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28話 犬飼麻美

 ナナシが驚愕(きょうがく)した一件から数日。あいつのポーカーフェイスは結局変わることがなかった。

 あのとき見られたのは運が良かったのか、色々とやってみたが、その後のナナシは動揺一つ見せてはくれなかったものだ。


 そんな二学期も終わり、クリスマスは何事もなく過ぎ、ついには年も明ける。学校も休みだから、この間にナナシと会うこともなかった。


 冬休みの間、オレは毎日母さんの見舞いに通った。

 病室に入ると、母さんはすごく嬉しそうにオレを出迎えてくれる。それが嬉しくて、オレも学校のことやナナシの話なんかを日が暮れるまでしゃべる日々。


 母さんは少しやつれ、髪も薬の副作用でほとんど抜け落ちていたけど、それでもオレの母さんには変わりなかった。

 どんな姿でも、優しくて朗らかなオレの母さんだったんだ。


 母さんがオレの話を聞く間、父さんは席を外す。きっと居心地が悪かったんだろう。

 姉ちゃんはセンター試験目前なので、病院には中々来なかった。

 まあ、当時の進藤一家にまとまりがないのはいつものことなんだけどな。


 そんな見舞いに行ったある日。ふと、トイレに行ったときに休憩所の一角で休む父さんに謝られた。「いつもすまない。お前たちに迷惑ばかりかけて」と。

 だからオレは「父さんはオレたち家族のためにがんばってくれてるじゃないか。迷惑なんて思ってないからさ」なんて、やっと自分の気持ちを率直に伝えることが出来たりもした。


 早く母さんのところに戻ってやれ。なんて言う父さんの目には、微かに涙が溜まっているのが見えてしまった。


 そんな日々が続く中で三学期が始まる。少し遅れ、姉ちゃんのセンター試験も始まった。 

 そのせいで、鬼気迫る雰囲気が家の中に充満していていたのは言うまでもない。


 二日間の日程を終えた姉ちゃんは、その日の内に自己採点も済ませたようだ。

 結果は満足いくものだったようで、姉ちゃんの顔は憑き物が落ちたように柔らかなものになっていた。


 それでもオレに対してのよそよそしさがあり、後に本人に聞いてみたら「今までのことに対する申し訳なさのせいで、どう接していいかわからなかったの」と話してくれた。今と比べると殊勝なものである。


 オレはというと、相変わらずな学校生活を送りながらも、ナナシとの放課後を過ごす日々を続けていた。

 どうやらナナシは頭が良いようで、大した勉強も必要ないとか、相当な余裕を見せて本読みに明け暮れている。


 ここまで長々と語ってみたが、そんな生活に新たな変化が起きたのは、()()()と出会ったせいだった。

 犬飼(いぬかい)麻美(あさみ)。そいつこそがオレの初恋の相手であり、オレの心に傷痕を残した人間だったんだ。




 二月の半ばには学年末テストや入試も控えていて、学校内はピリピリとした雰囲気に包まれる。

 オレ自身、周囲にいるやつらが蹴落とし合うライバルなのかもしれないと、疑心暗鬼になり始めていたとき――。


「あ、ねえキミキミ! これ落としたぞっ!」

「え?」


 手を洗ったときに使ったハンカチが、歩いてるときにポケットから落ちてしまったらしい。

 そのハンカチを拾ったのが犬飼だった。


 茶色で胸辺りまである、デコ出しのストレートヘアー。まつ毛が濃く、切れ長なツリ目。

 ギャルのようで優等生にも見える、その上で明るく人付き合いが広い。それが犬飼麻美という女だった。


「あ、ありがとう」


 礼を言ってハンカチをポケットにしまい直す。


「キミは〜……うん。思い出した。確か二組の進藤優也くんだったよね?」

「そうだけど、オレとお前って知り合いだっけか? あ、気に障ったらすまん。こんな綺麗な女子と知り合いになった記憶がなくて……」

「き、綺麗って……! キミも言うねぇ〜。ちなみにわたしたちは知り合いじゃないんだな、これが。わたしがただ単に、色んな人のプロフィールを集めるのが好きなだけなのさ。だから名前を思い出せたの」

「な、なるほどな」


 初対面ながらも変わった奴だとオレは思った。いわゆる情報オタクなのかもと。


「……にしてもいきなり綺麗とか言ってきてさ。キミって、わざとハンカチを落として拾わせたのかな? わたし、もしかして……まんまと誘われちゃった?」


 前屈みになり上目遣いをする犬飼。口元には人差し指を当て、悪戯っ子のように歯を見せて微笑む。

 その仕草に、オレは思わずドキッとしてしまった。


「い、いや! そういうつもりは……!」

「あははっ! ウソだってば♪ あ、そういえば自己紹介がまだだったね。わたしの名前は犬飼麻美。三年四組の生徒なんだ」


 その日から、オレは犬飼駅と行動を共にすることが多くなった。

 廊下で見かけたら、わざわざ走ってまで追いついてきては声をかけてきたり、昼は教室まで来てご飯を一緒に食べようと誘ってくる。


 けど、犬飼は放課後に塾があるとかで関わってくることはなかった。だからオレは、放課後は今まで通りナナシの元に通い続ける日々を過ごした。




「でさー、また犬飼が教室までやってきてな。今日は数学の教科書忘れたとかで借りにきたんだ」

「ふーん……」

「あとなー……あれ? カメラの英語のつづりってなんだったか……」

「C、A、M、E、R、A」

「お? なるほど。頭文字をKにしそうだった。サンキューナナシ!」


 オレは相変わらず過去問の問題集を解き、ナナシは文庫本を読みふける放課後。

 この空気を、オレはとても好きになっていた。もしここに犬飼まで加わったらどうなんだろう? ……なんてことを考えるほどに。


「なあ、その犬飼なんだけどさ。ここにそいつを呼ぶのってありか?」

「絶対断る。頷く気はないし、これ以上人が増えるなんてまっぴらごめん。それに……」

「それに?」

「……なんでもない」


 それは同時に、犬飼をナナシと同じくらい親しい友人……いや誤魔化すのはやめよう。

 犬飼を一人の異性として好きになっていたんだ。


 日に日に増していく犬飼への想い。

 一月も終わりに差しかかった頃、オレは犬飼に告白する決意をした。


 二月にはバレンタインがある。それに学年末のテストや一般での受験だって。

 だから、その忙しくなる前にオレの想いを告げようとした。大変な時期でも、恋人の犬飼とならきっと乗り越えられるだろうと思って。


「なあナナシ」

「何?」

「オレ、犬飼に告白しようかと思ってるんだ」

「…………ふーん。で?」

「いや、それだけ」

「別に報告する義務はない。話されても困る」

「そうなんだけどさ。なんか、お前には言っておきたくて。友達として」

「……友達、ね」


 ナナシの声が少し暗くなった気がする。


「構わない。好きにすればいい。シンががんばってるのは知ってる。だからがんばれ。もっとがんばれ」

「なんだよそれ? ははっ……でもありがとうな。オレがんばって告白してみる」

「……うん。がんばれ」


 そうしてオレは、学校で犬飼と日曜に会う約束を取り付けた。




「やっほー進藤くん!」

「お、おはよう犬飼!」


 オレは恥ずかしさを感じながら、待ち合わせの場所で犬飼と合流した。


「へっへっへー♪ キミから誘われるなんてね。これはいわゆるデートってやつですかな〜?」

「え!? い、いや……! そんな大層なもんじゃなくて……!」

「分かってるって。でもさ、ちょっとだけその辺を歩かない?」

「あ、ああ」


 オレは犬飼と二人で歩き回った。

 途中でクレープを買って、ベンチに座って食べる。それからまた歩き出して雑談して……。


 けどオレは、ただ告白だけをするつもりで犬飼を呼び出した。だからこれをデートだとは思えない。

 いや、こいつと出かけた記憶なんて、全部なかったことにしたかった。


 鞍馬にデートなんてしたことないと言ったのも、そんな心理が働いたからだ。


「それで? 進藤くんはなんでわたしを呼び出したのかな〜? もしかしてもしかして、これから告白されちゃったり?」

「っ! あ、その……!」

「……ありゃ? 当たっちゃった?」


 オレはあからさまに動揺してしまった。まさか言い当てられるなんて思わなかったからだ。


「……そ、そうだよ! まだちゃんと話せるようになって一ヶ月も経ってないけど……! お、オレは……犬飼が好きだ! 好きになったんだ!」

「あ……えっ……そ、そんなハッキリ言われるとは思わなかったなあ……! あ、あはは……っ」


 犬飼は照れたように顔を赤くし、髪の毛をいじりだす。


「その……オレと付き合ってくれ犬飼」


 犬飼はうつむく。そのせいで犬飼の表情を伺うことが出来なくなった。

 そして長い沈黙が終わる。


「ご、ごめん」


 あ……振られた……? とオレの思考は一気に冷えた。


「そう、だよな……! いきなりだったしすまん!」

「いや違くてねっ!」

「へ?」

「あー……そのだね。わたし、告白されたことが初めてでして。だからその、返事するの一日だけ待ってもらってもいいかな? ちゃんとキミの気持ちと向き合いたくて。必ず、必ず明日には答え出すから」


 結果として、オレは一日返事を待つことになった。もちろん、その日一日中そわそわしていたのは言うまでもない。


 明日には分かる。どんな返答にしろ、オレは受け入れる覚悟があった。

 けど、運命というものは残酷で、その覚悟を上回る覚悟をオレに強いてきたんだ。


 それは日付が変わる頃。

 ドキドキして眠れず、自分の部屋でボーッとテレビを見ていたときのことだ。


 慌てたような足音が聞こえ、オレの部屋のドアが勢いよく開けられた。


「ゆ、優!」

「姉ちゃん!? ご、ごめん! テレビの音うるさかった!?」

「違う! 違うの! お父さんから連絡があって! お母さんが! お母さんがっ!!」

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