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29話 本物の愛

 タクシーに乗り、姉ちゃんと急いで病院へ向かう。

 二十分ほどの移動時間が永遠に感じるほど長く、病院に着いてからも心臓が痛いほど鳴り続けた。


 病院だとか考える余裕もなく屋内を駆け、姉ちゃんよりも先に病室のドアを開ける。

 そこには白衣を着た医者と看護師。ひざまずく形で座り、母さんの手を握りながら泣き崩れる父さんの姿があった。


「はあ! はあ! と、父さん……?」

「……ああ……嘘……? い、嫌だ……! 嘘でしょお父さん……!?」


 オレや姉ちゃんの呼びかけに父さんは答えることはなかった。

 ただただ泣き続けるだけで返事はない。


 オレは揺らぐ視点を母さんに集中させる。


 いくつもの管は母さんの身体に伸びたまま。顔に付けられていないといけないはずの呼吸器は、外されて喉の辺りに置かれていた。


 動かない身体。口は薄紫色に染まり、髪が全て抜けてしまった頭には、オレがプレゼントしたニット帽が被されたままだった。


 いつも小刻みにピッと音を鳴らしていた機械は、間延びした音で鳴り続ける。

 すごく耳障りだ。早くその音をいつもの音に変えてほしい。


 ああ、知ってるさ。医療もののドラマでよく流されるシーンで見たからな。

 それ、死んだときに鳴る音なんだよな? 知ってる。


「嫌ぁ……! 嫌だよお母さん……っ! 嘘だよ……なんでぇ……!? わたしが、わたしが死ぬなら試験終わってからにしてって言ってたから!? ち、違うの! あんなの本当は思ってなくて! わたし、わたし……! ちゃんと、合格した……って、お母さんに報告したかった……のに…… ! まだ結果出てないよお! 早過ぎるよぉ……っ!」


 涙をボロボロとこぼす姉ちゃんは、その場に崩れ落ちてしまった。

 そんな姉ちゃんに、看護師の人が寄り添う形で話しかける。


 オレは……オレは不思議と涙が出なかった。

 薄情だな。もしかしたらショックが大き過ぎたのかもしれない。

 そんな風にすら思えた。


 ともかく、オレは一粒たりとも涙を流すことが出来なかったんだ。


 それからは目まぐるしく時間が流れた。

 親戚の人たちが病室に駆けつけ、母さんの身体が綺麗にされ、通夜や葬儀の日程が決まっていく。


 通夜には友達も来た。けど、オレはそのときのことをよく覚えていない。

 気付けば、母さんの身体は焼却されて骨だけになっていた。そのときですらオレは涙を流せなかった。


 学校は確か一週間ほど休んだんだったか。

 母さんの遺品などを整理したり家の中を片付けたりと、心が休まる暇なんてなかった。


 そうして数日が経ち――母さんから郵便が届いたんだ。入っていたのは一枚のSDカード。

 最初は死人から届いたものというのもあり、オレたち家族は警戒していた。


 けど、添えられた手紙から事情を察する。これは母さんが担当医に預けていたものだったんだ。

 つまり、母さんは自分が死んだあとに届けられるよう、予め手を回していたということらしい。


 父さんのノートパソコンを使い中身を見る。入っていたのは一つの動画ファイルだった。


「よし。これで撮れてますかねー? うん。えー、おほん! お父さん、あずちゃん、ゆうちゃん。これを見ているということは、お母さんは死んでしまったんですね?」


 映っていたのは、ベッドに座りながら話す母さんの姿だった。

 すでにニット帽を被っていることから、オレは年明け以降に撮られたものなんだと察する。あれは冬休みに入ってからプレゼントしたものだから。

 

「たくさん泣きましたか? やっぱり泣いちゃいましたよね? 特に、優しい性格のゆうちゃんはボロボロ泣いていることでしょうね」


 母さんはクスクスと口元に手を当てて笑う。


 ごめん母さん。まだ泣けてないんだ……。

 そう言いたくなるのを堪えて、ジッとパソコンを見続ける。


「ごぼごほっ! っと、体調的にも、あまり長くは続けられないようですね……。もう少しおしゃべりしたいところだったのですが、短めにまとめるとしましょう」

涼子(りょうこ)……お前はいつの間にこんなものを……?」


 咳き込みながらも微笑む母さん。


 今の呟きを聞く限り、父さんもこの動画について知らされていなかったようだ。

 おそらく、父さんが着替えを取りに家へ戻ってきたときに撮影したんだろう。


「まずはお父さん。これまでわたしのお世話をしてくださってありがとうございました。あなたはいつも謝ってばかりいましたよね? 仕事ばかりにかまけていてすまなかった。もう少し家族に目を向けるべきだったと」


 父さんが顔を押さえて嗚咽をもらす。


「でも、そんなことはありませんでしたよ。あなたが働いてくれていたおかげで、わたしは家のことに専念出来ました。あずちゃんやゆうちゃんには、美味しいものを食べさせてあげられたし、必要なものを買ってあげることも出来ました。本当にありがとうございます」


 画面の中の母さんはこっちに向けてゆっくりと頭を下げる。


「最後に……わたしのことを忘れてくれとは言いません。ですが、わたしに囚われないでください。あなたの人生はまだまだこれからも続くのですから、良い人が見つかったら、わたしに遠慮なんかせずに幸せを掴んでいいんですからね?」

「出来るわけないだろ……! お前以外を愛することなんてぇ……っ!!」

「今きっと、お前以外を愛せない。とか言ってるんでしょうね? ふふっ」

「――っ!?」


 母さんの言葉に父さんがスッと顔を上げる。

 涙や鼻水で濡れたその顔を、オレは直視することが出来なかった。


「大丈夫です。あなたの幸せこそがわたしの幸せなのですから。だから、あなたの新しく愛する人をわたしも愛せるでしょう。あ、でも……わたしごと愛してくるの人を(めと)ってくださいね? なんちゃって♪」


 そう言って母さんは苦笑していた。


「次にあずちゃん」


 母さんに名前を呼ばれたことで、姉ちゃんは肩をビクッと震わせる。


「この撮影してる日にち、まだセンター試験の前なんです。なので、わたしはあずちゃんの試験の結果をまだ知りません。死ぬ前にわたしは、きちんと報告してもらえたのかな? ううん。あずちゃんなら教えてくれていますね」


 ああ、母さんの言う通りだ。自己採点を終えた姉ちゃんは、試験会場から直接病院に向かったらしい。

 そこで必ず合格出来ると報告したそうだ。

 母さんはオレが見舞いに行ったとき、内緒だと言って教えてくれた。


「だから、この場で言わせてください。おめでとうあずちゃん! 大学生活、精一杯楽しんでね。……あはは……これで落ちていたら、お母さん空気読めていませんね。ごめんなさいあずちゃん」

「お母……さん……! そうだ、よ……! 空気読んで、もっと長く……もっと、長く生きて……っ!」


 姉ちゃんは必死に服の袖で涙を拭う。それでも止まらず、何度も何度も拭き直す。


「そんなあずちゃんにも、お母さんはお願いしたいことがあります。……あずちゃんはお姉さんです。弟であるゆうちゃんのことを守ってあげてください」

「優を……?」

「ゆうちゃんは優しいけど、とてもぶっきらぼうな子です。誤解を与えることも多く、友達とケンカをすることもあったそうです。きっと、この先もそんなことが何度も起きるでしょう。だからお姉さんとして、ゆうちゃんのことを導いてあげてください。お母さんの代わりに……。あずちゃんだけが頼りですからね」


 母さんは微笑みながら、また頭を下げた。

 それを見た姉ちゃんは「分かった……! 分かったよお母さん……!」と返事をする。


「そしてゆうちゃん。冬休みになってから毎日来てくれてありがとうございます。ゆうちゃんがする話を、わたしはいつも楽しみにして待っていたんですよ。このニット帽もとても気に入ってます」


 告げて、母さんは被っているニット帽を愛おしそうになでる。


「ゆうちゃんも高校の受験が控えてますよね? わたしと陽一(よういち)さんの息子ですから、わたしは何も心配してません。志望校に受かると信じていますから……はあ、はあ……すみません。少し息が……」


 胸を押さえ、何度も呼吸を繰り返す母さん。

 もういいよ。これ以上無理はしないで。なんて言いたかった。

 言っても遅いのは悔しいほど知ってる。


「……ふう……。ゆうちゃん。先程も言いましたが、あなたはとても優しい子なんです。名前通りのその優しさで、困っている人を助けてあげてください。お父さんを、お姉ちゃんを、友達を、大切な人を」

「うん……分かった……」

「最近話してくれる女の子がいましたよね? その子にも優しくしてあげてください。もしかしたら、その子がゆうちゃんにとっての大切な人になるかもしれませんから」


 ナナシが……? いや、そんなことはなかったよ。

 だって今のオレは、高校生になったオレはナナシとはもう……。


「言いたいことはこれくらいですかね……。それでは名残惜しいですが、お別れの時間です。みんな、お母さんがいなくても元気でね」


 最後にそう告げて母さんの手が画面に向かって伸びてくる。

 スイッチを切って、それでこの動画は終わり――。


「いや、だよ……切りたくないよぉ……! まだまだお母さん、いっぱい話したいことあるよお……!」

「り、涼子……?」

「みんなに手料理に作ってあげたい……! お父さんにいってらっしゃいのキスしたい……! あずちゃんやゆうちゃんの入学式出たい……のにぃ……! 死にたくないよ……! なんで、もっと早く検査受けなかったのわたし……!」


 終わらなかった。涙を流し、身体を震わせる母さんは……電源を切れなかったんだ。


 それからしばらくの間、母さんは泣き続けた。今のオレたちでは、うつむいて泣く母さんに声すらかけてあげられない。

 オレはそれを理解して、やっと自分が涙を流してることに気付けた。


「ごめん、なさい……! こんな、ことじゃ……! みんなが安心出来ませんよね……? ふぅ……! うん。よし!」


 母さんは涙を拭うと、すっきりとした顔を上げた。


「それでは切りますね。お父さん、あずちゃん、ゆうちゃん。さようなら。世界で一番愛しています」


 そう母さんが笑いながら告げて動画は終わる。

 オレは静かに、流れる涙を静かに拭ったのだった……。

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