32話 疑心暗鬼
目を開く。まず視界に入ったのは、極々ありきたりな白い天井だった。
ラブホテルとはいえ、別に雰囲気を演出する照明なんかもなく、普通のホテルと言われても信じられる内装をしている。
そこから視線を動かすと、ベッドの端に腰かける私服姿の鞍馬の背中を見つけた。
スマホを見ているのか前屈みで猫背気味だ。
その無防備な背中をオレはなんとなしに眺め、つい悪戯心が湧いて指を這わせてしまう。
「ひゃあっ!? え!? ゆ、ユーヤ!?」
真っ赤な顔をした鞍馬が慌てて振り向く。
「おっす」
「オッスじゃないし! 起きたなら起きたって言ってよ!」
「すまん。ちょうど今起きたところだ。あれからどれくらい時間が経った?」
オレの顔を拭いて濡れてしまった服の袖。同じ服を今も着ているということは、すでにそれの乾燥が済むくらいの時間は経ってるはず。
鞍馬が時間を確認するようにスマホを見る。
「んー、ここに入ってからもうすぐ二時間くらい経ちそうかなー?」
「なら時間やばくないか? 確か二時間の休憩って内容で入っただろ?」
「そだねー」
「いや、それなら起こせよ!」
オレはベッドから降り、テーブルの上に畳まれて置かれていた服に着替えようと近付く。
「えー? だってユーヤ揺すっても起きないし。最悪延長でもいーかなって」
「追加料金かかるとか勘弁なんだが……!」
「確か三十分で二千円だっけ? カラオケと比べるとダンチで高い――って! ばか! こんなとこで着替えんなし!」
オレがバスローブのヒモに手をかけたところで、鞍馬が焦った声で指摘してくる。
「あ、すまん! 向こうで着替えてくる!」
オレは急いで風呂場に向かった。扉を閉め、服をカゴに入れて一息つく。
時間に余裕がないとはいえ、女子の前で着替えるとかバカかオレは?
しかも今は下着すら履いてないんだぞ……!
バスローブをはだけながらパンツを手に取る。それを履いたところで身体が停止した。
……これ鞍馬が洗って乾かしたんだよな? オレが脱いだやつを鞍馬が手で触れた?
てか、あいつも風呂に入って温まってるだろうし、オレの残り湯に鞍馬が浸かってたんだよな?
「――っ!?」
やばい! 早く着替えなきゃいけないのに、身体中が一気に熱くなってきた……!
しかも下半身まで反応してやがる……!?
オレは気持ちを落ち着かせようと深呼吸する。がダメ。ならばと、小さい頃に見たばあちゃんの裸を思い浮かべ、やっと落ち着きを取り戻す。
脳内でばあちゃんに謝罪しつつ、すかさず服に着替えたオレは、身だしなみを確認して扉を開けた。
で、オレたちは身支度を整えてロビーへと向かう。時間ギリギリだったが、なんとか延長料金は取られずに済んだ。
そこから人目を気にしながら外に出て、傘で顔を見られないようにしながら、そそくさと敷地外まで歩く。
雨がまだパラつく中、オレたちは道を歩き続けた。
緊張感が未だに抜けないまま、オレは隣を歩く鞍馬に視線を送る。手にはそれぞれ、傘とぬいぐるみを持っていた。
そんな鞍馬の顔がどこか赤らんだように見え。
「なあ鞍馬。顔赤いけど大丈夫か? もしかして風邪引いたとかじゃないよな?」
それはマズい。オレのせいで風邪を引いてしまったなんてごめんだ。
「うっ! ……だ、ダイジョブだから! 気にすんなし!」
「はあ? なんで怒るんだよ? オレは心配になったから聞いてるんだぞ?」
「な、長湯してたの! ユーヤが起きる少し前までお風呂に入ってたの! それだけ……それだけしかしてないし……!」
「長湯? てか、そんな必死な顔して話すと、むしろオレには逆効果なんだが……」
「うっさい黙れ! ……うぅ…………ユーヤで……をしちゃった……んて、言え……わけ、ないし……」
「なんだよ? ハッキリ言えよ」
なんて聞いたら、鞍馬は手に持つぬいぐるみをオレの顔に押し付けてきた。
おいやめろ。結構本気めで押し付けてくるのは。
そこからは話をしにくい空気になってしまい、電車に乗って鞍馬を家に送ってから帰宅した。
なんかもう、とんでもない一日だったなぁ……。
デートの中で鞍馬が好きなことを自覚して、白斗と倉田が一緒にいるのを見てへこんで。
初めてラブホテルなんて入ったし、昔の失恋の夢まで見る始末。
本当、明日どうするべきか。オレはそんなことを考えながら眠りにつくことになった。
翌朝。オレは鞍馬に『おはよう』というメッセージを送った。
しかし、それに既読が付かない。何かあったのだろうかと問う文を送ってみたが、それにも既読は付かなかった。
姉ちゃんから弁当を受け取りながら学校を目指す。
鞍馬のことや倉田のこと。色々なことを考えながら教室の自分の席に着くと。
「あ、進藤くんおはよう!」
オレがいることに気付いた倉田が声をかけてきた。
「お、おう。おはよう倉田」
昨日のこともあり、オレの返事はぎこちなかった気がする。
「ねえ知ってる?」
「知ってるって何をだ? さすがに具体的に言ってくれないと分からないぞ」
「あ、ごめんね! 学校に来る途中で綾ちゃんのお母さんとあったんだけど、綾ちゃん風邪引いちゃったんだって」
「……は? 風邪を?」
あのバカ! やっぱり風邪引いてたんじゃねえか!
「それで既読が……。ライン見れないほどなのか、寝てるだけなのか……」
「あ、進藤くんやっぱり連絡取ってたんだ。おばさんがね、熱が少しあるから今日は休ませるって言ってたよ」
「そうか。教えてくれてありがとう倉田」
一言物申してやりたかったが、まずは回復することを願うべきだな。
「いいよいいよ。あとね。よかったらなんだけど、放課後に綾ちゃんのお見舞いに行かない? 茅野くんは今日部活があるから無理らしいけど」
「見舞い!? 今日か!?」
「うん。予定ある?」
「いや、ないけど……」
「じゃあ決定で。……あ、園田さんだ。園田さんにも話しておかないと。それじゃあ進藤くん、放課後忘れないでね?」
倉田は笑顔で話し、教室に入ってきた赤茶髪のギャル子の元に走って行った。
……あ、昨日のことについて聞きそびれた。
倉田が園田と呼んだ女子と話してるのを横目に、オレはため息を吐く。
白斗と倉田のことを聞くのも憂鬱だが、鞍馬が風邪で休むという事実も重くのしかかる。
昨日のこと、今から倉田に尋ねるのはやめるべきだろうか?
聞いて下手な答えが返ってくると、今度は鞍馬のお見舞いで気まずくなりそうだし……。
白斗はまだ来てないか。今日も朝練らしいな。
色々と思考を巡らせるが、どうにもこれといった案が浮かばない。
そんなところに、白斗が教室に入ってくる姿が見えた。
白斗がクラスメイトたちとあいさつを交わして鞄を机の横にかけると、オレの席までやってくる。
「おう優也。おはよう」
「ああ、おはよう白斗」
「ん? なんだ? やけにかしこまった顔をしているが」
「……白斗。今からちょっといいか?」
「む? まあ俺は構わんが」
訝しげな顔をする白斗を連れ、オレは人の通りの少ない階段に向かう。
「それで? こんなところにまで連れてきて、俺に何か用なのか?」
「……ああ」
辿り着き、白斗が尋ねてくる。それに一言だけ答えて振り返る。
嫌な感覚だ。何度経験しても慣れない。この胃がキリキリする感覚は。
「お前、昨日は何してた?」
「なんだいきなり? ……普通に過ごしていたが」
「普通ってのは?」
「…………何が言いたい?」
「見たんだオレ。お前が倉田と一緒に街にいるのを」
その瞬間、白斗の目が大きく見開かれた。
「お前、なんで倉田と一緒にいたんだ? もしかしてお前――」
「何か誤解しているぞ優也」
「……誤解?」
「そうだ。昨日一緒にいたのは、倉田さんがお礼をしたいと言ったからだ。覚えているだろ? 金曜の昼食で、部活の先輩が倉田さんに言い寄っていたところに俺が割って入ったのを」
オレは白斗の言葉に頷く。
「倉田さんはそのお礼として、俺をケーキバイキングに誘ってくれたんだ。だから昨日は出かけた。どこかおかしいか?」
「それは……」
「そもそも、俺が倉田さんと出かけて不都合でもあるのか? もしかしてお前、倉田さんのことが好きなのか?」
白斗の言葉にオレの身体はビクッと反応する。言おうとしていた言葉を先に言われてしまったせいで。
「なるほど。そうなのか。……俺はてっきり、お前は鞍馬さんとそういう関係だと思っていたんだがな」
「そういう……?」
「最近、お前が鞍馬さんと仲が良いから。てっきり好きな相手は鞍馬さんだとばかり」
「別に。オレは鞍馬のこと……」
そのあとの言葉が繋がらない。
否定したい気持ちがないとは言わない。けど、鞍馬に好意を抱いてるのも確かなことで……。
「そうか」
「お前は、そういうお前はどうなんだよ白斗?」
「……どういう意味だ?」
「お前は倉田のこと好きなのか?」
沈黙。オレも白斗も、互いに目をそらさずに見つめ合う。
十秒。二十秒と過ぎ――白斗の口が動いた。
「別に。俺は……」
「お前ら何してるんだ!?」
「せ、先生!?」
「もうすぐHRが始まる時間だ! ほらほら、先生と一緒に教室行くぞ!」
階段を上る形で現れた担任によって、オレたちの話は中断されてしまった。
仕方なく、先を行く先生のあとを白斗、オレの順番でついていく。
そんな前を行く白斗の背中を見つめ、オレは心の中で問いかける。
白斗。お前は続きをなんて言おうとしてたんだ?
なあ白斗。お前は倉田のことをなんとも思っていないのか? オレと同じように否定しようとしたのか?
……なら、ならなんで! 昨日のことを尋ねたときにお前は、優也に見られていたのか……!? って顔をしたんだ!?
あんな風に目を見開くなんて反応をしちまったんだよ!?
どうしてなんだよ白斗!? やっぱり、やっぱりお前は倉田が――!
結局この日、オレは白斗にあれ以上のことを聞くことが出来なかった……。