30話 偽物の恋
母さんのビデオレターを見てから数日が経った。
昨日まで休学扱いされていたオレの学校生活も、ついに再開することになって――。
「いってきます母さん」
オレは仏壇にそう告げて立ち上がる。飾られた写真立てに写る母さんは優しく微笑んでいた。
カバンを持って玄関まで向かい、座って靴を履いていたところで後ろから名前を呼ばれる。
「優……ねえ優ちゃん」
「……え? ……姉、ちゃん?」
オレは姉ちゃんの声に、名前の呼び方に違和感を覚えてゆっくりと振り返る。
「こ、この呼び方変かな? 小さい頃にわたしが優にしていた呼び方。お母さんも呼んでたものだけど」
「い、いや。そんなことないけど」
「そっか。よかった。……あとこれ。わたしなりに作ったおにぎり。嫌じゃなかったら、おなか空いたときにでも食べて」
「あ……うん。ありがとう姉ちゃん! それじゃあ、いってくるね」
「うん。いってらっしゃい優ちゃん」
姉ちゃんに見送られて家を出た。
父さんはオレが起きるよりも早く出社したらしい。たぶん、オレたちと顔を合わせるのが気まずかったんだと思う。
オレだって「立ち直れたのか?」と聞かれると困る状態だった。それでも乗り越えなきゃいけないものなんだと、自分の心を奮い立たせて歩く。
「かなり期間が空いたけど、犬飼の返事もちゃんと聞かないと」
翌日に返事をすると言われて、かれこれ一週間近くが過ぎてしまった。
そのことに当時のオレは申しわけなさを感じ、すぐにでも犬飼に会いたいと思い歩く速度を上げる。
結局、いつもより早く学校に着いてしまった。
教室に着くと、何人かいたクラスの友人たちが集まってきて「色々と大変だったな」なんて慰めの言葉をかけてくれる。
それがオレにとってこの上ない救いだった。
犬飼やナナシとは違うクラスだ。犬飼に会うには、向こうが会いに来るかこちらから行くしかない。
けどオレの覚悟はなかなか決まらず、ズルズルと伸び、結局昼休みの時間になってしまった。
さすがにこのままじゃダメだと、お昼を食べ終えたオレはすぐに席を立って教室を出る。
もちろん犬飼に会いに行くためにだ。
犬飼の教室を訪ねると、あいつも食べ終えたのか、後ろの方に立って一人の男子と楽しそうに話をしていた。
オレは一瞬躊躇したが、意を決して中に入る。
「あの……犬飼」
「ん? あ、やっほー。久し振り進藤くん」
「あ……ああ。久し振りだな犬飼」
「そいつは誰なんだ麻美?」
「んー……例の」
「……なるほどな。こいつに用か?」
下の名前で犬飼を呼ぶ男子は、犬飼のことを指差しながらオレに話しかけてきた。
「ああ、そうだ。話してるとこを邪魔したな」
「いや構わねえ。話つけるなら早く終わらせてこい」
「ごめんね健。それじゃあ行こうか進藤くん」
オレは二人の関係が気になりながらも、教室を出る犬飼のあとをついていった。
廊下を歩き、階段を上り、行き着いた場所はなんの因果か――。
「ここなら人来ないからさ。ここで話そっか」
そこは、オレとナナシがいつも放課後に会っていた屋上に通じる扉の前だった。
犬飼は手すりにもたれかかり、オレを見つめながら口を開く。
「キミのクラスの子から聞いたよ。お母さんが亡くなったんだって?」
「……うん。お前に告白した日の夜に」
「あー……そっか。それは大変だったね。告白の返事が出来ないときはどうしようかと思ったけど、事情が事情だもんね。てことで、わたしが今からする話、わかるよね?」
犬飼の問いかけにオレは頷いて答える。
「さっきいた男子、健って名前なんだけどさ。彼はわたしの幼馴染なんだ。色々と相談事したり、遊びに行ったりする仲でね」
語りながら犬飼は、今度は階段の下の方に視線を移す。
「キミに告白された日の夜。健からも告白されたの。ずっと前から好きだったって」
「――え?」
その言葉で、胸にズキリと鈍い痛みが走った。
「それでね。キミとのこともあったから、一日待ってほしいって答えたんだ。けど、キミは学校には来なかった。調べてやっと知ったんだ。お母さんが亡くなったって話を」
再びオレの目を見る犬飼。その目はどこか揺れているように見えた。
「わたしさ、昔から健のことが好きだったの」
「っ!?」
「でも、あいつはそんな素振りを見せてこなかった。だからキミに告白されて揺れてたんだ。けどね、親が死んじゃったキミを支えるのは、多分わたしには荷が重すぎる。そう思った。ごめん。……それに、健の想いに応えたい自分がいたんだ」
身体の向きを変え、犬飼はオレの目を真っ直ぐに見つめてくる。
なんだよそれ? 母さんが死んだから告白を断られるっていうのか?
そんな不安定な状態のオレとは付き合えないけど、幼馴染の想いには応えたい?
いや違うのか。もしかしたらもう犬飼は――。
このときのオレはどこか悟りを開いたように、簡単に悲観することが出来てしまった。
「ごめんなさい進藤くん。あなたとは付き合えない。ううん、その言い方は卑怯だね。わたしはもう健と付き合い始めたの。キミが学校に来れなかった間に。だから、キミの想いに応えることは出来ない。……ごめんなさい」
ああ、やっぱりか……。
オレは自分の中に芽生えた予想の答えが当たり、それでも頭の中が真っ白になっていく。
「本当にごめんね。これからも友達として仲良くしようね?」
こうしてオレの初恋は終わった。そう思った。
放課後――。
オレはいつも通り、昼に訪れた屋上で黄昏ていた。一番上の段に座り、ジッと踊り場を見つめる。
そこに現れたもう一人の利用者。階段を上ってきたナナシと目が合った。
「……シン? そうか。あなたは今日から学校に来てたんだった」
「ああ、久し振りだなナナシ」
オレは力なく片手を上げて返事をした。
「うん。……告白、残念だったね」
「え? お前知ってたのか?」
「昼もここに来るのが日課だから。二人が話してるのが聞こえた。ごめん」
オレは「昼食もボッチなのかよ」と突っ込み、少しだけ心が軽くなった感じがした。
「でも大丈夫。シンはいいやつ。きっとすぐに恋人だって出来る。がんばれシン」
「なんだよそれ? じゃあ、お前が彼女にでもなってくれるのか?」
「えっ!? それは……! その……!」
「冗談だ」
「し、シン……!」
ナナシは珍しく怒ったような顔をする。そのまま踵を返して階段を降りていく。
「あ、おい! 機嫌悪くしちまったか? だから冗談だってば!」
「違う。トイレ行くだけ。……ばか」
それだけ言うと、ナナシは手すりを持ちながら階段を降り、すぐに視界から消えた。
徐々にあいつの足音が遠ざかるのを感じ取る。
オレは階段下から見えない場所、屋上に繋がる扉の横に座り直して目を閉じた。
母さんの死に加えて犬飼からも振られるとは……。
泣きっ面に蜂とはこのことだと、オレは一人で変に納得する。
そんな黄昏続けてたところに足音が聞こえてきた。
ナナシがもうトイレから戻ったんだろうと思い、特に気にせずいると、その足音が二つあることにオレは気付く。
ナナシともう一人? いや待て。あいつがここに人を連れてくるはずがない。
じゃあ別の誰かなのか? もしかしたら教師かもしれない。それなら見つからないようにしないと。
オレは目を開く。鞄を持って壁際まで移動し、息を殺しながらジッと身を潜める。
階段を上がる音が止まった。距離的に階段一つ分降りたところの踊り場だ。
そして――二人分の声が聞こえてきた。
「うん。ここならやれそーじゃない?」
「ここでだ? 本気か?」
なんの話をしてるのか分からなかった。けど、その声には聞き覚えがある。
犬飼と健と呼ばれていた男子。その二人がすぐ近くにいた。
「てかよ、例の進藤だったか? あいつにはもう飽きたのか?」
「あー、あのワンコくん? いやさ、本当はバレンタインまで引き伸ばしてから振ってやろうかと思ってたんだけど、予想より告白してくんのが早くてさ〜」
「ああん? 俺を彼氏とまで偽っといてその言い草かよ。ったく、せっかく手懐けられそうだったオモチャだろうに。最後まで使ってから捨ててやれよ」
「だって〜、親死んだやつとか絶対わたしに依存してきそうで面倒だったし。そんなやつはこっちから〜、お・こ・と・わ・り・に決まってんじゃん♪」
「はあ、本音はそれってか?」
なんだよこの会話……? そんな……嘘だろ……?
オレは心の中でそう呟き、両手で頭を抱えながら目を見開く。
あれがこの女の本性なんだと、オレは振られたあとで知ることになったんだ。