魅力に少しずつ惹かれ始めていたときからすでに、白斗が行動を起こしていただなんて……!